この日の生活科の題材は、
通電すると音と光が出る「エナジースティック」。
前回の授業では、スプーンや釘、割り箸、そして人間、
どれが電気を通すのか、電気を通すものには
どんな共通点があるのか皆で確かめたそうだ。
そして「“自由電子”なるものを持つものは光る」
という結論がクラスの共通認識になったところだった。
小学校2年生が“自由電子”なんて言葉を
口にしているのは大変な衝撃だった。
私にはそれをきちんと説明できる自信はまるでない。(笑)
エナジースティックを用い、
今回はキュウリとバナナが電気を通すのか実験を行う。
先生が質問を投げかけ、決を取る。
「キュウリをエナジースティックで試したら、
スティックは光るでしょうか。
光ると思う人? 光らないと思う人?」
それぞれが何人か黒板に書き留めたのち、
その理由を問うと驚いたことに、
クラスの8割ほどが一斉に手を上げた。
一人ずつ先生に当てられると次々に意見を述べる。
●光らない派の意見
「キュウリは野菜です。野菜に自由電子はないです。多分」
「植物(?)だった木の割り箸は光らなかった。
キュウリも植物だから同じで光りません」
「なんとなく!」
●光る派の意見
「野菜は水分だから、
水は電気を通すって聞いたことがあるから」
「人もキュウリも生き物だから光る」
「キュウリの表面はピカピカしてるから光る」
ここで驚いたのが、小学校2年生が
「光る派の◯◯さんの意見に反対です」
「さっきの▲▲さんに意見に賛成で、自分はこう思います」
「□□さんはこう言ったけど、それに反対です。
なんでかと言うと…」
と自分なりの予測とその理由(意見)を
かなりきちんと述べていたことだ。
普段、無意識に衝突を避け、
空気を読む大人の風潮は、ここにはまるでなく、
「賛成」「反対」を堂々と述べて、
意見をぶつけ合う小学生たちの眩しい姿があった。
一連の発言を聞いて、意見を変える人はいるか、
いるときはなぜ変えることにしたのか、
先生が一人ずつ問いかけ、
そして最後の決が取られた後、実験が行われた。
結果、キュウリは光った。
光る派は大歓声。
光らない派は「えぇー」と声をあげつつも、
その表情は「どうしてだろう?」と関心に満ちていた。
なぜキュウリが光ったのか先生の解説を聞くと、
満足気に頷く子、まだ少し合点がいかないのか
首をかしげる子、キュウリ食べたい!と言い出す子など、
また教室は賑やかになった。
バナナも同様の流れで実験まで行われた。
キュウリが光ったことを踏まえ今回は、
光る派が大多数。
対する少数の光らない派は、
「キュウリは野菜で、バナナは果物だから」
「皮の厚さが違うから」
「バナナはキュウリよりもピカピカしていないから」
「水分の量が違うから」
「甘い物は光らないはずだから」
と、これまた自由な発想が展開された。
バナナが電気を通してスティックが光ったところで
チャイムがなり、来週の生活科の授業に
「なぜキュウリとバナナが電気を通すのか」
解説は持ち越されることになった。
(つづきます)
