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勉強サイド

勉強の夏、ゲームの夏。2017

nagata

古賀史健先生です。

2017/08/25 17:29
新しい先生をお招きしました。
古賀史健先生です。

ご存じ、シリーズ通算ダブルミリオンの
大ベストセラー、『嫌われる勇気』
『幸せになる勇気』の共著者にして、
さまざまなヒット作を生みだしている
現代を代表するライターさんです。

その古賀さんに、今日は、
「読書感想文」についてうかがいます。
なんとも贅沢な授業です。
どうぞよろしくお願いします!

「よろしくお願いします。」
okuno

文化人類学で「はたらく」を研究したい。

2017/08/25 16:45
こうしていま、山邊くんは、
筑波大学で、文化人類学を学んでいます。
Facebookなんかで見ていると、
本当に、たのしそうに、勉強しています。

大学の前にはたらいていたことで、
1万円稼ぐことの大変さを知っているし、
そのことから、「時間の大切さ」も、
身にしみてわかっているように思えます。

いまは夏休みですが、
毎日、寮で本と映画ざんまいだそうです。

卒論の研究テーマを決めるのは
これからだと思うけど、
文化人類学で、何を勉強したいんですか?

「はい、ぼくは、はたらくということは、
人間にとってどういうことなのか、
ということを研究したいです。
これは、靴磨き職人をやっていたときに、
いつも思っていたことなんです。
はたらくって、何なのか。
仕事のうれしさって、どこからくるのか」

それを、文化人類学的なアプローチで。

「はい、経済学的に見た場合の労働論、
社会学的な生きがいの話、
いろいんな切り口があると思いますが、
これは、大きな目標なんですが、
そういった既存の枠組みにとらわれない
『はたらく』の研究を、やりたいです。
『はたらく』を、丸ごと、理解したい」

わかりました。ありがとうございます。
研究の展開を、楽しみにしてますね。

今回は、ちょっと「変化球」ですけど
「山邊くんが、大学生として
いま、勉強を楽しんでいる姿」から
なにかヒントをもらえるかなと思って、
ご登場いただきました。

そしたら、佐世保の4人の先生のお話。
こんな話になるとは
お互いに、思ってなかったと思うけど、
とっても、おもしろかったです。

写真は、最近、読んでおもしろかった本。

どっぷり勉強して、研究論文が書けたら、
ぜひ読ませてくださいね。
ぜんぶ理解できるかは、わからないけど、
精いっぱい読ませていただきます。

「はい(笑)、がんばります。
11月、はじめてのフィールドワークを
石垣島でやるんです。
それが、とっても、楽しみなんです!」

ちなみにですが、
じつに余計なお世話ではありますが、
彼女はできましたか。

「‥‥‥なかなか、難しいものがあります」

そうですか。

恋愛というのも、文化人類学のテーマに
なりうるのでしょうか。

「ええ、まさにそんなことを
担当教官の先生に話したら怒られました」

怒られた?

「恋愛を人類学の研究に‥‥だなんて、
けしからん! 
学問に逃げ込むな! 
ちゃんと生活しろ!」って怒られました。

おお、すごい。すばらしい。
「ちゃんと生活しろ」ってつまり、
「ちゃんと恋愛しろ」ってことですよね。

O先生の
「芸術を自己表現の道具に使うな!」
の教えに、どこか、通じる気もしますね。

佐世保の4人の先生がた、ご安心ください。
山邊くん、筑波大学で、
5人目の先生に、出会っているようですよ。
okuno

勝負の学校推薦と、T先生の登場。

2017/08/25 16:40
不合格通知を受けとり、
しばし「真っ白になった」ものの、
気持ちを切り替えて、
1ヶ月後の「学校推薦」の試験に
挑戦しようと決めた山邊くん。

学校は、推薦してくれることに
なったのですが‥‥
大きな問題は「小論文」対策でした。

なにしろ山邊くん、
ふつうの受験勉強をやっていません。
毎日、靴を磨いています。

当然、小論文も書いたことがない。
途方に暮れていると、
ふだんなんだかボーンヤリしていて、
あまり話したこともなかった
古文の先生が
「山邊なら、ぼくが、教えますよ」
と言ってくれたそうなんです。

その人こそ、4人目の先生、T先生。

それまで、何だか眠狂四郎みたいで、
変な人だなあと思っていて、
むしろ近づかないようにしていた
山邊くんでしたが‥‥。

「1ヶ月後の小論文試験を前にして、
途方にくれている僕に、
T先生は、
俺が見てやるから大丈夫だ、って。
じつは先生は、
筑波大学の人文出身だったんです。
『筑波でしょ? 人文でしょ? 
大丈夫、間に合う』って言ってくれた。
じつは先生は、
数年前に大病をわずらって、
毎日の勤務が、
むずかしい健康状態だったのですが、
病気の前は、たくさんの高校生を、
大学へ合格させてきた先生だったんです」

