佐賀県唐津市。
駅から西へ車で20分ほどの山のなかに、
唐津焼の窯元「隆太窯」はあります。
人間国宝となった十二代中里太郎右衛門を父にもつ
中里隆さんが1974年に築いた窯を、
1976年に「隆太窯」(りゅうたがま)と命名、
1988年には息子である中里太亀(たき)さんが
隆さんのもとで作陶を開始。
さらにその息子である中里健太さんが
2015年から太亀さんに師事、
2018年に自身の作品をつくりはじめました。
太亀さんの妹で、健太さんには叔母にあたる
中里花子さんもまた作陶家。
長く、中里家の器をつかってきた伊藤まさこさんが、
この1年、はじめて健太さんの器を使い、
ぜひ「weeksdays」で紹介したいと思ったことが
今回の企画のはじまりでした。
経歴をみると
サラブレッドのように思える健太さんですが、
じつは学生時代に勉強していたのは「洋服」。
そこから作陶の道に入った経緯から、
インタビューははじまりました。
唐津と東京を結んでのオンライン取材、
後半では奥さまの古都(こと)さんにも
お話をうかがっていますよ。
商品写真=有賀 傑
料理写真=伊藤まさこ
取材写真=武井義明(weeksdays)
中里健太
1993年唐津生まれ。
2011年をニュージーランドで暮らし、
2015年、文化服装学院ファッション工科専門課程
アパレルデザイン科メンズデザインコース卒業。
同年、家業である「隆太窯」に入門、
父である中里太亀(たき)氏の弟子に。
3年間の修業ののち、自身の作品の製作を始める。
2019年に銀座万葉洞での親子三代展でデビュー、
隆太窯に拠点を置きながら作陶を続けている。
01洋服の勉強から器づくりへ
- 伊藤
- 健太さん、こんにちは。
このたびはありがとうございました。
私、隆太窯の器、
いろいろと使わせていただいていますよ。
- 健太
- ありがとうございます!
- 伊藤
- うちにある中里家の器を集めてみました。
引っ越しの時に欠けてしまったものもあったんですけど、
金継ぎをしたりして大切にしています。
いちばん最初に買ったのは‥‥20年ぐらい前かな。
- 健太
- うれしいです、大切に使っていただいて。
- 伊藤
- 不思議なことに、花子さんの器は、
東京の自宅じゃなくて軽井沢の山の家で使っているんです。
けれど自宅では隆さん、太亀さん、健太さんのものばかり。
なぜだろうと思っているんですけどね。
周りが山だというのが、花子さんのつくるものと
合うのかな?
- 健太
- 野生味に溢れてるからかも?
叔母のつくるものが。
- 伊藤
- ふふふ。
気づいたらそんな感じでした。
ちょうど1年前に唐津に行くことになったんですが、
たまたま隆太窯がお休みの日だったんです。
なので洋々閣(*)に行って、
いろいろと買わせていただいて。
それを家で使っていて、
やっぱりいいなぁ、ということで、
weeksdaysでも扱わせていただきたいと思ったんです。
(*)洋々閣は唐津にある旅館。
隆太窯のギャラリーと、
中里花子さんのギャラリーが併設されている。
- 健太
- ありがとうございます。
じゃあ、伊藤さんが僕のつくったものを
お使いいただいたのは、
この1年のことなんですね。
- 伊藤
- そうなんですよ。
健太さんはいつからお名前を出して
器をつくるようになったんですか。
- 健太
- 2018年の4月です。
コロナ禍のすこし前ですね。
隆太窯では、僕が「卒業」した最後の弟子なんですよ。
隆太窯は、入ったら3年で卒業、
というルールがあって、
できるようになったらもちろん、
できなくても「卒業」なんですよ。
ふつうは卒業したら外に出ましょう、
ということになっているんですが、
僕はそのままいるんです。
- 伊藤
- ということは「入門」して、
おとうさまである太亀さんの弟子になった、
ということですか。
- 健太
- そうです。はい。
- 伊藤
- 小さな頃からそこで生まれ育って
器を見てきたんですよね。
- 健太
- いえ、それが、以前は両親が借家で、
隆太窯の敷地内に引っ越したのは
僕が中学生になった時ぐらい。
だから父や祖父の仕事をずっと見てきたかというと、
そんなにないんです。
どうやって器ができるのかっていうのは、ふんわり、
「手で形を作ってるんだろうな」ぐらいしか
知らなかったんですよ。
- 伊藤
- おうちでは太亀さんや隆さんの器を使っていたんですか。
- 健太
- はい、使っていましたね。
でも、別に気にしていないというか、
何も考えてなかったと思います。
器への興味も、小さい頃はありませんでした。
僕はささっとご飯を食べて自分のことがしたいし。
- 伊藤
- それが今、こうしてお仕事につながるまでに
どんなことがあったんですか。
「おまえが継ぐんだぞ」みたいな感じのことは、
おそらく、言われていなさそうな気がするんです。
- 健太
- そうですね。はい。何も言われませんでした。
- 伊藤
- それがどうしてそう今のようなかたちに?
