もくじ
第1回「打ち明け話」が聞きたくて 2019-02-26-Tue
第2回「あなただから」が嬉しくて 2019-02-26-Tue
第3回「打ち明け話」へのあこがれ 2019-02-26-Tue
第4回「打ち明けてはいけない」 2019-02-26-Tue
第5回今ここで「打ち明ける」 2019-02-26-Tue

NHKで10年以上、報道番組のディレクターをしていました。今はサイボウズという会社で働きながらいくつかの複業をしています。
パラレルキャリアでワーキングマザー。
ほんとうのことを、ありのままの自分で伝えていける人になりたいと日々試行錯誤中です。

私の好きなもの「打ち明け話」

担当・三木 佳世子

第2回 「あなただから」が嬉しくて

「打ち明け話」には、人の心を動かす力がある。
社会を変える力がある。
 
沢山の人の打ち明け話を、
番組を通して世の中に伝える中で、
私は確信を強めていった。

同じ経験をした人はきっと他にも沢山いる。
でも、言葉にして伝えるという選択をする人は、
そんなに多くはない。

むしろ、本当ならば隠しておきたい。 
なのに、それを敢えて言葉にして伝えるからこそ、
その人の言葉に心を動かされるし、
あぁ、そんな境遇でも頑張って生きている人がいるんだと、
辛いのは自分だけじゃないんだなと思うことが出来る。

特にその内容が、辛い経験や悲しみについてだったとき。
誰にも打ち明けられずにいた、
ずっとずっと心に抱えていた孤独を、
その打ち明け話によって、重ねあえたとき。
目の前の人の生きてきた軌跡に触れられた気がして、
その人の人生を丸ごと愛しく思う。
生きるっていいな、って思う。

私は、取材相手の一人ひとりのことを、
大好きだなぁ、愛しいなぁと思いながら、仕事をしていた。

長年胸にしまっておいたことを、カメラの前で話すということ。
そこには、ものすごく勇気と覚悟が必要だと思う。

その覚悟とは比べられないけれど、
質問をする側にも覚悟が要る。
目の前の人を傷つけてしまうのではという恐怖もあった。

でも私は、カメラの横から、質問を投げかけなければならない。
「その時、どう思いましたか」
「なぜ、その行動をしたのですか」
「今、何を伝えたいですか」。

覚悟と覚悟のぶつかり合い。
そこでしっかりと打ち明け話を聞ききらなければ、
取材相手の本意が伝わらず、中途半端な言葉が
テレビという巨大拡声器で世の中に広がってしまうから。
そうなることは、一番、取材を引き受けて下さった人に対して、
失礼なこと、あってはならないことだと考えてきた。

ディレクターである私は、少しでも番組に出るという経験が、
取材を引き受けてくれた人にとってもプラスになるようにと、
伴走を続ける事しか出来ない。

たとえ夜中でも、10代の少女から「辛い‥‥」と連絡が来れば、
少女が暮らす街までいって、ファミレスで話を聞いた。
独り暮らしのおばあちゃんと、こたつでお茶を飲んで、
孫の話を日がな一日聞いていたこともある。 

非効率、かもしれない。

でも、私は、人と人の繋がりが大切で、
その上でテレビの番組を作っていたかった。 

そんな姿勢で仕事をしていると、
時には、他のディレクターや記者が取材を申し込んで
取材拒否をされていた取材先の人でも、
私が訪ねていって話をすると、
取材を引き受けてくれるということがあった。

「なんで、引き受けようと思ってくれたんですか」と聞くと
「三木さんなら、分かってくれそうって思ったから」と、
言って貰えることが多く、そのことが私の自信になった。

「あなただから、打ち明けようと思ったのよ」

その言葉が、私にとって、
私が私として生きる大きな支えになっていたことに、
今回、このエッセイを書いて気づいた。

「打ち明け話」が私にくれたものは
想像以上に大きそうだ。

(つづきます)

第3回 「打ち明け話」へのあこがれ