先生
真帆ちゃんが「すごい!」て思ってくれている、
用紙を追加するくらい長く通知表を記しているのは、
実はすごいんじゃなくて、
私が短くまとめられないからだよ。だらだら書いちゃっているのかもしれないって
思うこともある。
あとね、生徒から書く種をもらってもいるの。
今も続けてる生徒同士の「ステキ探し」。
生徒の視点って、私が気づけていないことも
やっぱりあるんだよね。読むと、
(なるほどなぁ)とか(そうか!)て思えたり。それからね、通知表の記入は己の評価でもあるんだ。
「私はこの子の何を見ていたんだろう」
って後ろ向きの反省もあるし、
「こんなところを見れていたぞ」
って前向きになれるときもある。
何十年と仕事をやっていても、
毎年違うこどもたちとの出会いの連続だから
同じことの繰り返しは一度としてないんだよね。これを続けるエネルギーがどこから来るのか……。
それは教師って仕事が
「こんなに有り難い仕事はない」て思っているからかな。
自分が発信すること(授業)に、
「ありがとう」を言ってもらえるなんて。
だから、こどもには
その子が楽しいなと思える場所が見つけられたらいいな、って
すごく思う。
先輩の先生が
「良い教師とは、そっと自分の存在を忘れさせて、
生徒に生きる力を与える教師」
って言っていたのは、
まさにその通りなんだよね。
だから、先生が書いた通知表をずっと覚えていてほしい、
なんて全然思ってないんだよ。
私
変わらないと言えば、先生が年賀状に書いてくれていた言葉。
「どちらに転んでもシメタ!」
これ5、6年生のときの年賀状から定番ですよね。いつの間にか刷り込まれてて、
大なり小なり、悩み事があったとき、
選択をしないといけないとき、
この言葉が寄りどころになっています。
どっちを選んだとしても結果として、
自分が「シメタ!」「これがよかったんだ」
と思える未来にしようって覚悟をしたいときにも、
どっちを選んでも転んでも、きっと得るものはある、
って張り詰めている自分を緩めてあげるときも、
思い浮かべるんですよ。
先生が投げかけてくれていた
想いってこれで合っていますか?
先生
うん、そうだね。
その言葉、仮説実験授業の板倉先生のものなの。
担任した生徒に伝え続けている言葉だけど、
実はね、先生が自分自身に掲げた目標なんだ。教室の後ろ、教壇から必ず見える左端に、
もう30何年あの紙が貼ってあるの。
画鋲のあとがたくさんになっちゃった。
真帆ちゃんの担任のときも貼っていたよ。
どんなにことがあっても、
「シメタ!」って思える心でありたい、て
ところと、
大きく書いてある
「いつも笑顔で元気です」これは、
モットーであり、目標なの。
どんなに腹が立っても、悲しくても、
生徒の前では笑顔で元気でいたい。
だから絶対に目に入る場所に貼っているんだよ。ありがとう、て思ってくれる生徒に対しての
先生の責任でもあるのかな。
元気で笑顔でいることが。

(つづきます。※次で最後です)