- 健太
- 学生の頃、就職先を考えている時に、
そういえば実家が陶器の工房をやってるから、
ちょっと作ってみてもいいかなぐらいの感じでした。
- 伊藤
- それがいくつぐらいの時?
- 健太
- 21歳くらいですね。
もともと、物をつくることには興味があって、
東京でファッションの勉強をする学校に行っていたんです。
ものの成り立ちを気にするタイプだったので、
ファッションのなかでもスーツ、それも
ビスポーク(職人によるオーダーメイド)の
勉強をしていました。
思えば焼き物も、最近ぽっと生まれた文化ではない、
という点では似ていますね。
- 伊藤
- 洋服と器‥‥は、
全然違うように思えるんですけど、
一緒?
- 健太
- 僕のなかでは、あんまり変わらないんです。
- 伊藤
- あんまり変わらないんだ!
- 健太
- 発送する時に割れるのは違いますけどね。
洋服は割れないから。
- 伊藤
- えっ、えっ! そういうこと?(笑)
用途が違う、つくりかたも違うのに、
健太さんのなかでは「同じ」だというのが、
私にとってはとても新鮮で面白いです。
- 健太
- そうですよね。どう言ったらいいのかな、
例えば、どちらも「誰でも使うもの」。
その中で、アート作品みたいなものを
作られる方もいらっしゃれば、
日常のものをつくる方もいる。
洋服なら、大量生産をするカジュアルウェアもあれば、
世界的なコレクションの
ランウェイで披露する一点ものがあって、
それはずいぶん違いますよね。
器も、そういうことから遠からずというか、
明らかに営業用食器で誰もが見たことがある
ラーメン屋のどんぶりもあれば、
高名な作家の作品もあるわけです。
しかも、そっちとこっちで両極端に分れてるわけじゃなく、
その間にずっとグラデーションがあって。
そういうところでは、
洋服も器も一緒なのかなって思ったんです。
- 伊藤
- うん、うん。
男性のビスポークのスーツというのは、今は、
ちょっと特別なシーンで着ることが多いと思うんですが、
器に関しては、どういうものをつくりたいと思ったんですか。
- 健太
- あんまり考えたことがないんです。
ビスポークのスーツも、
今は特別なもののようになってしまっているけれど、
イギリスではツイードのスーツは狩猟用でしたし、
それで馬に乗ったりもしたわけですよね。
僕が勉強していたのは「そもそものところは?」
ということだったんですよ。
特に男性の洋服って、用途から派生して、
いろんなつくりかたをされるようになって、
ファッションとして発展し、
そこから文化が出来てきたところがある。
じゃあ、器はどうだろうと考えると、
用途? かたちのよさ?
いや、どっちと決める必要はないぞと。
そもそも、全然知らない世界だったので、
とりあえず勉強してみようというスタートでした。
素人が最初から目標を設定しても
やってみて違った、とかありそうじゃないですか。
- 伊藤
- 合う、合わないということがあるかもしれませんね。