もくじ
第0回おしゃべりの前に 2016-06-28-Tue
第1回配慮か衝動か 2016-06-28-Tue
第2回当事者の憂鬱 2016-06-28-Tue
第3回平等と寛容 2016-06-28-Tue
第4回関心の半径 2016-06-28-Tue
第5回後悔との再会 2016-06-28-Tue
第6回善意の摩擦 2016-06-28-Tue

熊本県出身。
市場調査会社でリサーチャーや営業を経験したあと、広告代理店でマーケティング、プロモーションをおこなう。その後スタートアップインキュベーターにてアクセラレーターをつとめ、現在はロボットベンチャーでPRやマーケティングなどを担当。

ふるさとを遠く離れて ー私たちの長い週末ー

第4回 関心の半径

僧侶の本多くんは、
3週間熊本に帰り、ボランティアをおこないました。

むらかみ
ゴールデンウィークに熊本で坊主バーをやったのは
どういうきっかけだったの?
本多
最初は単純に、家や避難所にこもってなくて、
みんな飲みに行ったらいいのに、と思ったんだよね。
そういう気分にならない人もいるかもしれないけど、
自分は今は静粛にしている期間です、というのが嫌で。
連休で帰ってきている友達も多かったし。
むらかみ
私もそのひとりだね。四谷の坊主バーは知っていたから、
それを熊本でやるっていうのも面白そうだと思った。
本多
でしょ?お坊さんがバーやってるっていうのが、
来るきっかけになるかなとも思ったんだよね。
話のネタに来てくれればいいなって。


本家坊主バーのレシピで一夜限り開店

むらかみ
本ちゃん、行動力あるなって思ってた。
私は熊本に帰ったけど、ボランティアはしなくて。
別に何をするでもなく家でグダグダしていたんだけど、
やっぱり何かすべきだったかなという引っ掛かりがある。
本多
できることや、やる余裕があればすればいいと思うよ。
そういう心境とか状況になるまで無理する必要ないかな。
自分はできることがあればやりたいと思うし、
実際にやってみたけど、他の人もやりなよとは思わないよ。
むらかみ
正直、ボランティアってよくわからないんだよね。
私自身が人に助けてもらったり、助けを求めることが
苦手なせいもあるかもしれないけど。
おせっかいだと思われるかなと考えてしまったり。
本多
ボランティアをするのも、しないのも、
どっちが正しいということはないと思ってるけど。
ボランティアする人と、
それにハードルを感じている人は考え方が違うかなって。
自分の感じた特徴としては、
ボランティアが自然にできる人って、
響きは悪いんだけど、依怙贔屓ができるんだよね。
むらかみ
依怙贔屓って?
本多
特定の人とか、グループとか、自分が助けようとしている
人たちとの関係だけにフォーカスできるという感じ。
その人にとって関心は、
目の前の「この人」を助けられるか、
助けられないかだと思う。
ボランティアに違和感があると言う人の特徴は、
私的な立場より公的な立場で見ているのかなと思ってる。
むらかみ
公的な立場。
本多
より客観的に見ているというか、みんなを公平に助けたい
という立ち位置で考えられる人っていうことかな。
むらかみ
少しだけわかったかも。
たとえば私は、目の前の10人を助けても、他にも1000人
苦しんでいる人がいるのを放って置いていいの?
という感覚がボランティアへのひっかかりの一因かも。
割り切れないというか、矛盾を消化できないというか。
本多
そうだね。それなら、個別に手を差し伸べるよりも、
大きな枠組で支援してもいいかなと思う。
ボランティアでも、具体的なサポートで動くより、
全員救える仕組みを考える人もいるからね。
どちらも必要な動きだと思ってるよ。


カウンターに立って接客

むらかみ
ボランティアに限らず、価値観とか考え方の違いを
目のあたりにすることが多かったな。
被災した人自身もこの出来事をどう受け止めるか、
向き合っていくかが大きく違うなと思った。
被害の軽い重いもあるけど、元々の性格とか心の強さも
かなり影響するなって。
本多
そうだね。人によって条件や環境は違うしね。
たとえば、自殺する人は心が弱い、
なんてことを言う人がいるけど、
心はいろんな条件によって変化するものでしょ?
つまり条件が重なればどんな人でも自殺してしまう。
だからその条件を外してあげる必要があるんだよね。
その点でも物とかお金とか、精神的なサポートとか、
必要になってくると思う。
むらかみ
大きな地震が2回あったせいで、
みんな疑心暗鬼になっているなとすごく感じたの。
前震のあと家の片付けをしたのに、
本震でまた滅茶苦茶になって、無力感というか。
うちの親も
「片付けたらまた大きな揺れが来る気がする」
って言ってしばらく手を付けられなかったし。
ゴールデンウィークに帰ったとき、
3週間経ったけど片付ける気にならないって人もいて。
本多
余震も多すぎたしね。心が折れちゃうよね。
むらかみ
また揺れたら本当に心が壊れると思ったよ。
ただ、家にいるのが怖いという気持ちはわかるんだけど、
家はあるのに、避難所から出られない人ってどう思う?
本多
「家は無事だけど心理的に住めない」
という人と、
「家が壊れて物理的に住めなくなった」
という人は住めないという結果は一緒だと思うんだよね。
むらかみ
住む家がないってことは一緒ってことね。


