もくじ
第1回洋服は憧れそのもの 2019-03-19-Tue
第2回洋服が着たい、洋服を作りたい 2019-03-19-Tue
第3回東京で洋服を作りたい 2019-03-19-Tue
第4回1日1本を仕上げられたら一人前 2019-03-19-Tue
第5回洋裁仲間がいたから続けられた 2019-03-19-Tue
第6回今が一番楽しい 2019-03-19-Tue

フリーで書籍の編集とライターをしています。陽気な母との暮らしを満喫中。シーズンごとに急に体を動かしたくなって、ランニングをしたりトレッキングに行ったりします。趣味は合唱。昔とった杵柄です。

85歳、看板を出さない洋裁師さん

85歳、看板を出さない洋裁師さん

担当・さとうえみこ

第4回 1日1本を仕上げられたら一人前

東京で母が最初に勤めたのは、
友達の親戚が経営する小さな洋裁店でした。
従業員は洋裁師の女性が4〜5人、配送の男性が1人。
宮城県では注文服ばかりを作っていましたが、
ここでの仕事はデパートに卸す婦人物の既製服です。
ごく普通の一軒家の寮に住みながら、仕事を覚えていきました。

1年半が経った頃、ちょっとしたごたごたがあり、
先輩の洋裁師がそろってやめることになりました。
母は、このまま店に残るのはまずいと思い、
友達になった洋裁師の女性と一緒にアパートを借りて、
今度は、工場で働きはじめます。既製服を作る工場です。

作業部屋がいくつもある大量生産の現場は、
これまでとは勝手が違いました。
仮止めのしつけをしないまま、動力ミシンを使って、
スピード最優先で仕上げていき、
「商品としてこれで通用するの?」と思うものが
完成品として納品されていきます。

既製品を作るという点では前の店と同じでしたが、
経営規模の違いからくる仕上がりの程度の差には
大きな違いがありました。
学校を卒業して最初に勤めた店で
丁寧な仕上げを第一とする注文服の縫製を覚えた母には、
どうしてもなじめないものがありました。

早々に工場をやめた母は、次は紳士物の注文服を
専門に作る洋服屋に勤め出しました。
1着数十万円もするスーツを作るその店では、
熟練の男性が上着を手がけ、
母は主にズボンを任されました。

「ズボンは1日1本作れれば一人前」。
店主からそう言われた母は、朝から晩まで手を動かしつづけ、
何日もかかってやり方を覚えていきました。
そうして2、3ヶ月が経った頃、ようやく一人前になれたのです。

――
お母さん、今でも縫い物をすることを
「仕事」って言うじゃない?
べつにお金をもらってやっているわけじゃないのに、
「仕事を始めると夢中になっちゃって、
ご飯を作るのも忘れちゃう」って。
あれはどういう意味で言っているの?
私の中で、洋裁イコール仕事、というのが、
染み付いちゃっているのでしょうね。
小さな洋裁店は、女ばかりの洋裁師が4〜5人という
ところが多いから、どうしても競争になってしまう。
仕上がりが悪ければ怒られて、泣いて。
やめようかと思うけれど、やめたらまた行くところを
探さなくてはならないから、我慢して。
ズボンの縫製を習った紳士物の高級注文服の店でも、
ずいぶん怒られたわ。
――
どういうことで怒られるの?
納期に間に合わせるために、
やむなく手を抜いてしまうこともあるじゃない?
そうすると、縫い方が悪いって。
――
それはちゃんとした上司だね。
注文服はすごくうるさいの。既製服と注文服では、
まつり縫いからなにから全然違うからね。

紳士物の高級注文服の店の仕事は、
結婚したあとも続きました。
通いではありません。自宅で作業を行う請負です。
店側は、注文が入ると採寸し、
それに合わせて生地を断裁して仮縫いをします。
その生地が、朝、自宅に届けられ、夕方、引き取られるのです。
その店との関係は、子どもが生まれてからも変わることなく、
父の転勤で茨城県に越すまで続きました。

もちろん、その合間を縫って、念願の我が子の
洋服作りに勤しんだことは言うまでもありません。
私のアルバムには、自分で覚えていないのが残念なくらい、
ふわふわのかわいらしい洋服を着た写真があります。

<つづきます>

第5回 洋裁仲間がいたから続けられた