「本当はちょっと、大学に行ってみたい」。
昨年2月、夜の図書室でぼくにそう
進学への思いを打ち明けた定時制高校の男の子は、
たくさんの大人たちに背中を押されながら、
その年の暮れ、「東京理科大学 理学部第二部」に合格します。
合格の報せをもらって、
ぼくはもう一度田北くんに会いにいきました。
これまでいくつかのことを諦めてきたじぶんには、
この18歳の男の子が描いてみせた小さな大事件が、
たしかにひとつの、「希望の物語」に思えたのです。
ほぼ日のサノが担当します。

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第0回 まえがき。

「田北が、東京理科大学に合格しました」

浅見先生からそのメールが届いたのは、
2024年12月。昨年の、年の瀬のことだった。

思いもよらない連絡に、思わず「えっ」と声が出た。

mail

「サノさん、お世話になっております。
朝霞高校の浅見です。

以前、本校で講演をしていただいた際、
最後まで残ってサノさんに相談をしていた田北が、
東京理科大学に合格しました。

定時制高校から東京理科大学に
進学するなんてほとんどないことで、
本人も、我々も、びっくりしています。

たった一度の出会いが人を変えるというのは、
本当にあるんだなあと感じた次第です」

浅見先生からのメールは、最後、
「彼は将来、数学の研究者になるそうです」
ということばで締めくくられていた。

田北くん。

夜の図書室でぼくに声をかけてきた、
18歳の男の子の姿が一気に蘇ってきて、
思いがけない強さで胸を打たれた。

すごい、すごい、すごい。

田北くんにもう一度会いたい、と思った。
そしてそれをコンテンツにしたいということも、
すぐに思った。

高校生と、先生と、ほぼ日の乗組員。
登場するのはみんな、ただの、一般人。
それでも、この「定時制高校の男の子の小さな大事件」は、
コンテンツにして届ける意味があると思った。

いま胸の内に生まれているこのドキドキとした感覚を、
じぶんひとりの胸に閉じ込めておくのは
あまりにもったいない気がして、
ぼくは10か月前の「出会いの日」のことを思い出しながら、
このコンテンツの企画書を書きはじめた。

全てのはじまりは、やっぱり浅見先生のメールだった。

田北くんの合格メールから、
さらにさかのぼること10か月。2024年2月。

「埼玉県で公立高校の教員をしております、
浅見和寿と申します」

そんな丁寧な書き出しで、はじまりのメールは届いた。

mail

突然の連絡、失礼いたします。

埼玉県立朝霞高校で教員をしております、
浅見和寿と申します。

私は、サノさんが前職時代につくられていた
インタビュー番組を、ずっと拝見していました。
ほぼ日へご転職されるということで、
番組の終了は非常に残念でしたが、
私には、心に刺さるものがたくさんありました。

今回メールを差し上げたのは、
サノさんが番組でお話しされていたことを、
本校の生徒たちに聞かせてあげたい、と思ったからです。
とくに、サノさんが社会人1年目の途中で
会社に行けなくなった後の、「無職期間」について。

と言いますのも、
私は本校の「定時制」課程に勤務しており、
そこに在籍している生徒は、
中学校のときに不登校になったり、
対人関係がうまくいかなかったり、
「なにかにつまずいたまま」の子たちが多いのです。

そういう生徒たちに、
「有名な人のすごい話」ばかりじゃなく、
「身近な先輩の、立ち上がった話」を聞かせてあげたい。
そう思い、連絡をさせていただいた次第です。

ぼくは最初、この講演の話に後ろ向きだった。
メールに書いてある内容はとてもうれしかったけど、
「定時制」に通う子どもの気持ちを想像しきれないじぶんに、
講演をする資格があると思えなかったからだ。

そんなぼくに、
浅見先生はメールや打ち合わせを通して何度も何度も、
「定時制の子たち」について言葉にしてくれた。

浅見先生は国語の先生であると同時に、
「自分の在り方」について考えることをテーマにした
「総合的な探究の時間」というカリキュラムの担当でもあり、
生徒たちがいろんな「在り方」に触れられるよう、
たくさんの大人たちを講演に招いていた。
話を聞けば聞くほど、浅見先生の生徒たちを思う気持ちは、
あたたかく、真剣だった。

