それはそれは美味しいのです、
大川雅子さんのつくるパンケーキ! 
大きなお皿に2枚をならべて、
片方には目玉焼きとベーコン、
片方にはホイップクリームとメープルシロップ、
冷たいバターとレモンを添えて、辛いスパイスをかけて。
甘い、しょっぱい、すっぱい、辛い、温かい、冷たい、
ぜんぶが一気に押し寄せるたのしさといったら! 
ほかにも、パイナップルをソテーしてのせたり、
あつあつのチリビーンズをかけたり、
バナナをトッピングしたり、重ねてケーキにしたり。
そっか、パンケーキって、うーんと、自由なのですね。

伊藤まさこさんが長年通いつづける
骨董通りのAPOC(アポック)は、
そんな「食の冒険」ができるお店。
ルールはないけれど、みごとなガイドがあるのは、
店主の大川さんの長年の研究の成果です。
ふるい友人でもある「雅子さん」と「まさこさん」による
パンケーキについての「おいしさ談義」、
どうぞおたのしみください。
読むと、お腹が空いちゃうかもしれません。

大川雅子さんのプロフィール

大川雅子 おおかわ・まさこ

1960年生まれ。料理家。
スタイリストを経て、料理の道へ。
焼き菓子を得意とし、東京・南青山で
料理教室「焼菓子工房SASSER(サッセ)」を主宰。
そのかたわら、1998年に岡本太郎記念館内のカフェ
「ア・ピース・オブ・ケーク」をオープン、
2011年に骨董通りにパンケーキ専門店「APOC」をひらく。

その1
パンケーキミックスをつくった頃。

伊藤
(撮影が終わり、ほっとして)
ああ、たのしくて、美味しかったです。
ほんとうによくできていますよね、
雅子さんのパンケーキミックス。
これは、いつごろから、あるんでしょう。
大川
20年ちょっと前くらいからかな。
伊藤
その時、このお店(APOC)はまだ‥‥。
大川
なかったです。
1998年から、岡本太郎美術館に
「ア・ピース・オブ・ケーク」という
カフェをオープンしましたが、
そこはパンケーキのお店ではありませんでした。
伊藤
私が雅子さんを知ったのは、
「ア・ピース・オブ・ケーク」を始める前、
南青山のビルの一室で教室をやっていらした頃ですね。
ずっと青山が本拠地。
大川
そうなの(笑)。お菓子の教室では、
「こういうミックスを作っておいたら
便利ですよ」と、配合を紹介していたんです。
ミックスを作っておけば、
卵と牛乳入れたらパンケーキができる、
とっても便利ですよということで。
でもね、きっと、なさらない方もいるし、
わたしが作ったミックスを売れば、
もっと早いかも? と思って、
つくって、売ってみたんです。
インターネットもまだそんなに普及していない頃。
ブログ‥‥というかホームページね、
そこでちょっと書いては、WEBと
「ア・ピース・オブ・ケーク」の店頭で売ったりして。
伊藤
そうですよね。
もしかしたら「ほぼ日」創刊と
同じくらいの時期じゃなかったかな。
大川
そう! 「ほぼ日」は1998年の6月ですよね。
カフェは、4月なんです。
──
先輩ですね!
大川
(笑)。
伊藤
すご~い。
大川
それで2年くらい経ってから、
パンケーキをお店で焼いて出してみようかなと、
「ア・ピース・オブ・ケーク」の
メニューに入れてみたんです。
当時はパンケーキというものが
あんまり一般的ではなくて、
「ホットケーキとパンケーキはどう違うの?」
「いや、一緒なんです」
「じゃ、何が違うの?」
「ですから、一緒なんですけれど」みたいな(笑)。
そうしたら、そのうち、なんとな~く、
パンケーキという言葉が浸透してきました。
そんななか、信号待ちしていた不動産さんで見た張り紙に、
このお店の賃貸情報が出ていたんです。
それが2011年、年明け間もなく。
伊藤
パンケーキ屋さんをやりたいから探したのではなく?
大川
信号待ちしてたら、「お?」って。
「軽飲食“相談可”」と書いてあって。
伊藤
うん、うん。
大川
51だったかな、
パンケーキミックスを開発して10年たって、
10年頑張れば一人前、
と思っていたので、
姉妹店を出すことを考えたんです。
伊藤
へぇ~。
大川
それにパンケーキも、単純に、
受け入れてもらえるのかな、と思って。
教室で借りていたスタジオを閉じて、ここに来ました。
伊藤
前からお店はやりたかったことだったんですか?
大川
わりと衝動的かな。
伊藤
お子さん、まだ小さかった頃ですよね。
大川
だって、「ア・ピース・オブ・ケーク」も
お腹が大きいときにつくったんですよ。
伊藤
え?!
大川
ははは。息子は99年の2月生まれなんだけれど、
お店は98年の4月につくったの。
だからどんどんお腹が大きくなって、
まだお店が開店して1年も経ってないのに産休、
みたいな。
伊藤
すごいですね~。
大川
今、やりたいことをやろうと(笑)。
あんまり考えてないんですよね。
伊藤
なんとかなった?
大川
なんとかなった。うん。
そしてこの2店舗目は、
もう、やりたくなっちゃった。
そうそう、その頃、親の介護とかもしていたのよ。
伊藤
え?!
大川
親戚のおばのヘルプもしてました。
子供もまだちっちゃかったし、
すごく人のお世話が大変で。
でもなんだか、不動産屋さんでピンと来て。
伊藤
どういう感じだったんですか? 最初は。
大川
陶器屋さんだったんですって。
だからキッチンもなんにもなくって。
それで「軽飲食“相談可”」って書いてあったのね。
キッチンはないけれど、やりたい人は
ご自分でつくってどうぞ、みたいな。
伊藤
仕切りとかももう全っ然なく、いちから全部?
大川
そうなんです。
でもお金もないし、デザイナーさんもいないから、
全部自分でこまかくレイアウトを考えて。
伊藤
お金はどうしたんですか。
大川
銀行に借りに行ったの。そしたら貸してくれなくって。
「何で?」って。
だって、「ア・ピース・オブ・ケーク」をつくるとき、
借りて、す~ごくきれいに返したのよ。
なのにね、何でだと思う? 
そのあと、借りてないからですって。
お金って借り続けてないと貸してくれないの。
きれいに返してすごい気持ちいいなと思って、
数年経っていたんですよね。
でも銀行にとっては信用がゼロになっちゃった。
伊藤
そんなぁ!
大川
借り続けながら事業をちゃんとやっている、
っていうことが、
「貸すに値する」っていう信用なんでしょうね。
だからもう大変でした、走り回ったり、面接に行ったり。
最終的には金融公庫に書類が通って。
伊藤
そういうものなんですねぇ。
それを原資に。
大川
そう、オール借金です(笑)。
飲食はたいへんですよ、うちのような個人商店は。
伊藤
でもそのうちお酒もやろうかなとか、
なるかもしれないですよ、大川さん。
大川
そのうち、「スナックマコちゃん」をね(笑)。
伊藤
「スナックマコちゃん」! すごく、いいですね。
わたしも手伝おうかな(笑)。
(つづきます)
2021-11-28-SUN