もくじ
第1回偏見が氷のように溶けた。 2019-03-19-Tue
第2回優しさは力の中にある。 2019-03-19-Tue
第3回絶対に休まないということ。 2019-03-19-Tue
第4回先生が夢を叶えない理由。 2019-03-19-Tue
第5回してきたことを、迷ってはいけない。 2019-03-19-Tue

NHKで10年以上、報道番組のディレクターをしていました。今はサイボウズという会社で働きながらいくつかの複業をしています。
パラレルキャリアでワーキングマザー。
ほんとうのことを、ありのままの自分で伝えていける人になりたいと日々試行錯誤中です。

Be free!</br>私を自由にしてくれた人。

Be free!
私を自由にしてくれた人。

担当・三木 佳世子

高田馬場の駅から少し歩いたところに、
「ウイニング受験英語」という塾があります。
この塾の先生はただ一人、
今年72歳になる加藤 昭先生です。

教材は全てオリジナルで、加藤先生の手書き。
独特の指導方法は口コミで広がり、
今も現役で、中学生・高校生たちを教えています。

私は、1999~2002年までの
高校3年間、この塾に通いました。

いきなり自分の話になって恐縮ですが、
私は、在日韓国人として生まれたので、
将来の職業の選択肢は無いと思っていました。
親から言われていたのは「医者か、弁護士」。
今思っても、すごい選択肢です。

親が決めたレールを踏み外さないように
生きていくしかないと、
未来に夢を持てずにいた高校時代。
先生の「Be free!未来はEmpty canvas!」
という言葉と出会います。

そこから私は、色んな事に挑戦するようになり、
誰かや何かのせいにすることなく、
生きる事が出来るようになりました。
私にとって間違いなく、
人生の恩人とも呼べる存在です。

今回、15年ぶりくらいに会う先生と、初めて深く
「自由」や「夢」について語り合った2時間。
今だから聞けた話が沢山ありました。

私と同じ境遇ではなくても、
自分の未来に期待できないでいる誰かに、
先生の言葉が届くといいなぁ、と願いながら
全5回にまとめました。
少し長めですが、お付き合い頂けると嬉しいです。

担当は、ほぼ日の塾 5期生の三木佳世子です。

プロフィール
加藤 昭さんのプロフィール

第1回 偏見が氷のように溶けた。

加藤先生との約束は、平日の夜19:30。

先生と最後に会ったのは、
「NHKで報道番組のディレクターになります」と
報告に行った大学生のとき。
今回は「辞めました」の報告という事もあり、
前よりもっと緊張していました。

先生はちょっぴり怖くて、
私はまだ、二人きりでゆっくりお話をした事がありません。
先生は、可愛い女の子としか食事に行かない
というハードルもあり‥‥(笑)。

今回、思い切って連絡をしたところ
「しばらく旅行中」との返事が。
「取材はこれまで全部断っているんだよね」とも。
しかし先生は旅行帰りのその足で、
私に会って下さるというのです。

チューター(塾を卒業した大学生)に案内され、
教室で、先生を待つこと数分。

ドアを開けて入ってきたのは
トレードマークのサングラスをかけた、加藤昭先生。
15年ぶりの再会です。

三木
先生お久しぶりです。
今日はお忙しいのに、お時間ありがとうございます。
先生
うんうん。
三木
ご旅行ということでしたけれど、
どちらに行かれてたんですか?
先生
ひみつ♡
三木
怪しい。(笑)。
本当にお変わりないですね!
今日すみません、カメラマンも同席させて頂きます。

先生
じゃぁ、せっかくだから、
私のトレードマークのサングラスのところも
ちょっと撮ってもらおうか。
三木
そうですね。
先生
授業はこれでやらないけどね、さすがにね。
三木
先生 かっこいいです!
(高校生の時には先生のサングラス姿が、
怖かったのですが、もう怖くありませんでした)。

先生
あのー、タモリさんが私に間違えられた話があるんだよね。
タモリさんが「笑っていいとも」の最初の掴みの話で、
「俺、昨日ラーメンを食べに行こうと思って歩いていたら、
若い男に話しかけられて『加藤先生ですか』って言うから、
『違うよ』って言っても
『絶対加藤先生でしょう』って言うけど、
その加藤先生って誰?」って(笑)。
三木
って言ったんですか、テレビで?へー!
先生
その夜に、高田馬場で一番おいしいラーメン屋に行ったの。
で、その話したら
「昨日タモリさんいらっしゃいました」って。(笑)。
三木
やっぱり!
高田馬場でその格好で歩いてると、
加藤先生の方が有名ってことですね(笑)。
先生
タモリさんも心外だっただろうね。
「俺タモリだけど分からないの?」みたいな。
三木
本当にそうだと思います。
先生
まあまあ。

