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かいせい
 
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最終回 『ピクミン2』と、僕の半年。
例によって自分なりに精一杯のもったいをつけて、
100匹のピクミンたちに最後の指示を出し、
もっとも目方がありそうな最後のアイテムを
ピクミンたちがえっちらおっちらと運ぶのを見たとき
じわじわと達成感がこみ上げてきた。

それが1月10日の深夜のことだから、
プレイし始めてから半年が過ぎたことになる。
クリアー時間は35時間32分だった。
とはいえ、後半に費やした多くの時間は
リセットすることによってカウントされていないから、
大ざっぱに考えるとコントローラーを握っていた時間は
だいたい50時間くらいになるのだろう。

半年をかけて、50時間。
のんびりしすぎだと怒られるかもしれないが、
やはり僕はそれを遅すぎるとは感じない。
いま現在の僕が、据置型のゲーム機で
1本のゲームをしっかりとプレイするとき、
それはまっとうな時間であったと思う。

ゲーム好きの知り合いと久々に会うと、
彼らが決まって口にする言葉がある。
9割方、いや、ことによったら
ほとんど10割になるかもしれない。

「最近、ゲームやらなくなったなあ」
と彼らは言うのだ。

それ自体、僕は否定しない。
実際、自分が年にプレイするゲームの数も、
やっぱり少なくなってきている。
けれども、その決まり文句の裏っかわにある、
「そんな自分がちょっと悲しいんですよ」
というニュアンスには、異を唱えたい。

ゲームというのは、突き詰めると、
ひとり用の娯楽であるというふうに僕は考えている。
もちろん、誰かとゲームで対戦することや、
誰かとつながり合って
ゲームをプレイすることの楽しみはあるし、
自分がその楽しみを、ふつうの人よりは
たくさん経験しているという自負もある。
けれども、多くのゲームをプレイして強く感じるのは、
ゲームというのは、
プレイヤーとゲームが1対1で向かい合うときに、
もっともゲームらしく振る舞うということである。
少なくとも、僕にとってのゲームはそうである。

一方、年をとると、
ひとりの時間はどんどん少なくなっていく。
それは、すごく単純なことでいうと、
自分の関係する人の数が増えていくからだ。
恋人ができたり、結婚したりという
わかりやすい例ばかりでなく、
友だちが友だちをつれてくれば
友だちの友だちという関係が増えるし、
職場には後輩もできるし、
おかしなことに先輩の数だって増えてくるし、
バイト先を変えたからといって
古いバイト先での知り合いが減るわけではないし、
若いころは100パーセント
自分に関係がないと思っていた
親戚のおじちゃんやおばちゃんとも
きちんと挨拶を交わすようになってくるし、
え、ごめん、誰だっけ? というふうな人から
突然連絡があることだってあるし、
披露宴に呼ばれるし、
二次会で思わぬ人と再会するし、
やっぱりお葬式だってあるし、
引越の知らせを出したりするし、
引越の知らせを受け取ったりするし、
メールアドレスが変わりましたという知らせは来るし、
ブログを始めたんだよなんて言われることもあるし、
借りっぱなしになってるあれを
どうにかしなきゃなあとか、
貸しっぱなしになってるあれを
どうにかしなきゃなあとか、
とにかく、年をとるというただそれだけで、
うっすらと積もるように
関係ある人の数は増えていくものなのだ。

それは、ちっとも悲しいことではないと僕は思う。
そして、『ピクミン2』をプレイしたこの半年、
それまでにゲームをプレイしていた自分と
なにがいちばん大きく違っていたかといえば、
それは自分に子どもができたということである。

関係ということでいえば、
これほど強い関係もない。
自分のために使っていた時間の何割かは、
子どものために喜んで差し出されることとなった。
そこには、当然のことながら、以前であれば
ゲームのために費やされていた時間も含まれている。
それが悲しいことだなんて、
誰が思ったりするものだろうか。

年をとるにつれ、
関係する人の数が増え、ひとりの時間が減り、
プレイするゲームの数が少なくなるというのは、
とてもまっとうなことであると僕は考えている。
そしてそれは、ちっとも悲しいことではないと僕は思う。

