第5回
家庭にまだテレビがない頃。
石坂
当時のドラマの撮影現場には、たとえば、
画角定規、なんていうものがありました。

カメラにはレンズが四個ぐらいついていて、
ターレットという
拳銃のホルスターみたいなもので
まわすわけだけど、
「ここは三十五ミリだから……」
とその定規を当てると、
ここからここまで映る、
とかいうことがわかるわけです。

「じゃ、ちょっとさがって撮るか!」
「さがると、ケーブルが邪魔です!」
「うしろはこのセットがあります!」
「ダメか……」
糸井
つまり、見きれちゃうのか、
見きれないのかの話ばかりを、
一日中してるわけだ。
石坂
見きれちゃうのはまだいいんです。
「そこにいられるか?」
画面の中にすこしでも入れるかどうか。
糸井
(笑)入れるかどうかの戦い。
石坂
ワイヤレスは一切ないわけですから、
カメラのケーブルと
音声のケーブルの合間をぬって、
俳優は画面に入りこまなければならない。

カメラマンが重役だったりして
「俺、パンなんかできないよ。
 おまえからこっちに来いよ、馬鹿野郎!」
と言われて……今思えばすごいことだけど
「はい、行きます!」
と走って、映りにいくんですから。

つまり、役者が
カメラマンのことを考えてなかったら
NGになっちゃうの。

カメラ一台が、
会議机ぐらいの大きさがあって……
こちら側から、
カメラの方に向きなおってしゃべるんです。
糸井
最初にテレビに出たのって、いつですか。
石坂
通行人で最初に出たのは、
昭和三三年かな?
(石坂さんが十七歳ぐらいの頃)

これ、こんなものが残っているんだけど、
KRTVってなってる。
これはTBSの前身ですね。



通行人、四〇〇円とギャラが書いてある。
糸井
すばらしい!
これ……粗末さがいいねぇ。
石坂
その日は通行人で二本出て、
八〇〇円だったんです。

『お源のたましい』という番組で、
藤間紫さん主演ですよ。
糸井
藤間紫! あぁ、いたいた。
石坂
それから、津島恵子さんです。
糸井
(笑)へぇー。
きっと、この会話を読む人は
ぜんぜん知らない俳優だろうけど……
そうですか。

つまりその時代って、
まだ家庭では、
テレビを買う前の時代ですよね。
石坂
そうそう。

ちょうど、
「買うか、買わないか」
という時代じゃないですか。
糸井
東京の人が買いはじめたんでしょうね。
うちはイナカですから。
2015-05-05-TUE
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