おお、頼りにならなそうで、
むちゃくちゃ頼りになるキャラ登場!
マンガみたい‥‥。

「その日から、
T先生の出してくださる問題に対して、
ぼくが小論文を書き、
それを先生が丁寧に添削してくださる‥‥
という毎日が続きました。
1ヶ月間、毎日です。
先生は、身体のことがあったので、
毎日の勤務が、
難しかったんですけど‥‥。
これが、そのときの、小論文です。
こんなふうに、先生は、
びっしり赤字をいれてくださった」

すごい‥‥なんだか泣けてくる。

「先生のモットーは、
受験勉強とは、質と量の両立である、
ということでした。
質の高い問題を、大量にこなせ、と。
質の部分は俺が担保してやる、
だからお前は、ひたすら量をこなせと」

こうして山邊くんは、
T先生という素晴らしい伴走者を得て、
見事1ヶ月後の小論文試験を乗り越え、
晴れて筑波大学に入学したのです。

みんな、よろこんでくれたでしょうね。

「F先生、O先生、N先生、T先生、
4人の先生をはじめ、
みんな、よろこんでくださいました。
大学の掲示板で合格をたしかめて、
電話で両親に電話して、
受かりました、
ありがとうございましたと言ったら
母は、電話口で、泣いていました」

そうでしょう、それはね。いろいろね。

「でも、こころのなかでは、
ありがとうございます、というより、
これまで
心配をかけてしまって、すみません、
という気持ちでした」
okuno

筑波大学の自己推薦に落ちる。

2017/08/25 16:35
こうしてF先生・O先生・N先生など、
佐世保の大人たちに囲まれながら、
日々、靴を磨きながら、
通信制高校に通っていた山邊くんは、
「テストの学力を問われる一般入試では
合格できない」と思ったそうです。

そこで「自己推薦」という制度を使い、
O先生とN先生に、
推薦状を書いてもらったのですが‥‥。

「文化人類学を学びたくて志望した
筑波大学の自己推薦に、落ちてしまいました。
提出する考査書類に、
これまでの自分の人生のことを、
つらつらと
書いてしまったのですが‥‥
もっと、文化人類学の
研究計画書のようなものが、
求められていたんだと思います」

佐世保の山邊くんの靴磨きのお店には
いろんなお客さんが来るし、
仕事をうまくやっていくには
町の事情だとか人間模様なんかにも
詳しい必要があるだろうし、
あれはあれで、
山邊くんは、靴磨きの椅子に座って
佐世保のフィールドワークやってるんだなと
思ったんですけど‥‥。

「はい、ぼくも、自分の状況が、
まあ、めずらしいことを知っていて、
そのことを書けば‥‥
という甘えがあったんだと思います。
きちっとした
研究計画から逃げてしまったんです。
せっかく推薦状を書いてもらったのに、
あれじゃあ、落ちて当たり前でした」

なるほど。

「このとき、F先生から教わったことを、
痛感したんです。
つまり、ものごとには、やりかたがある。
そのことを、忘れていたんです。
せっかく学んだのに。
靴磨き職人をしていたことは、
ぼくにとって、
本当にプラスになってると思うんですが、
唯一の弊害があるとすれば、
人と違うことこそ、みんな喜んでくれる、
と思いすぎてしまったことです。
受験には、美術部でF先生から教わった
賞レースでの勝ち方や戦い方、
『傾向と対策』こそ、必要だったんです」

合否の発表は封書で、学校に届きました。

同級生も、先生たちも、
山邊くんがきっと受かると思ってたのか、
開封するときに、
まわりに、山のように集まったそうです。

が、結果は、失敗。不合格。

「みんな、音もなく、サササーッ‥‥と、
ぼくから離れていきました(笑)」

じゃあ、それで‥‥どうしたの? 

「落ちたのは、自己推薦の試験。
1ヶ月後に、面接と小論文が試験科目の
学校推薦の試験があったんです」
okuno

喫茶店のマスター、N先生。

2017/08/25 16:30
これは
21世紀の「仕事!」論。靴磨き職人 篇
にも出てくる話ですが、
進学校を辞めて
靴磨きの店をやっていたとき、
山邊くんは通信制の高校に通っていました。

