Sponsored by Nintendo.
あめ
 
22℃
第17回 一貫しないプレイスタイル。
ひとつのゲームをあくまでひとつのゲームと割り切って、
とにかくクリアーを目指すというのであれば、
プレイするときの迷いはかなり少なくなる。
けれども、その世界を十分に味わい、
ゲームを自分なりに深く楽しもうとすると、
いくらかややこしいことが生じてしまう。
ことに僕は、個人的な資質として、
「楽しむ」ことの延長に「クリアー」があるため、
自己のプレイスタイルがブレまくってしまう。
きっと、ゲームがうまい人に言わせると、
これだけで「あんたはヘタだなあ」ということになる。
むろん、甘んじて受け入れる用意がある。
なにしろ、こちとら十年以上も
「凡ミスエンジョイ派」を自認しているのだ。
ブレまくりの迷いまくりこそ我がゲーム人生である。

たとえばそれはいったいどういうことなのか。
『ピクミン2』では、
ゲーム中の視点をいくつか切り替えることができる。
大きくいうと、まず、
斜め後ろからのクォータービューの視点か、
真上からの俯瞰視点かを切り替えることができる。
さらに、それぞれの視点は3段階のズームが可能である。
つまり、2×3=6種類の視点があることになる。

厳密にいえば「状況に応じた視点を選ぶ」というのが
模範解答になるのだと思うが、
ここではゲームをプレイするうえでの
基本的な視点という意味で話を進める。

もしも、ゲームをゲームと割り切って、
もっとも効率よくクリアーを目指すのであれば、
ぶっちゃけ、俯瞰視点でもっとも遠くへカメラを引くのが
いちばんいいのだと思う。
ピクミンを投げるとき、
もっとも狙いをつけやすいのが俯瞰視点だし、
ズームせずにカメラを引けば、
それだけ広い範囲の情報を得ることができる。
個々のキャラクターは小さく表示されてしまうが、
ピクミンを投げるときにそれで困ることはじつはない。
だいたいのターゲットで投げても、
ゲームがきちんと補正してくれるからである。

ところが僕はあまりその視点を選ばない。
なんでかというと、味気ないからである。
ゲームのうまい人にこの理由を述べると
先方は後方へひっくり返ることになる。
慌てて僕は助け起こして
「大丈夫ですか」と言うことになる。
抱き起こされた先方はイスの上に座り直して
「すみませんが、水を一杯」と言うことになる。

だって、なにしろ、それじゃ気分が出ないじゃないか。
あんなにキレイで豊かな世界なのに、
そんなに遠くから見下ろしていたのでは
「キレイだなあ」とか「うぅわ、気色わるっ」とかいう
心の振幅がいちじるしく狭まってしまうではないか。
「こいつの動き、マジおもろい!」とか
「きゃあ! なになになになに!」とかいう
一喜一憂のエキサイト人生が
台無しになってしまうではないか。

その意味でいえば、
もっとも瞬間瞬間にエキサイトできるのは
クォータービューにしたうえで
最大までズームした視点である。
率直にいって、これはもう、どアップである。
「こいつこんな顔してやがったか」とか、
「こんな細かいとこまでよくつくったな」とか、
「ていうかデカっ!」とか、
感情の荒波がつぎつぎに迫り来るほどの
アメイジングな映像を十二分に堪能することができる。

そのかわり、プレイは非常にやりづらい。
なんせ、視界が超狭い。
首都圏近郊の若者特有のことばで表すとすると
チョゼマということになる。
チョゼマをチラ見してヤバくね? ということになる。
こんな視界でヘビガラスに出会おうものなら
「きゃあ」どころでは済まない。

しかしながら、エキサイト人生を重んじる僕としては、
すべてを客観的に見下ろす遠方俯瞰視点よりも
こちらのほうが断然楽しめるのであり、
クリアーはままならないものの、
クォータービュー&最大ズームで
毎日がんばっているのである、
などとまとめると、お話の流れは一貫し、
「なるほど永田という男は
 ひじょうに無駄の多いプレイをしているようだが
 それはそれで一本筋が通っておる」ということで
集まった長老たちも納得するのであろうけれども、
実際のところはぜんぜんそうではない。
ややこしい話でまことに申しわけがない。

