もくじ
第1回「打ち明け話」が聞きたくて 2019-02-26-Tue
第2回「あなただから」が嬉しくて 2019-02-26-Tue
第3回「打ち明け話」へのあこがれ 2019-02-26-Tue
第4回「打ち明けてはいけない」 2019-02-26-Tue
第5回今ここで「打ち明ける」 2019-02-26-Tue

NHKで10年以上、報道番組のディレクターをしていました。今はサイボウズという会社で働きながらいくつかの複業をしています。
パラレルキャリアでワーキングマザー。
ほんとうのことを、ありのままの自分で伝えていける人になりたいと日々試行錯誤中です。

私の好きなもの「打ち明け話」

担当・三木 佳世子

第3回 「打ち明け話」へのあこがれ

なぜ、こんなにも「打ち明け話」が
自分にとって大切なのか。
振り返ってみると原点は、子どもの頃にさかのぼる。

小さい頃、私はうまく話せない子供だった。
 
親や周りの人が求めることに
応えなければと考えているうちに、
頭の中をぐるぐる言葉が巡って、
ようやく小さな喉を震わせようかという時には、
大人たちは、私に話しかけたことすら忘れたように
大人同士の会話に戻っていた。

私は、唇の端にまで出かかっていた言葉を、
もう一度喉の奥へと戻し、自分の履いている
小さな黒い革靴のつま先を眺めるしかなかった。

記憶に残る景色は、常に色調が暗く、
怒鳴り声と、母親のため息でいっぱい。
とにかく、早く大人になりたいと考えていた。

私は一人っ子で、両親は仲が悪く、
自分の部屋でひとり、布団を頭からかぶって、
怒鳴り声が耳に入らないようにと震えていたこと‥‥。

どこかのビルの踊り場で、
父親が振り下ろしたこぶしで、母の日傘が折れたこと。
その間に入って、喧嘩をやめてと泣きながら懇願したけれども
やめてくれなかったこと‥‥。

幼いころの記憶をたどると、
寂しい・悲しい・つらい・苦しい、といった感情ばかりが
今でもあふれ出てしまう。

休日に当たり前のように、
子どもの手を両側からひいて歩く親子の姿が、
私には羨ましくてならなかった。

物心ついてからの私はずっと、
自分と他の人との間に、薄い卵の膜のような、
柔道でなかなか組手にならない時の、
あの、手を前に出したままぐるぐると回っている時のような、
そんな、近づきたいのに近づけない距離を感じていた。

さらにつらかったのが、小学校でのいじめ。

関西で生まれ育っていた私は、
親の仕事の都合で、幼稚園の時に東京に引っ越し、
東京で小学校にあがることになった。
関西弁の私は、子供たちにとって格好のいじめの的だった。

内向的、だけれども負けず嫌い、
そして、子供同士の付き合い方も知らない‥‥という
変なイントネーションで話す、背の高い女の子は、
どうしても周りに馴染むことが出来なかった。

〝ほんとうに自分が感じていること〟
〝ほんとうに自分が考えていること〟。

自分の中に浮かんだ言葉や思いは、口から出すのではなく、
1人机に向かって、紙に鉛筆で書きつけることでしか
表現することができなかった。

そのころ「アンネの日記」を読んだ私は、
日記帳に名前をつけて、
日々の出来事や想いを書き綴ったアンネに自分を重ね、
自分も日記帳に「キティ」と名前をつけ、
世界で唯一、打ち明け話が出来る相手として、
毎日毎日、長い時間日記帳に向き合っていた。

「打ち明け話を、誰か、生身の人としてみたい」。

それが私の夢だった。

(つづきます)

第4回 「打ち明けてはいけない」