入学以来、勉強しろ、受験に受かれ‥‥と
言われ続ける進学校は、
そもそも
「やれと言われたら、やりたくなくなる」
山邊くんには、合わなかったようです。

そこへ体調の不良が重なり、長期休学。
その後、退学。そういうことでした。

こうして学校を辞めた山邊くんは
靴磨き店をはじめ、
通信制高校に通い出すのですが、
同時に、
もうひとつの「学校」ともいうべき場所に、
通っていたのです。

それが、佐世保市内の、とある喫茶店。

映画や小説などにくわしく、
テレビが大好きで、
ご自身で演劇活動もやっているという
博覧強記のマスターNさんと、
そこに集まってくる大人たちに囲まれ、
山邊くんは、
学校では教わらないことを学んでいきます。

「たとえば、池波正太郎の『剣客商売』が
おもしろかったって言うと、
どんなところが、おもしろかったんだと。
そうですね、文章の歯切れがよくて‥‥
とか何とかゴニョゴニョ言ってると、
それはな、池波正太郎って人は、
もともと劇作家だからセリフで書いてる。
だから歯切れがいいんだ。
その点、
池波正太郎と双璧をなす藤沢周平は‥‥
とか、ぜんぜん知らない話や、
おもしろい作品を、教えてもらいました」

まさに、喫茶店学校のN先生ですね。

「大学でこっちへ来るとき、
お金が足りなくて
部屋にテレビが買えないって言ったら、
なにを貧乏ぶってる、と(笑)。
テレビを見てなかったら
テレビに対する感受性が死ぬぞ、って。
で、テレビを見てないと、
たしかに、そんな感じがするんですよ」

でも、そうやって、ただ単に、
おもしろいものを教えてもらっただけでは
なかったと、山邊くんは言います。

「Nさんに教わったのは
自分の視点を持て、と言うことだったと
思います。
いくら知識があったって、駄目なんだと。
知識なんて、
勉強すればいくらでも仕入れられるし、
自分の視点もないのに、
ウィキペディアみたいな奴になったって
なんにもおもしろくない。
自分の視点を確立し、
それを中心に据えて、
そのまわりに知識を組み合わせることが
大切なんだと。
もっと言えば、知識なんかなくったって、
視点がおもしろけりゃ、そっちのほうがいい。
知識なんて屁でもない、って」

それ、博覧強記のN先生が言うからこそ、
という感じがしますね。

そして画塾のO先生と同様、
N先生も、
筑波大学への進学を応援してくれ、
推薦状を書いてくれたそうです。

が、その推薦入試に、
山邊くんは、落ちてしまうのです。
okuno

O先生から教わったこと。

2017/08/25 16:25
のちに、筑波大学への「推薦状」を
書いてくれることになるのが、
もう一方の絵の先生、O先生でした。

先生は、山邊くんに、
どんなことを教えてくれたんですか。

「自分を増やせ、とういことです。
先生は自己増殖、
という言葉をよく使っていましたが、
これは、直接的には、
絵という芸術を、
自己表現のために使うなという、
芸術家としての思いが底にあります。
そんなことは、おこがましいと。
そんなことより、自分を増やしていけ。
靴磨きをしている山邊。
進学校を辞めて通信高校に通う山邊。
そして、いつか、大学に行く山邊。
何かひとつの自分や表現にこだわらず、
自分というものを、
増やしていくことが重要なんだって」

なるほど。

「大学に提出するの推薦状のなかでも、
次のようなことを、書いてくれました」

はい。

「要約ですけど‥‥
山邊は、ものごとは知っている、と。
でも、それらの知識は、
つらなりのないままの、ただの知識だ、
それらの知識の間に
有機的な連関を持たせるためには
大学という場所で学ばせる必要がある」

なるほど。

「このことは、
自分を増やしていけという考え方と、
とてもつながっている気がしました。
いま、自分は
文化人類学を学んでいますが、
物事を多面的に捉えるという姿勢も、
そういえば、
O先生に教わってたことだなあ、と」

うん。

「なにより、推薦状が、うれしかった。
学校を中退して、靴磨きも、
赤字続きで汲々としていた自分には、
とってもうれしかったんです。
何でもない自分のことを、 
O先生が言葉にしてくれたことが、
とっても、うれしかった」
okuno

F先生から教わったこと。

2017/08/25 16:20
そのように、なにかと正反対な感じの
O先生とF先生でしたが、
いまから思えば、
それぞれに大切なことを教わったと、
山邊くんは言います。

「F先生に教わったことで
勉強になったのは
何事も、物事にはやりかたがある、
ということでした。
F先生は、
教え子に絵の賞を取らせることが、
ものすごく得意だったんです。
いわゆる『傾向と対策』ですよね。
レースに勝つには、
戦い方があるんだってことです」

