糸井重里
・養老孟司さんの「唯脳論」とかで、
昔から言われていたことだけれど、
もともと身体全体からしたら、
神経網の交通整理みたいな役割をしていた「脳」が
(大事なお仕事ごくろうさんです、とも思うけど)、
いつのまにか、どんどん発達し過ぎてて、
いい気になってるんじゃないかい?
「脳」がどんどん発達していくにあたっては、
ことばだとか抽象化だとか、いい道具立てが生まれてさ。
そういう武器の助けを借りることもできて、
加速度的に「脳」ばかりが発達してきたわけですよね。
他の臓器は、ことばみたいな便利な武器を持たないから、
心臓は心臓のまま、手足は手足のまま、目鼻は目鼻のまま、
昔の人と同じような状態で、ほとんど変わらないわけです。
そうなると、もう「脳」の天下ですよ。
「脳」、身体まるごと(俺全体)のために働けばいいのに、
「脳」そのものを活かすことを優先したがる。
そりゃそうだ、そのほうが簡単だもの、効率もいいし。
どんどんどんどん「脳」が考えて、
「脳」を発達させるためのことばかりやるもんだから、
身体の「脳以外」との差がつくばかりです。
さらには、コンピューターの登場以後は、
「脳」と「人口脳」との連合軍になってますからね。
人間の身体を(その「脳」の持ち主を)生きやすくする、
よろこばせることを忘れていたりもします。
たまにね、身体のほうも、病気になったり、
筋肉トレーニングしたりして「脳」の一人勝ちに対して
逆襲を試みたりもするわけですが、まぁ、勝てないです。
「脳」を止めちゃったら、身体全体が止まっちゃうしね。
「おれたちは、脳の奴隷じゃねぇんだ」と、
ほんとは感じてるんだと思うんですよ、身体も。
昨日、こんなことを思いました(それも、「脳」が)。
もともと「どうでもいいこと」が大宇宙の本体ではないか。
同じように「ただいること」が我が本体ではないだろうか。
「脳」は、もっと分をわきまえて、
もっとわたし全体のために働いてほしいと思うのです。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ときどき、こういう反響のなさそうなことを書きたくなる。
12月27日(土)より、
更新時間は毎日11時になります。









