もくじ
第0回おしゃべりの前に 2016-06-28-Tue
第1回配慮か衝動か 2016-06-28-Tue
第2回当事者の憂鬱 2016-06-28-Tue
第3回平等と寛容 2016-06-28-Tue
第4回関心の半径 2016-06-28-Tue
第5回後悔との再会 2016-06-28-Tue
第6回善意の摩擦 2016-06-28-Tue

熊本県出身。
市場調査会社でリサーチャーや営業を経験したあと、広告代理店でマーケティング、プロモーションをおこなう。その後スタートアップインキュベーターにてアクセラレーターをつとめ、現在はロボットベンチャーでPRやマーケティングなどを担当。

ふるさとを遠く離れて ー私たちの長い週末ー

4月14日の熊本地震から、
突然、ふるさとが被災地になってしまった私たち。

地元で被災した人、
助けるために帰ってきた人、
遠くから支援する人。
あるいは、もうふるさととの心の距離が
遠くなってしまった人も。

ふるさとから離れた場所で暮らしの軸を持つ私たちは、
今の自分と、ふるさとに置いてきた思い出の間で、
それぞれに、何をすべきか、
あるいはすべきでないかを考えています。

あの日のこと、今日までのことを、
熊本から離れて暮らしている3人の友人と話しました。

人の数だけ、ふるさととの向き合い方があります。
同じひとつの出来事に対しても、
様々な考え方や態度があることは、
「正解」なんてないんだと、
少しだけ楽な気持ちになりました。

おしゃべりの前に

どこか遠い場所で起きた災害のニュースを目にするたび、
心が痛み、他人事ではないと思っていました。
でも結局、私にとってはいつまでも、
地震は遠い街で起こることでした。

自分は大丈夫、という油断ではない気がします。
油断としてすら意識に上らないくらい、
私は地震について無頓着だったのです。

だから、生まれ育った熊本で大きな地震があったときも、
現実感がまったくありませんでした。
後に本震と言われるようになる4月16日の揺れも、
その最中にいながらまったく現実味がありませんでした。

そして今も、あの日を境に変わったことと、
どう向き合ったらいいのかわからずにいます。
それは地震のあと、熊本にいる間ずっと、
「私はいつか帰る人間だから」
という気持ちでいたからかもしれません。
今の私の帰る場所はふるさとではなく、東京でした。

自分は被災者なのか支援者なのか。あるいは傍観者なのか。
今、何をすべきか、正解はないはずなのに、
なんだか正解があるような、
そして正しい態度を求められているような、
そんな居心地の悪さを感じています。

そこで、自分と似た境遇にいる3人の友達と
ゆっくりおしゃべりしてみることにしました。

(1人目のダイアローグへ)

第1回 配慮か衝動か