以上を長い前置きのかたまりとして先へ踏み込めば、
だからこそ僕はゲームに対して
厳しい目で接するようになってしまっている。
なにしろ、引き換えにする自分の時間の価値が
以前とは違ってきているのだ。

たとえば学生時代、
思えば僕の時間は「安い」ものだった。
おもしろそうなゲームならなんでも、
というか、つまらないゲームでさえ、
クリアーするまでプレイすることができた。
しかしいまは、半年をかけてつき合うゲームを
中途半端な気持ちで選択することはできない。
すごく漠然とした言葉でいえば、
「やれといわれたことを時間をかけてやる」
ようなゲームは、なかなかプレイすることができない。

ずっと以前、ゲーム好きの知り合いと、
「自分が40歳や50歳になったときに
 プレイしているゲームはどんなものだろうか」
と話し合ったことがある。
そのときは冗談半分だったから、
ピンボールとかビリヤードとか麻雀のゲームなんかを
ちくちくやってたりするのかなあ、なんて言ってた。
けれど、いまはあのときよりはよくわかる。
欲するのは、やはり、いいゲームだ。
オトナになればなるほど、
いいゲームをプレイしたいという欲求は
より切実なものになる。

ようやく『ピクミン2』について述べるなら、
半年をかけて、全アイテムを回収し、
大きな達成感とともにエンディングを迎えたということが
このゲームに対する僕のなによりの評価である。
ずいぶん自己中心的な言い分ではあるけれど、
『ピクミン2』は
相対的にどんどん「高く」なっていく自分の時間に見合う、
とってもいいゲームだったと強く思う。

僕は『ピクミン2』をプレイしながら、
ときどき、カメラを最大ズームに切り替えて、
あの世界をつぶさに眺めてみたりした。
そのたび、ディテールの細やかさに感心し、
世界のあちこちが、ほんとうにきちんと
つくられていることに感動した。
こんなところ、僕が見ようと思わなかったら
どうするんだろうというところまで、
このゲームはきちんとつくられていた。
グラフィックだけでなく、
『ピクミン2』では、
いろいろな関係性が練り込まれ、
さまざまな辻褄がきちんと合っていた。
そういうものに接するたびに僕は
コントローラーを握りながらいちいち感嘆した。
それはある種のもてなしを受けるようだった。

こういうゲームが年に何本か出る限り、
これからも自分は
ふつうにゲームをプレイし続けられるだろうと思う。
それについてはちょっと感謝してもいいくらいだ。
つけ加えると、洋服や、住居や、食事なんかと違って、
オトナが切実に求める高品質なものが、
ほかのものと同じ値段で売られているのは
ゲームという娯楽の持つ
ありがたい性質のひとつだと思う。

また、ずいぶん、のんびりと書いてしまいました。
『ピクミン2』のプレイ日記をこれで終わります。
いつも同じことを書いてしまいますが、
最後まで読んでくださって
ほんとうにどうもありがとうございました。
機会がありましたら、また。


2005年1月   永田泰大



2005-01-14-FRI

第1回 ある日、突然『ピクミン2』
第2回 ようやく遭遇。
第3回 ぎくしゃく。
第4回 狂った自走砲台のように。
第5回 嫌悪する理由。
第6回 馴染んできた。
第7回 『ピクミン』と『ピクミン2』の違い。
第8回 身勝手なスタイル。
第9回 ボス戦。
第10回 ゲームと睡眠。
第11回 やりかけの洞窟をクリアーしたあと。
第12回 ピクミンの微妙な重み。
第13回 娯楽ファンの現状。
第14回 めらめらと燃えながら電源を押す。
第15回 再開、そして再会。
第16回 ヘビガラスの穴を抜けて。
第17回 一貫しないプレイスタイル。
第18回 さまざまなバリエーション。
第19回 悪循環の夜。
第20回 朝を迎えながら。
第21回 ボス戦。
第22回 強敵たちの再来。

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