もくじ
第1回職業も日本酒。 2017-04-18-Tue
第2回ひとくちの瞬間に。 2017-04-18-Tue
第3回欲求不満が爆発寸前に。 2017-04-18-Tue
第4回いつも好きなものが支えてくれた。 2017-04-18-Tue
第5回「なぜ」がわかった日。 2017-04-18-Tue
第6回好きなものを仕事にすること。 2017-04-18-Tue

主に週刊誌や月刊誌、書籍などで執筆するフリーランスのライターです。
あらゆる酒、酒場や料理などについて書いていますが、
一番の専門分野は日本酒で、仕事をして10年以上。全国の酒蔵を訪ねています。
連載をいくつか、『蔵を継ぐ』(双葉社)という著書もあります。
そして、「夜ごはんは米の酒」をモットーに、
ほぼ毎日、飲みつづけるくらい日本酒が大好きです。

日本酒を好きになりすぎた私。

日本酒を好きになりすぎた私。

担当・山内聖子(きよこ)

第5回 「なぜ」がわかった日。

なぜ私がこんなに日本酒を好きになったのか。
おいしいとか造る人の想いに胸が打たれたとか
理由をあげたらキリがないのですが
ずっと釈然としない気持ちがありました。
私の母親は一滴もお酒が飲めない体質で、
父親はビールをコップ一杯飲めば顔が真っ赤になります。
小さい頃から日本酒を飲む環境があったわけでもなく、
両親が晩酌する風景をあまり見たことがありませんでした。
ところが、私は「夜ごはんは米の酒」とか言って
日本酒をぐびぐび飲むのんべえになって
仕事にまでしてしまいました。
なので特に母親は日本酒に目覚めて猛進しているときに
「東京の怪しげなバーで働いて酒蔵とか行って
お酒に溺れているんじゃないの」と心配していました。
アルコールをくちにすらできない母親は
飲み屋も酒蔵もどういうところか
想像ができなかったのだと思います。
いまとなっては、肝臓の心配はしているのですが
日本酒の仕事を応援してくれています。
それでも、私は「なぜ」がずっと引っかかっていました。
大げさですが、
ここまで人生に食い込んできている日本酒ってなんだろうと。
昨年のある日のことでした。
数年ぶりに母親の祖父母の家を訪ねたときのことです。
いつものように車で家へとつづく細い道を通って
駐車場に向かっていたのですが
そのとき窓から見えたものに、
私は動揺して慌てて声をあげてしまいました。
そこには、母親いわく最近、新しく建てたという
「麹屋」と書かれた石碑が(写真下)。
なんと、祖父母の家の屋号は「麹屋」だったのです。

「麹」とは米に菌を食い込ませて造る
日本酒を発酵させるために必要なものです。
現代ではどの酒蔵でも造られていますが
その昔は分業制で味噌や醤油に使うものだけではなく
日本酒の麹を造るところもありました。
ということは、
私の祖先は日本酒に関係していたのかもしれない。
はやる気持ちを抑えきれずに
祖母にさっそく話を聞いてみると
「うちは代々が麹屋で
ひいばあちゃんは甘酒造りの名人だったから
日本酒の麹も造っていたかもねえ。
そうだ、あんたのひいじいさんは婿養子なんだけれど、
うちに来る前は北海道で杜氏(日本酒造りのリーダー)を
やっていたんだよ」
はじめて聞く話に
興奮したまま自分が書いた日本酒の本を見せると
「あの世からきよちゃん(私)に
何かの白羽の矢が立ったのかもねえ」
祖母はページをパラパラめくりながら
さらにこうも言いました。
「あとね、ひいじいちゃんは
日本酒を“こったこた(ふらふら)”になるまで飲んで
リヤカーで運ばれて帰って来るような人だったんだよ」
私はうれしいとか感謝とかいろんな気持ちがぐしゃぐしゃになって
涙が出そうになったけれど
お土産で持ってきた一升瓶を差し出しながら
祖母と一緒に大笑いしてしまいました。
もしかしたら、私が好きになった日本酒は
ひいじいちゃんからの贈り物だったのかもしれません。
出会いを引き寄せてくれた場所は
ただの洗い場だったけれど。
生きていたら一緒に飲んでみたかったな。

(つづく)

第6回 好きなものを仕事にすること。