気づいたときには、
「資格があろうがなかろうが、彼らのために何かをしたい」
と思うようになっていたぼくは、メールをもらった3週間後、
「定時制」に通うことを選んだ60数名の高校生に向けて、

『人生こんなはずじゃなかった。
そんなとき、自分とどう向き合うか』

というテーマで講演をした。

田北くんは、
その日講演を聞いてくれた60人のうちの1人だった。

午後8時30分。
無事に講演を終えて、
ホッとしながら浅見先生と話をしていると、
ひとりの男の子が、講演会場だった夜の図書室に戻ってきた。

短く刈った黒髪に、ぶ厚い黒縁眼鏡。
飾り気のない青いフリースに黒いジーンズの、
真面目そうな、大人しそうな男の子。

彼は、なにやら話したそうな顔でそこにいて、
ぼくは彼と、席に着くことにした。

「自分はいま3年生で、
来年学校を卒業したら(定時制は4年制が多いそうだ)、
みんなと同じように、就職するつもりなんです」
と、その男の子は話しはじめた。

高校に通いながら、
パン工場でアルバイトをしていること。
パンを上手に焼けるようになるのが、
小さな成功体験を積めている感じがして、
けっこう楽しいこと。

そんなことをしばらく話したあと、
彼は、「でも、ちょっと」と苦笑いをしながら、

「ぼくは、数学が好きで。
本当はちょっと、大学に行ってみたい」

と言葉を続けた。

その男の子、「田北くん」が、
勇気を出して図書室に戻ってきてくれたことが、
そのときよくわかった。

ぼくたちはそれから30分ほど真剣に話をして、
田北くんは少しだけなにかが晴れたような表情で、
ペコリと頭を下げ、図書室を出ていった。

そしてその10か月後、
彼は「東京理科大学 理学部第二部」に合格した。

はじめて出会ったその日、
田北くんはほとんど「自分を諦めかけている」ように見えた。
「自分が大学なんて」という諦めが、
「そんなこと、あり得ませんよね?」という決めつけが、
まなざしに、声色に、ずっと混じっているようだった。

あの日、自信なさげに、どこか自虐的に、
自分の気持ちを言葉にしたあの子がいま、
いったいどんなまなざしをしているのか、
見に行きたかった。

この大きな大きな山を登りきるまでの19年間を、
あの日の男の子はいま、どんな声で、
どんなふうに語るのか、聞いてみたかった。

それは、読む人が読めば、
「希望の物語」になる気がした。
少なくとも、
これまでいくつかのことを諦めてきたぼくにとっては、
そしていまでも時折じぶんを諦めそうになるぼくにとっては、
きっとそういう物語になると思った。

そんな気持ちをできるだけそのまま企画書にしたためて、
田北くんにメールを送ると、

「顔が写るのは恥ずかしいんで、勘弁してください。
でも、よろしくお願いします」

と、彼らしい控えめな返事が返ってきた。

ということで、ずいぶんと前置きが長くなりましたが、
このコンテンツでは、
ほぼ日のサノが1年ぶりに
田北くんに会いに行った日のことを、
まえがき、あとがきを含む「全10回」でお届けします。

はじまりは、再会のシーンから。

2025年2月19日。
待ち合わせ場所に指定された、
学校近くのコンビニで待つぼくに、
「おひさしぶりです、田北です」と声をかけてきたのは、
まるで見覚えのない「金髪のニーチャン」だった。

登場人物
短い金髪に黒いだぼっとした服装の男の子の後ろ姿
田北くん
朝霞高校定時制課程を卒業し、
2025年4月、「東京理科大学理学部第二部」に進学。
好きなものは、ともだち、音楽、数学。


ほぼ日・サノ
ひょんなことから朝霞高校定時制課程で講演をし、
田北くんに出会う。なぜか1年前と同じ服装で取材に臨む。

短い金髪に黒いだぼっとした服装の男の子の後ろ姿
浅見先生
朝霞高校定時制の国語の先生。
生徒たちの視野を広げる「総合的な探究の時間」の
担当としても精力的に活動しており、サノに講演を依頼する。
書籍に『生徒とはじめる高校探究』(学事出版)等がある。

短い金髪に黒いだぼっとした服装の男の子の後ろ姿
島田先生
朝霞高校定時制で唯一の「数学教師」。
田北くんが在籍した4年間、
田北くんの「数学愛」に向き合いつづける。

(今日はそのまま、「第1回」につづきます)

2025-12-27-SAT

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