もくじ
第1回座長と劇団と私 2019-03-19-Tue
第2回ゼロの感情 2019-03-19-Tue
第3回「本当」じゃない理由 2019-03-19-Tue
第4回原点はずっとある 2019-03-19-Tue
第5回期待される答え 2019-03-19-Tue
第6回私が思う「やめること」 2019-03-19-Tue

「記事」を考える日々を経て、東京で「広告」を考える日々を始めました。
言葉にする仕事をしながら、言葉にできないものをいつも探しています。

「やめること」の舞台裏話

「やめること」の舞台裏話

担当・宝来

第4回 原点はずっとある

座長
もう劇団を解散してからずいぶん経つけど、
私は完全に演劇そのものから離れてるじゃない?
劇団員たちの何人かは、
なんらかの形でそこそこ続けてたりするけど、
私は完全に手放しちゃってるから。
宝来
それも不思議だったんですよ。
劇団だけじゃなくて、演劇もまったくやらないとは
思いませんでした。
座長
私はその、原点が演劇なのかって言ったら、
もっと根本的な衝動みたいなものは違って‥‥。
劇団やってても、裏で小道具つくってるのが
けっこう面白かったりとか。
公演までの過程がね。
‥‥あの、演劇の練習はそんなに好きじゃなかった(笑)。
宝来
そうなんですか!(笑)
座長
なんか裏方で物つくってたりとか、
舞台の演出をすることだったりとか、
とにかく総合的にお祭りっていう感じが好きだったのね。
宝来
それはわかります。私も好きでした。
座長
だから、一緒にやってたプロの舞台女優さんからも
「もっとお芝居に絞って頑張ったらいいのに」とか
言ってもらっても、有難いけど全然そんな気なくて。
その頃はそれがなんでかわからなかったけど、
今、引いた時に演劇が恋しいと思わないってことは、
やっぱり、ね?
宝来
あー、そうか。原点は演劇じゃなかったからですね。
じゃあ、座長の原点はなんだと思いますか?
座長
思い起こすと、小さい頃、
いらない紙にずっと絵を描いてたっていうそういうのが、
一番のなにか原点で‥‥。
宝来
あぁ~。
座長
当時めずらしかった36色の色鉛筆とかを買ってもらって、
パッと開けた時、その色彩に「うぉ~!」って感動して、
その鉛筆を削ったり、色を塗る作業が加わって、
それがどんどん発展していって
なにか物をつくったりするようになって。
演劇も、子ども劇場とかって色彩が溢れてるじゃない。
それが「おもしろーい!」って思って。
宝来
あぁ、それが劇団に繋がってるんですね。
座長
うん。べつに演劇がどうのとか、
表現することがどうのとかじゃなくて、
やっぱりなにかこう色彩とか、造形していくこと?
色彩あふれるものに携わっていくのが面白くって。
今もコサージュとかランプとかつくって
販売したりしてるけど、
それって演劇とまったく違うことをやってるわけじゃなくて、
全部が原点から演劇を通った延長上なのよね。
宝来
演劇も物づくりも原点は一緒なんですね。

座長
そう。例えば、宝来ちゃんが演劇をやる前から
ずっと物を書いてたっていうのと一緒で。
学生時代に文芸部で物語を書いたり、
趣味でブログを書いたりしていた延長で、
ちょっとそこに自分の実像を投じてみたくなって、
それが流れとして演劇になったりとかして。
それって書くことと演劇が繋がってなくはないよね。
宝来
そうですね。
私の中では書くことと演じることはかなり近いです。
自分でも気づいたのは最近ですけど。
「書くこと」が原点だと思いこんでたんですが、
もっと原点に近いものが他にあるんじゃないかと思ってます。
座長
勝手な私の解釈だけど、
宝来ちゃんにあるスキルとか持ってるものって
全部手段でしかなくて、最初の衝動っていう原点が
今に繋がってるんじゃないかと思うのね。
あくまでもスキルとかって、自分の衝動を、
見える形とか、聞こえる形とか、
五感で感じる形にするための手段じゃない?
宝来
たしかに。書くことをやめても、
なにかで「伝える」っていうことは
やめられない気がしますね。
座長
2人とも最初の衝動というか、原点が、
言葉でまとめてしまえば「想像すること」だから、
手を動かしたら物がつくれていくし、
言葉にすれば台詞になったり、物語になったり、
そういうことかもしれないね。
宝来
あぁ、そうかもしれないです。

(つづきます)

第5回 期待される答え