揺れるたびに瓦の落ちる音が響く

本多
そうそう。だから当事者じゃない人の感覚で、
この家は住める、住めない、って評論するんじゃなくて、
具体的に検査して、住んでも大丈夫ですよ、って言って、
安心させてあげることとかが必要なんじゃないかなと。
家が崩れて住めない人はもちろん、
気持ちの問題で住めないという人にも、居場所を作って
あげるのは必要なサポートかなと思ってる。
むらかみ
理屈はわかるけど、心の中では引っかかってる自分がいて。
だからボランティアとかできないのかなと思っちゃう。
本多
それは、ボランティアに行く人とむらかみさんを
切り離して考えすぎなんじゃないかな。
他人を助けたいという感覚って、地続きだと思っていて。
たとえば隣りにいる人がバタって倒れたら、
自然に手を差し伸べるでしょう?
あるいは家族や友達だったら助けたいと思うじゃない。
その「助けたい」という感覚が、
知らない人にも向くようになるのが
ボランティアの気持ちなのかなと。
人間性が違うという議論じゃないんじゃないかな。
むらかみ
関心が持てる距離が違うのかもしれないね。
ある人は家族や友達だし、別の人は困っているかもという
想像だけで、いてもたってもいられなくなるとか。
本多
誰かを助けて、やってよかったという感覚を知ると、
スッと手が出る範囲が広がるんじゃないかと思うんだよ。
依怙贔屓って表現した感覚と一緒なんだけど、
この人は助けたい、という対象が増えていくような。
むらかみ
でもさ、必ずボランティアって議論になるよね。
ボランティアに入るタイミングとかやり方もだし、
行政の批判になったり。
本多
議論は起こりやすいよね。
ボランティアに限らずだけど、人の行動って、
目的も達成へのアプローチもたくさんあると思う。
自分の目的を達成するための一番かんたんで、
早いアプローチを人は選ぶと思うんだよ。
さっきも話しに出たように、
「みんなを平等に助けよう」とするのと、
「特に困難な状況の人をなんとかしてあげたい」
という人では目的が違うし、当然アプローチも変わる。
なのに、どうしても一面的に語られがちだから、
目的やアプローチが違う人同士で軋轢とか、
誤解が生まれるのではないかなと。


たくさんの同級生が来店

むらかみ
目的はどうであれみんなハッピーになることもあるよね。
たとえば自己顕示欲を満たすために物資を運んでも、
物資が来るというアウトプットは被災者も助かるから
よかった、みたいな。
売名と叩くのってその目的すらコントロールしようと
している気がする。純粋な精神を求めている感じ。
本多 
ボランティアとか、仕事で見てきた中での私見だけど、
助けることって、助ける側が何をやったかは関係なくて、
受ける人が助かったと思うことなんじゃないかなと。
むらかみ
助かったと思う。
本多
助ける側が「これで充分」とか、「不足している」
ではなくて、「助かったな」って相手が思ってくれる
ことが大切だと思っているから。
だから、自分ではしょうもないな、と思った支援も、
誰かがありがたいと思ったらよいことだし、
逆に「俺はこんなにやってやったぞ」って思っても、
ありがた迷惑なら意味が無いよね。
むらかみ
わかる。それも難しさだよね。
この支援って本当に役に立つの?って思っちゃう。
本多
そう。考え過ぎると足がすくんじゃうから、
究極を言えば、やる側の気持ちが納得するやり方で
支援すればいいと思ってる。
むらかみ
それは坊主バーをやった動機にも繋がる?
本多
そうだね。みんなが楽しんでくれたらいいなとか、
街が元気になればいいなという思いもあったけど、
結局は自分がやりたいからやったし。
支援する側に立った自分は、
自分の心が楽になればいいと思っているんだよね。
思いがうまく受け取ってもらえなくても、
期待したような反応が返ってこなくても、
被災地の人のせいにしない。というポリシー。
むらかみ
なるほど。
私はもっと前の段階で引っかかってるかな。
地震があったとき、すぐに実家へ帰った、
ボランティアをしなかったし、する予定もない。
でもこうして話を聞いている。
熊本のために一生懸命というわけでもなければ、
無関心というわけでもない。
何かをした理由、しなかった理由を明確に
するのが面倒だな、もうヤダって思って。
本多
ヤダで正解かもね。
複合的な状況を、「複合している」って見ない人の目に
違和感があるんじゃない?
色々な条件で出来上がっているものに対して、
それはこういうものだってラベル貼りしている人に
イライラしているんじゃないかな。
むらかみ
自分でもうまく解釈できない衝動や感覚でやったことに、
わかりやすくラベルを付けられるのが面倒なのかも。
うん、面倒なのかな。
本多
とりあえずはそれでいいんじゃない?
モヤモヤをモヤモヤのまま取っておくといいと思う。
いつか晴れる時が来るかもしれないし、
晴れなくてもまあいいかと囚われないみたいな。


飛行機の窓から見下ろす熊本

むらかみ
これからどういう風に関わるかは決めている?
本多
まだいつとは決めていないけど、熊本に帰るからね。
困っている人は被災者だけかというとそうじゃないから、
自分の目の届く範囲でね。
むらかみ
長い道のりになるだろうしね。
また東京か熊本かどこかで。

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第5回 後悔との再会