ヒットがもたらす、さまざまなもの。

第5回 仲間とともに、ヒマラヤへ。
- 古賀
- 今日のテーマというか、話は戻るんですけど、
吉本(隆明)さんだったり、矢沢永吉さんだったり、
糸井さんの中でのヒーローのような方がいらして、
出版のお手伝いとか、されてきたわけじゃないですか。
- 糸井
- そうですね。
- 古賀
- そのときの糸井さんの気持ちっていうのは、
自分を前面に出すというよりも、
「この人の言葉を聞いてくれ」という感じですか。
- 糸井
- そう。僕の本は、僕自身ががとっても驚いたとか、
良いなと思った、とかの、間接話法で出来てますよね。
自分を前に出す必要は全くなくて、
たとえば、美味しいりんごを売っている八百屋が、
良い店だ、と客に思ってもらえるようなもので。
要は、買ってくれる人さえいれば、
また良いりんごを売れるじゃないですか。
- 古賀
- はい、はい。
- 糸井
- それか「りんご、あんまり買ってもらえないから、
作るのやめようと思うんだよね」っていう店主がいたら、
「俺が売るから、ちょっと作ってよ」って(笑)。
具体的に、うちで売ってる海苔とかそうだからね。
- 古賀
- そうですね。
- 糸井
- 「もうそろそろ、面倒臭いことやめようと思うんだ。
漁協にふつうに出そうと思うんだよ」って言ってる
漁師のお爺さんに、ちょっと待ってって言うような。
そういう商売ですよね。
- 古賀
- うんうんうん。
- 糸井
- 古賀さんは、そういえば、そういう仕事してますね。
- 古賀
- そうですね、はい。ですから、今だったら、
いろんな出版社さんに知り合いがいますし、
やりたいといえば、やりたい企画が
できるような状態にはなったんですけど。
10年前とかは、自分がやりたいと言ったところで、
なかなか実現しなかったりとか。
いただく仕事しかできなかった時期というのは
結構長くて。

- 古賀
- 糸井さんが、たとえば『成りあがり(糸井が携わった、
ミュージシャン・矢沢永吉の自叙伝。)』
とか、ああいう形のお仕事が、たぶん今、
ほぼ日で毎日のようにできているんじゃないのかな、
と感じるんですよね。
それこそ「こんなにおもしろい人がいるから、
対談を通じて紹介したい」とか、
「TOBICHIで展覧会を開いていただきたい」
とか、そういう‥‥
- 糸井
- 場所づくり。
- 古賀
- 場所を作って、そういう人達を紹介していく‥‥。
そうですね、僕が今やりたいことと、
すごく重なる部分があって。
ほぼ日は、「今日のダーリン(糸井が毎日書く
エッセイのようなもの)」という
大きなコンテンツはありますが、
糸井さんが自ら「俺が俺が」って
前に出ている場所ではないじゃないですか。
それよりも、
「こんなおもしろい人がいる」
っていうことを伝えるような場所になっていて。
その姿勢というのは、
『成りあがり』の頃から一貫してるのかなと。

- 糸井
- 「あなたには目立ちたいと思うことはないんですか?」
って聞かれたら、
「ものすごくありますよ」って言うんじゃないかな。
ただそれはどういう類のものかと突き詰めたら、
「いや、いいかも、要らないかも」っていう(笑)。
浅いところでは目立ちたがりですよ、僕、たぶん。
だけど、ちょっと掘るだけで、
急にどうでもよくなりますね。
- 古賀
- それは、先ほどおっしゃっていた、30ぐらいのときに、
目立って痛い目に遭ったりした経験があるから‥‥
- 糸井
- じゃないです。その頃にはもう、「たかが」っていうの、
ものすごく見えていた気がする。
だから、一番目立ちたがりだったの、
高校生のときじゃないですか。
- 古賀
- ああ、はいはい(笑)
- 糸井
- 性欲の代わりに表現力を出す、みたいな。
- 古賀
- そうですね。
- 糸井
- その時期っていうのは、何をしてでも目立ちたいわけで。
「みんな俺のことをもっと見ないかな」って、
言葉にすれば、そういうことを思ってるんだけど、
つい服装で表してみたり(笑)。
「動物の毛皮の色」みたいなもので、
自然なあり方ですよね。天然の表現ですよね。
やがて、それを残しながらも、
やっぱり嬉しいのは何かっていったら、
近くにいる人にモテることが嬉しいんですよね。
だから、彼女がいるっていうのが一番理想ですよね、
若いときにはね。
- 古賀
- はい。
- 糸井
- 彼女がいて一緒に苦労する話といえば、
上村一夫さんの『同棲時代』という作品で。
このあいだ俺、上村さんの娘さんと対談したんです。
その、すごく悲劇的な漫画を、
俺は当時、羨ましいと思って見ていて。
だって、主人公の気は狂っちゃうし、貧乏だけど、
彼女いるんだから、ね。
三畳一間だか知らないけど、
そんなとこで女と毎日寝てるんだぞ、みたいな。
- 古賀
- (笑)
- 糸井
- それさえあれば俺は何も要らない、みたいな。
恋愛至上主義に近いんですよ、若いときって。
そこに突っ込んでいきたかったんですよね。
それと他のやりたいことを天秤にかけたら、
女ですよ、圧倒的に。

