新卒で大学を卒業してから10年以上、
テレビのディレクターという仕事をしていた。
人の話を聞くときに必ず書いていた、
B5の取材ノートに通しでつけていた番号は、
121が最後となった。
東京1年、長野4年、東京戻ってきて4年、妊娠出産、
育休明け時短で復職して2年‥‥
いろいろと思うところがあり、昨年の夏、辞めた。
辞めたことに後悔はしていないけれど、
あれほどまでに沢山の、色んな境遇の人たちの
「打ち明け話」に向き合うことはもうないのかな‥‥と思うと、
ちょっぴりさみしくなる。
私にとってテレビのディレクターという仕事は、
「打ち明け話」を聞くこと、だった。
テレビを作っている人たちはきっと
それぞれに、その仕事を選んだ理由があって、
仕事を通して実現したいことがあるのだと思う。
とにかく沢山の人を笑わせたい、とか。
感動させたい、とか。
あまり行けないような場所、たとえば南極とかに
ずっと滞在して自然番組を作りたい、だとか。
『世の中にある課題や、
小さくてなかなか聞こえてこない声を拾い上げ、
目に見える形にして伝えることで人の心を動かし、
違いを認めあえる世の中にしていきたい。』
これが、2005年の私がエントリーシートに書いた、
ディレクターを志した理由。
私は、自分が番組を作ることで、
世の中から差別がなくなり、偏見がなくなり、
いじめがなくなり、
人と人とが違うことにより生まれる悲しい出来事が、
一つでも減っていって欲しい‥‥
減らしていきたい、と本気で考えていた。
知らないから怖くて、拒絶反応が起きることって沢山ある。
例えば、同性愛者。例えば、外国人。例えば、障がいのある人。
自分の身の回りにいれば、
同じように泣いたり笑ったりして生きる人間だと分かれば、
違いを認め合える優しい気持ちが増えていくかもしれない。
実生活で出会える人は限られているから、
この広い世界に生きる、多様な人たちのことを、
テレビを通して知って貰いたい。
その為には、社会の中でマイノリティとされる人たちや、
逆境の中で頑張って生きている人たちに、
取材を引き受けて頂かないといけない。
なので、テレビのディレクターという仕事を通して、
私が一番喜びを感じていたのは、やっぱり、
取材を引き受けて下さった人から
「実はね‥‥」「こんな事があってね‥‥」という
打ち明け話をしてもらったときだった。
アイドルになりたくて、性的なビデオに出ていた少女。
障がいがある可能性が高いと知った上で、
子供を産むと決断し、育てている家族。
認知症で行方不明になった母親を今も探しつづける兄妹。
母親との関係が原因で拒食症になった女性とその母親‥‥。
本当に皆さん、たくさんの打ち明け話をして下さいました。
私はそのたびに、テレビという、
特大の拡声器のような道具を使って、
目の前の人の想いや言葉、「打ち明け話」を、
全国津々浦々で暮らすたくさんの人たちに
一気に届けてしまえることが、ほんとうにすごいことだなぁ。
重いなぁ。ありがたいなぁ。と思いながら、仕事をしていた。
(つづきます)