三木
今回、ほぼ日の課題をするっていうことになって。
その課題3が、自由って言われたんですよ。
何にしようって思ったときに、加藤先生に会いたいなって。
先生
なるほど、へぇ。
NHKには10年くらいいたんだっけ、12年だっけ。
三木
13年目で、去年の夏に辞めました。
先生
出産とかが きっかけで?
三木
そうですね、子どもを産んで復職して
2年くらい働いてたんですけど‥‥。
先生
一度知らせがあったときに、番組見たよ。
いい番組だったよ。
三木
嬉しい‥‥ありがとうございます。
先生
ふふふ。自由課題か。
自由、Be freeだね。私の生き方、Be free。
三木
そうですね。
先生の仰るBe freeがすごく心に残っています。
先生
話したかな。Be freeにはもう一つ、意味があるんだよ。
Be free from any prejudice.
あらゆる偏見からフリーになろうっていう。
私のポリシーが込められているの。
三木
えー!そういう意味もあったんですね。
先生
そう、Be freeなの。
世界中の人がBe freeにならないとダメなんだよ。
今さ、小さな日本の島国根性で、
ネトウヨみたいなのがいるじゃない。
ナニ人とナニ人は出て行けとか、帰れとかさ。
日本で生まれ育って
日本の社会のために頑張ってる人たちが多いのに。
そういう人たちに対する偏見があるよね。
三木
なんで先生は「偏見からBe free」と思うに至ったんですか。
先生
実は、自分に忌まわしい記憶がある。
絶対に話さないことだけど。「実は‥‥」ってやつで(笑)。
課題2「打ち明け話」を読んでくれていました)。

三木
はい、実は‥‥。
先生
小学校の低学年の頃だと思うんだよ。
近所に、大人たちが「朝鮮人朝鮮人」って言って、
みんなで馬鹿にしている貧乏な家があったの。
傾きかけた藁ぶきのね。
そこには、おばあちゃんが住んでいたの。
 
ある日上級生がさ、下級生我々を連れて、
「今日は面白い遊びをしよう」って。
「あの朝鮮人のばばあをからかって泣かせよう」と。
「変な泣き方するんだよ」って。
三木
悲しい‥‥。
先生
行ったら、ちょうど外に出てきたところで、
子どもたちが「朝鮮人、朝鮮人」って。
そうしたらおばあちゃんは、
なんとかって、ハングルでしゃべったと思うけど、
さらにからかって、石投げたの。
そのうちに、泣き出したの。「アイゴーアイゴー」って。
それを見て、子どもたちは、
「わーー、変な泣き方したーー」ってわーっと走り去る。
三木
はい。
先生
それが、どんなひどいことなのかも分からなかったの。
そうするもんだと思ってたの。
でも大学受験で日本史を勉強した時にさ、
だんだん分かってくるんだよ。
なぜ日本にいるのか、歴史的なことが。
そしてものすごい反省したのね、そのことを。
 
決定的なのはね、大学入ったときに
専門で朝鮮語を学んだの。
三木
そうなんですね。
先生
うん。
言語学だから、語学的なしくみを学ぶんだ。
そのときに、言葉の美しさに触れるんだよ。
そうすると、偏見がなくなるのね。
子どもの時に植え付けられたものってあるじゃない。
でもそれが本当にね、
氷が溶けるみたいに溶けていくのね。
そしてすごく、そこの言葉と文化をリスペクトする。
それが、語学の素晴らしさだと思うよ。
三木
そっかぁ。
先生
たとえば、英語。
電車の中でネイティブが、流ちょうな英語を喋ってると、
わぁ!って憧れたりするじゃない。
三木
うん。カッコいいなって。

先生
カッコいいなって。
そうするとアメリカに対するリスペクト出来るじゃない。
それと同じなのね。
でもさ、自分の知らない言語だとうるさいなって思ったり、
何を喋ってるんだって思ったりするじゃない。
 
語学の勉強をするっていうのは、
その国の文化やその国の人をリスペクトするっていうこと。
それが素晴らしいなって。
三木
そっかぁ。
偏見からBe freeになるための、語学勉強だったんですね。
先生
そうそう。

(続きます。)

第2回 優しさは力の中にある。