- 古賀
- はいはい。
- 糸井
- そして、自分のしたことについてワーキャー言われて、
そのことでモテちゃったとしても、
距離が遠いものなので「寄せちゃいけない」んですよね。
- 古賀
- なるほど。
- 糸井
- 「ファンに手を付ける」になるんですよね。
とっても上手くいったとしても、ね。
- 古賀
- でも、それわかります。
- 糸井
- 僕みたいな加減で、目立ちたがったり、
目立ちたがらなかったりしてる姿が、
古賀さんの世代の人たちに見られてるってこと、
僕は気づいてます。
たぶん、ガツガツ目立とうとしなくても、
1つのおもしろい世界はやれるんだなっていうのは、
若い人達からすると、
「あれ、いいよな」って思うことの1つですよね。
決して、目立ちたいだとか、
モテたいという欲望が消えたんじゃなくて、
そのくらいの方が楽しいんだよ。
だってね、アイドルグループの子達だって、
個人としては別にモテてないですよ。
- 古賀
- 遠くでモテて。
- 糸井
- そうなんです、距離なんですよ。
「全部OKですよ」っていうお客さんが
会場を埋め尽くしてるはずじゃないですか。
だけど、そこに手を出すのは禁じられたことでもあるし、
もしそこに突っ込んでいったら、
後始末も、とても大変なはずですよね。
- 古賀
- そうですね。
- 糸井
- って考えると、それは、商品に手を付けるっていうか、
だからこそ、禁じられてるわけで。
それよりは、たまたま行った
誰かの送別会のときに隣にいた女の子に、
「家まで送ってってほしいんだけど」って言われたら、
もうバリバリに鼻の下伸ばしますよね。
「そのくらいいいよ」って(笑)。
- 古賀
- (笑)そうですね、うんうん。
- 糸井
- つまりは、そこの実態の話で。
いずれみんな、わかっちゃうんじゃないですかね。
まだ足んない、って僕はあんまり思わないんですよ。
大体足りたなって思います。

- 古賀
- はいはいはい。でも「遠くの5万人とか、
遠くの50万人にモテてる俺」っていうのを、
喜ぶ人も確実にいますよね。
- 糸井
- それはそれで、ものすごくおもしろいゲームだし、
僕の中にも、決してなくはないんだけど、
‥‥何人読んでくれてるか、とか。
まさしく、100万部売れるのもそうだし。
そこには「えー?本当?」っていう
嬉しさがあるじゃないですか。
- 古賀
- はい。
- 糸井
- ヒマラヤとかさ、ああいうのが見える場所に
立ったことあります?
目の当たりにしたときに、「大きいなー」って‥‥
- 古賀
- ナイアガラの滝で感じました(笑)
- 糸井
- いいですよね。
- 古賀
- いいです、いいです、うん。
- 糸井
- で、「来てよかったな」って思うじゃないですか。
- 古賀
- 思います、思います、はい。
- 糸井
- 人に、「もしナイアガラのほうに行くなら、
滝の近くを通るんだったら、絶対行った方がいいよ」
と思うじゃない。あれですよね。
だから俺は人に、結構、ピラミッドは勧めてますもん。
- 古賀
- はああ。
- 糸井
- 俺、仕事の結果として、そういうものを見たかというと、
実は見てないんですよ。
100万部なんて、もう絶対ないし。
だから、何が大きい数字かなっていうのは、
いまだに宿題ですね。
ヒマラヤのふもとで、「登れないけど、これかあ」
って思うみたいなもので。
- 古賀
- ええ。
- 糸井
- ちょうど、今やりかけている仕事が、
初めて100万みたいなのの先の、ビジョンとしては、
億だとかっていう単位で、数えなきゃいけないぞ、
というところにいってもいい仕事になったんです。
だとしたら、どうなるかわからないけど、
「何億人の人がやる」っていうのを想像しながら、
生きてみたいと思うじゃないですか。
- 古賀
- はい。
- 糸井
- それはやっぱり、
「どうだ、俺はすごいだろう」じゃなくて、
向き合い方としては、ヒマラヤですよ。
仲間も一緒に見られるのがいいよね、ヒマラヤって。
古賀さんが、
「お金なんか全然ないです」って子に、
ちょっと今儲かってるから、連れて行ってあげるつって、
ヒマラヤが見えるとこに、一緒に立って
「なあ、すごいだろう」って言うと、
その子が「ほんとだー」って感激してる、みたいな。
その言葉は、自分のこと以上に嬉しいですよね。
この間あったじゃない、それ。
- 古賀
- そうですね(笑)。あれは気持ちよかったですね。
うちの会社の子が、10万部いって。
全然、自分のこと以上に嬉しかったです。

- 糸井
- それは、嬉しいと思いますよ。
人が喜んでくれることこそが、
自分の嬉しいことですっていうのを、
きれいごととして言葉にすると
全然通じないんだけど、実際にあったわけでしょ、
そういうことが。
お母さんが子供に、自分は食べないで、
イチゴを食べさせてあげる、みたいな。
あれも全く同じことだし。
そういう経験をすればするほど、
人の喜ぶことを考えつきやすくなりますよね。