もくじ
第1回ハンドルは切ってみないとわからない。 2016-05-16-Mon
第2回友達だからできること。 2016-05-16-Mon
第3回僕にとってのヒマラヤ。 2016-05-16-Mon
第4回やっぱりお金のこと。 2016-05-16-Mon
第5回100万部売れるということ。 2016-05-16-Mon
第6回誰かが喜んだ話を聞きたい。 2016-05-16-Mon

外国にルーツを持つ中学生に、日本語を教えています。
ただでさえ難しい時期の中学生。友達が欲しかったり、受験を気にしたりと、
異国の地日本で、覚悟を決めて、懸命に生きている子供達です。
最近の趣味は、乗馬と、時々ジャズボーカルです。

「飽きない面白さ」を紡ぐ。

第2回 友達だからできること。

糸井
震災はでかいですね。でかいです。
「君たち、このままじゃダメだろう」
なんて言ったら
「お前はどうなの」って聞かれるわけだし。
ずっと思っていたのは、
何かをしてもらう行為を、素で受け取れるかどうか。
だから、それが友達かなって思ったの。
友達だったら、何かしてもらっても
素直に受け取れるよね。
古賀
そうですね。うんうん。
糸井
そうじゃない人から何かしてもらったら、
「ありがとう」に「ございます」がつく。
「いつか返さなきゃ」とかさ。
僕は、普通の「ありがとう」の関係に
なれたのかなって思っています。

普通のありがとうを超えたことをやったら
友達じゃなくなると思うんです。
あげればあげるほどいいってわけではない。

古賀
ああ、なるほど。
糸井
だから、余計なことって思われるようなことを
やっていないかは、
いつも考えるようにしています。
古賀
震災の時に、当事者じゃなさすぎるという
言い方があったじゃないですか。
もちろん、当事者になることはできないから、
それが友達ということなんですね。
糸井
親戚でも家族でもない。
家族だともう当事者に近い感じですね。
転校していった友達くらいの距離感かな。
悪口も言える仲。
古賀
うんうんうん。
糸井
「お前、それはマズイよ」って言いながら
いろんなやり取りができてさ。
それで一本考え方が見えたかな。
古賀さんは、その辺はどうですか。
古賀
僕はちょうどcakesの加藤貞顕さんと一緒に
本を作っている途中でした。
震災には何も触れずに5月ぐらいに出版する予定でした。
でも、何もなかったような顔をして
その本がポンと出てくるのは変だよねって、
とりあえず現地に取材に行きました。

現地を回って思ったのは、
ほんとに瓦礫がバーっとなってて・・・

糸井
まだ全然でしたもんね。
古賀
僕らが行ったのは4月だったので、
もう、ほんとに・・・
糸井
行くだけで大変だったでしょう。
古賀
大変でした。あまりにも大変すぎて、
今のところは自衛隊の方とか、
そういう方たちに任せるしかないと。
東京にいる僕らにできることは、
自分たちが元気でいることだけだ、と思ったんです。

僕らが下を向いて、つまんない本作ったり、
何でも自粛したりだとか。
そういうことになるんじゃなくて。
東京の人間が東を向いて何かやるというより、
みんなが意気消沈していたから、
意識をむしろ西に向けて、
「俺たちも頑張ろうよ」と言っていた時期でした。
瓦礫をみたら、それしか・・・

糸井
無力感ですよね。まずはね。
古賀
ええ、そうです。
何もできないなと思ったので。
糸井
何もできないという思いは形を変えて、
やりあげた人達に対する感謝と一緒に、
ずーっと小さく僕の中にも残っています。
今、ないんですからね、瓦礫。
ほんとにそういう力はすごいですよ。
古賀
僕も20年ぐらいかかるだろうと思っていました。
糸井
思いますよね。気配もないですよ。ほんとに。
古賀
そうですね。
糸井
ちょうど『モテキ』って映画を撮っていたのもあの頃で。
古賀
はいはい。
糸井
とにかく『モテキ』をやめないでやり続けるってのは、
大変なことだったと思うんです。
僕は、ごく初期の頃に
「本気で決断したことは
全部正しいというふうに思おうじゃありませんか」
みたいに書いていたんだけど、
「モテキ」の話は、大根(仁)さんからあとで聞いて、
やっぱりそうだったんだなって思いましたね。
古賀
なるほど。
糸井
あの時、みんなが生ぬるい物語を
どんどん作り出そうとしました。
そんなの何の意味もないのに。
僕はお節介で「まだ出番はあるから」
みたいな言い方をして、結構止めてた。