のちに、このF先生の教えの重要性を、
筑波大学の受験時に、
山邊くんは「痛感」するのですが、
そのことは、また、あとでお話します。
okuno

中学の美術部のF先生、
画塾のO先生。

2017/08/25 16:15
そうやって、せっかく入った進学校を、
ほとんど通わずに中退することになる
山邊くんなのですが、
その前に、時計の針をすこし戻します。

はじめて知ったのですが、
山邊くんは、
中学のときに美術部に所属していて、
かつ画塾にも通っていたそうです。

そこでお世話になった先生が、
美術部のF先生と、画塾のO先生。

ふたりの先生は「先輩後輩」の間柄。

話を聞くと、
教育者であるF先生には、
写実的な絵の方法論を教え込まれ、
芸術家であるO先生には、
かたにはまらない芸術の自由さや、
その尊さを教わったようです。

印象的なエピソードを、ひとつ。

「あるときに、
F先生の先輩であるO先生が
いまFはどうしてる?って、
聞いてきたんですよね。
風景画を教わっていたので
風景画を教わっていますと答えたら、
じゃあ、みんな画板持って、
外へ出て写生してるのか、大変だな」
って。

ええ。

「でも、F先生のやりかたは、
まずは、風景をうまく写真に撮って、
それを画用紙の大きさにまで
拡大コピーして、
それをトレースして色を塗るんです。
そうやって写実的な絵の基礎を
教えてくれていたので、
そのことを言ったんです、何気なく」

うん。

「そしたら、
O先生が、ワナワナと震え出して‥‥
奥さんに向かって、
おい、いますぐFの野郎に電話して
そんなつまらんことを
子どもにさせるなって言え!と‥‥」
okuno

学習塾をクビになる。

2017/08/25 16:10
そんな山邊くんなので、話していると、
いかにも頭の回転が早く、
ハタチに思えないほどもの知りで、
あえて、ちょっとヤな言い方をすれば
世知にたけている、という感じ。

こういう人は、昔からそうだったのか?

そんなところから、
インタビューをはじめたいと思います。

山邊くんって、
ちっちゃいころは、どんな子だったの?

「母が言うには、人に言われたからって
勉強する子どもじゃなかったそうです。 
というか、人に言われたら、やらない。
だから宿題もぜんぜんやっていかない」

へえ。

「学校の先生には
宿題しろ、勉強しろって言われるので、
その反動でまったくやらずに
授業を聞いてるだけだったので、
中学くらいまでは、
成績は中の上あたりをウロウロしてて」

そうなんだ。

「学習塾にも通っていたんですが、
中学2年生のとき、クビになりました」

は? クビ? 塾ってクビになるもの?
 
「はい、宿題もやって来ず、
話も聞いておらず、字も汚いために、
このままでは、うちの塾では、
高校受験をみることはできないって」

そ、そうなんだ。

「そこで
中学3年生から別の塾に移りました。
で、そのころになると、
さすがに、勉強をしはじめたんです。
受験が近かったし、
なにより姉がものすごく努力家で、
コツコツ勉強する姿を見ていて、
かっこいいなって思うようになって」

こうして、
生徒会長だったにも関わらず、
「宿題をやらず、遅刻も多かったから」
という理由で、
高校の推薦にも落ちた山邊少年は、
筆記試験を経て、
地元・佐世保の進学校に入学します。
okuno

出会ったときの印象。

2017/08/25 16:05
21世紀の「仕事!」論。靴磨き職人 篇
の取材のときに、ぼくらは、
「なんて、大人っぽい少年なんだ‥‥」
と感じました。

早熟というか、老成しているというか。

決してラクな仕事ではない
靴磨き職人として、
大人に混じってはたらいているからか、
お金を稼ぐということの大変さを
身をもって話してくれたし、
地元の歴史や人間関係にも詳しく、
「立て板に水」のような話しぶりでした。

それが、あまりに「立て板に水」なので、
目の前の少年が
「歳‥‥サバ読んでるんじゃないか!?」
と、しばらく怪しんだほどです(笑)。

なにしろ、インタビューの前に、
お昼ごはんを食べましょうってことで、
地元のお店に連れてってくれて、
おいしいフライ定食(だったかな?)を
おいしくいただいて、
さあ、お代を払おうと思ったら、
トイレに立った帰り道に
山邊くんが、既に払ってくれてたんです。

当然そんなつもりはなかったんで、
「いやいやいやいや、
ここは、ぼくらで払いますから!」
とレジ前のサラリーマン的なやり取りを
するまでもなく
当時18歳の山邊くんは
「いえ、遠くから来ていただいてるので
これくらいはさせてください」
と、キッパリと、静かに、ゆずりません。

取材に同行したも、
「娘より年下の人に
昼メシおごってもらうとは、なあ‥‥」
と。

ご厚意は、ありがたく、頂戴しました。
(お返しに後日東京でおごりました)

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