もくじ
第1回19年ぶりに開いた通知表 2019-03-19-Tue
第2回はじめまして。2年4組 2019-03-19-Tue
第3回生活科・エナジースティックと自由電子!? 2019-03-19-Tue
第4回先生の軸〜授業を通して〜 2019-03-19-Tue
第5回先生の軸〜掲げ続ける目標〜 2019-03-19-Tue
第6回ずっと出せずにいた宿題を 2019-03-19-Tue

編集者1年生。駆け出しだからこそ、ぶつかっても、転んでも、駆け抜けたい。

20年目のつうしんぼ

20年目のつうしんぼ

担当・柴田真帆

第6回 ずっと出せずにいた宿題を

今回、先生に会いに行ったのは取材が第一。
でも本当はもう一つ目的があった。

ずっと抱えていた宿題のようなものを
先生に提出し、見てもらうこと。

話が脱線するようだが、
先生と私の母を含め同級生の母親達は
我が子が卒業しても半年に一度は
「先生を囲む会」と称して飲み会を開き、
そこで、我が子の近況報告、情報交換を行っていた。
そんな中、社会人になって数年目、
メーカーの営業職になった私のことを先生は
「真帆ちゃんがそういった仕事に就いたのは、
ちょっと意外だったな」
というニュアンスのことを話していた、
と母づてに聞いた。

あんなにも私に向き合い、理解し、
こんな風に成長してゆけるよ、と
授業や普段の会話や通知表を通じて
勇気づけてくれた先生が、
意外に思う“今”を過ごしている私。

実は一番、私自身が、“今”の自分に意外性を、
いや、違和感を抱き、それを心の底に押し込めていた。
メーカーの営業職。それは全く悪いものではなく、
一つの働き方の選択肢として真っ当だった。

でも何年働いても、サイズの合わない着ぐるみをに入って
ジタバタもがいているような感覚があるのも事実だった。

だから先生の
「真帆ちゃんがそういった仕事に就いたのは
ちょっと意外だったな」
は、ずしんと刺さった。

そして刺さった一言は、徐々に存在感を増していった。
先生に対しても、ずっと出せていない宿題を
手元に残しているような気持ちでいた。

そんなとき、前述の転職を決意。
最後まで迷いのあった、私の背中を押したのは、
先生が卒業しても毎年年賀状で贈ってくれて言葉。
「どちらに転んでもシメタ!」だった。

どちらの道を選んでも、私はきっと大丈夫。
改めてそう思えたら、もう躊躇いはなかった。
小学校を卒業してから19年目。社会人9年目。
思い切って私は転職した。

転職後、あっという間に慌ただしさに飲み込まれ、
先生に報告に行けずのまま時間が過ぎた。
正直、転職して起きた変化の全てに
「シメタ!」とはまだ思えていない。
でも等身大の私は、もう着ぐるみを着ていない。
もがいているけど自分の姿のままで、もがけている。
それが一番「シメタ!」と思えているかもしれない。

そして例によって、母から先生のことを耳にする。
「あと2年で定年退職なんだって」と。
モタモタしていたら、先生が学校からいなくなってしまう。

そんなときこの課題。
先生に会いにいく動機は
・取材:先生の教師としての姿勢を聞く
・報告:転職のこと≒未提出の宿題を提出
この2本立てだったのが正直なところだ。

ほぼ日の塾、3つ目の課題、
「自由にコンテンツを」。
この大らかなテーマに甘えて、
私は先生に、一大人として取材をしながら、
もう一度生徒として、再会を果たすことができた。
この課題に、この機会に、心からの感謝を述べたい。
ありがとうございました。

最後に、先生のことを
20年前と同じ、馴染みの呼び名で、こう伝えたい。
「あきせん! 
 どんな状況でも、私もこれが目標です。
 いつも元気で笑顔です!」

おわります。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。