それは、自分自身にも言いきかせていたんです。
僕も、物語を作りたくなることもある。
だから、自分の肩書を中心に、
「その中でできることはないか」って考え方を
なるべくやめようとしました。
個人としてどうするかってのを
とにかく先に考えようと。

そうじゃないと、職業によっては、
今来てもらってもしかたがない場合もあるでしょ。

古賀
その通りです。
糸井
ギター抱えて出かけて行った人がいっぱいいたけど
「君には来て欲しいけど、君はね」ってところが
絶対あったと思うんです。
古賀
あったでしょうね。
糸井
ついつい、ギターを片手に
僕にできることは何ですかって発想が、
そもそも違うだろうってね。

むしろ、豚汁を配る場所で
列をまっすぐにする手伝いとか(笑)
そういう発想の延長線上で
何ができるかを考えたかったんです。
でも、それが分からなかったから、
ずっと悩んでいました。

古賀
ああ、そうでしたか。
糸井
それで、友達に御用聞きをして回ろうと決めました。
震災がなくて、そんなことも考えなかったら
今僕らは、こんなことをしていませんよ。

古賀
うんうん。
糸井
全くしていないと思うんです。
どうしていたかも、わかりません。
もっとつまらない小競り合いをしたり、
カラスがガラス玉を集めるような
小さな贅沢をしてたんじゃないかな。
そこに思想を乗せたりしてね。
それじゃあ、もちませんよ。
古賀
そうですね。
糸井さんが、震災に関わると決められたことって、
慈善活動というか、
世間から見て、いいことに見えるじゃないですか。
それって、いい面と悪い面がありそうですけど。

『ほぼ日』の活動を見ていると、
その辺のコントロールが上手くて、
しっかりと正しい道を選んでいる感じがします。

「俺たちはいいことをしているんだ」と、
自分を規定しちゃうと、
間違ったことをしがちなので、
起点が友達というのが
よかったんだろうと思いますね。

糸井 
それは、やっぱり吉本(隆明)さんなんです。
吉本さんが、前々から言われてたことがあるんですよ。
「いいことをしている時は悪いことをしていると思え」
「悪いことをしている時はいいことをしていると思え」
古賀
ええ。
糸井
吉本さん自身が、そう思って
生きてきたのはよくわかるんです。
吉本さんは手の届かないところにいる先輩なんだけど、
近所のアホな兄ちゃんの俺に、
こういうことを、
噛み砕いて言ってくれるわけです。

その言ってくれ方が、
この間、僕は偽物だって書いたことに繋がります。
吉本さんのことを想像しながら
「吉本さんも偽物なんだ」なんて書くと、
吉本さんのファンには怒られるかもしれないけれど、
そうなろうとしたから
そうなっていらっしゃる。

古賀
そうですね。
糸井
僕らは何かのチケットを持ってて
並ばずに入場できる、
みたいなところがあるわけですよ。
でも、チケットは、
並んだり自分で電話をかけたりして取るものですよね。
だから、列に並ばずに先に入った方が
いいことができるとしても、
やはり並ぶべきだと、
吉本さんを見ててそう思います。
吉本さんちの奥さんは、
お父ちゃんは偽物だって言うわけですけど。
古賀
(笑)ええっ。
糸井
吉本さんちのお父さんがいて、
奥さんが「あのお父さんは本物だった」
「うちのお父ちゃんは、本物になろうとして、
そうなっているから、本物じゃない」
っていわれますが。
僕も今更本物になれないんで。
古賀
(笑)はあ。
糸井
谷川俊太郎さんも、
「僕は偽物で本物の真似をしている」
というようなことを、平気で言われます。

本当のことをいう偽物ってのが
結局、僕のなれる場所なんです。

そんな姿勢を社内の人達がわかってくれたので
ことさらコンセプトを述べたりしなくても、
いつものように、みんな動いてくれた感じがします。

だから、僕の態度については
これからも間違わないと思います。
それは、間違わないぞっていうことでもあります。

古賀
そうですね。
糸井
もし間違っていたら、
ちょっといい気になっていたら、
言ってくださいね(笑)
第3回 僕にとってのヒマラヤ。