東京で母が最初に勤めたのは、
友達の親戚が経営する小さな洋裁店でした。
従業員は洋裁師の女性が4〜5人、配送の男性が1人。
宮城県では注文服ばかりを作っていましたが、
ここでの仕事はデパートに卸す婦人物の既製服です。
ごく普通の一軒家の寮に住みながら、仕事を覚えていきました。
1年半が経った頃、ちょっとしたごたごたがあり、
先輩の洋裁師がそろってやめることになりました。
母は、このまま店に残るのはまずいと思い、
友達になった洋裁師の女性と一緒にアパートを借りて、
今度は、工場で働きはじめます。既製服を作る工場です。
作業部屋がいくつもある大量生産の現場は、
これまでとは勝手が違いました。
仮止めのしつけをしないまま、動力ミシンを使って、
スピード最優先で仕上げていき、
「商品としてこれで通用するの?」と思うものが
完成品として納品されていきます。
既製品を作るという点では前の店と同じでしたが、
経営規模の違いからくる仕上がりの程度の差には
大きな違いがありました。
学校を卒業して最初に勤めた店で
丁寧な仕上げを第一とする注文服の縫製を覚えた母には、
どうしてもなじめないものがありました。
早々に工場をやめた母は、次は紳士物の注文服を
専門に作る洋服屋に勤め出しました。
1着数十万円もするスーツを作るその店では、
熟練の男性が上着を手がけ、
母は主にズボンを任されました。
「ズボンは1日1本作れれば一人前」。
店主からそう言われた母は、朝から晩まで手を動かしつづけ、
何日もかかってやり方を覚えていきました。
そうして2、3ヶ月が経った頃、ようやく一人前になれたのです。
- ――
-
お母さん、今でも縫い物をすることを
「仕事」って言うじゃない?
べつにお金をもらってやっているわけじゃないのに、
「仕事を始めると夢中になっちゃって、
ご飯を作るのも忘れちゃう」って。
あれはどういう意味で言っているの?
- 母
-
私の中で、洋裁イコール仕事、というのが、
染み付いちゃっているのでしょうね。
小さな洋裁店は、女ばかりの洋裁師が4〜5人という
ところが多いから、どうしても競争になってしまう。
仕上がりが悪ければ怒られて、泣いて。
やめようかと思うけれど、やめたらまた行くところを
探さなくてはならないから、我慢して。
ズボンの縫製を習った紳士物の高級注文服の店でも、
ずいぶん怒られたわ。
- ――
- どういうことで怒られるの?
- 母
-
納期に間に合わせるために、
やむなく手を抜いてしまうこともあるじゃない?
そうすると、縫い方が悪いって。
- ――
- それはちゃんとした上司だね。
- 母
-
注文服はすごくうるさいの。既製服と注文服では、
まつり縫いからなにから全然違うからね。
紳士物の高級注文服の店の仕事は、
結婚したあとも続きました。
通いではありません。自宅で作業を行う請負です。
店側は、注文が入ると採寸し、
それに合わせて生地を断裁して仮縫いをします。
その生地が、朝、自宅に届けられ、夕方、引き取られるのです。
その店との関係は、子どもが生まれてからも変わることなく、
父の転勤で茨城県に越すまで続きました。
もちろん、その合間を縫って、念願の我が子の
洋服作りに勤しんだことは言うまでもありません。
私のアルバムには、自分で覚えていないのが残念なくらい、
ふわふわのかわいらしい洋服を着た写真があります。
<つづきます>