- 座長
-
やっぱり、こうやってやめた理由を話してみても、
本当の理由じゃないのかも、って思う。
聞かれれば「やめた理由はこうなんだよ」って、
それっぽいことを言ってしまえるけど。
やめた時から今まで時間もそれなりに流れてるから、
やめたその瞬間に考えた事はもう話せないし。
- 宝来
- たしかに。
- 座長
-
いや、なんかね、劇団を解散した時もまわりに
「演劇をやるのに、疲れたの?」とか、
「なにかあったの?」とか言われたりもして、
「舞台つくるの、毎回しんどかったもんね~」とか
返してたんだけど。
その時に返した言葉って、ぜんぶ「本当」じゃないんだよね。
- 宝来
- 「本当」じゃないっていうのは‥‥?
- 座長
-
人ってさ、あとから一生懸命、理由を言うじゃない?
やめた理由とか。
その時の自分の精神状態がこうだったからとか、
こういう状況だったからとか。
- 宝来
- はい。
- 座長
-
でも、人間の脳って嘘をつくらしいね。
自分がいいように脳が記憶を都合よく変えたりするって
いうじゃない。
- 宝来
- あぁ、はい。いいますね。
- 座長
-
だから、なにか理由を説明しようとか、
なにかを自分の中で定義づけしようとして出てきた言葉って
あんまり信用できないんじゃないかって思うんだよね。
- 宝来
- あー、うーん。なるほど‥‥。

- 座長
-
歳とってくると、だんだんそうなってくるんだよ(笑)。
宝来ちゃんは年齢のわりに思考が年くってるから、
なんとなくニュアンス的にわからんでもないな、と
思ってるだろうけど。
- 宝来
- そうですね(笑)。
- 座長
-
でも、そうは言っても、宝来ちゃんもまだ若いから、
自分を確立することとか、
自分とは何者なんだとかに興味があったり、
自分らしさに価値を見出したりとかすると思うのね。
なんのために自分は生きてるのか、とかね。
それは当たり前のことだと思うんだけど。
- 宝来
- はい。
- 座長
-
でもだんだん、自分が思ったことや言ったことでも、
本当のことってなんだろうって。
やめる時だって、それを正当化するために
理由なんてそこでつくってしまうんだろうし、
つくってしまえば自分の中で事実になってしまうから。
- 宝来
-
そうですね。その時につくった理由も
どんどん変わっていくかもしれないし。
- 座長
-
その時に言ったやめる理由と、今のやめた理由の
どっちが「実なのか虚なのか」といわれると‥‥。
当時はやめる理由をまわりにも話したと思うけど、
今はそれが本当かはわからない。
でも、自分の言ってることを
「本当かどうかわからないな」って思っている今が、
私は面白いというか、いいと思ってる。
- 宝来
-
あぁ、でも「本当かどうかわからない」っていうのが
自分のいちばんの「本当」みたいな気がしますね。
(つづきます)