長老たちに土下座しながら正直に告白してしまうと、
クォータービュー&最大ズームの視点を、
僕はほとんど用いないのである。
エキサイティングでスリリングでアメイジングだけれども、
それじゃあまりにもプレイがままならないのである。
「長老、オレ、これじゃ無理ッス!」
と泣きながら座に告げる村の若い衆なのである。

じゃあ、どうしているかというと、おおむねは
クォータービューの中くらいのズームで過ごしている。
それでもって、手強いやつが
現れそうな雰囲気を感じ取ったならば、
すぐさま俯瞰視点に切り替えている。
さらにいえば、ここは絶対に勝ちたいと思うような、
中ボスクラスとの対決場面では
必ずといっていいほど、
味気のない遠方俯瞰視点に切り替えて
無難に実直にこつこつとプレイしている。
あれほど忌み嫌った無感動の遠方俯瞰視点を
自己の危機にいたってはひょいひょい受け入れるのである。
ようするに、余裕のあるときは世界を楽しく観察し、
ヤバそうなときは勝ちに行っているということであり、
あまりにも身勝手なプレイスタイルの告白に、
集まった長老たちも後方へひっくり返るわけである。
長老というからにはかなりのお歳であって、
村人たちは慌てて長老たちを助け起こすのである。
しばしのちに長老たちは意識を取り戻し、
「ああ、すまんが、水を一杯もらえんかな」
と村娘に対して言うわけである。
村娘は木桶から葉っぱのコップで水をすくい、
長老の震える口元へそれを持っていくわけである。
毎度、話が進まんなあ。

冗長ついでにつけ加えると、
同じ意味で態度を決めかねているのが、
オリマーの直接攻撃である。

『ピクミン2』では、ある条件を満たすことによって、
オリマー(ルーイらも同様)が
モンスターに直接攻撃を加えることができる。
リーチはひじょうに短いし、
相手からダメージを受けて
体力を失ってしまう危険性もあるけれども、
ヒット&アウェイで注意深く戦うなら、
かなりのモンスターをこれだけで倒すことができる。
自分と敵の一対一のアクションとして考えれば、
難度は低いとさえいえるだろう。
なにより、オリマー単体で戦うこの方法は
ピクミンを失うことがないし、
回収の手間がないだけルーティンとして楽だ。
ことに、時間の規制がない洞窟のなかでは、
この直接攻撃がとても威力を発揮する。
ダウンにさえ気をつけていれば、
小さな敵はオリマーだけで一掃することができる。

ってことは、つまり、同じ話になるけれども、
ゲームのクリアーだけを目指すならば、
少なくとも洞窟内においては
まずオリマーが単体で出かけていって、
倒せるやつを倒しちゃったほうが安全なのである。
オリマーと、そのパートナーと、
キャラクターはふたりいるわけだから、
ふたりの体力がギリギリ費えるまでは
直接攻撃でいったほうが、
時間はかかるけど無難なのである。
そのように、村の若い衆は思うわけである。

なんだけれども、前作からこのゲームにハマリ、
ピクミンに仕事させることこそが
『ピクミン』であろうという考えが
身体に染みついてしまっている僕としては、
その方法がなんだか邪道のように映るのである。
「ピクミンに使命与えずして
 なんぞ『ピクミン』たろうや。
 いわんや『ピクミン2』をや」と、
孟子もこないだおっしゃっていたのである。
中国帰りの同級生が教えてくれたのである。

というわけで、
ピクミンのピクミンによる
自分のための『ピクミン』を
重んじる僕としては、
いかにそれが有効な攻撃手段であろうとも、
禁じ手として封印し自己のスタイルを貫くわけである、
などとまとめると、お話の流れは一貫し、
「ほうほう、永田という日本の青年は
 ひじょうに効率の悪いプレイをしているようだが
 それはそれで一本筋が通っており、
 なかなか見どころがあるので
 全財産をゆずってもよい」ということで
集まった孟子や孔子も乾杯するのであろうけれども、
実際のところはまったくそうではない。
同種の展開により読み手の時間を
いたずらに浪費してしまってひじょうに申しわけない。

呆れられるので以後はくり返さないけれども、
この、じつは便利な直接攻撃、
困ったときにはしょっちゅう使っている僕である。
もはや卒倒した孟子や孔子は助け起こさないのである。
以上のように、一貫しないブレまくりのプレイスタイルで、
僕は『ピクミン2』をちくちく進めているところです。
3つ目の着陸地点でお宝集めをしています。

2004-10-08-FRI


戻る