もくじ
第1回ハンドルは切ってみないとわからない。 2016-05-16-Mon
第2回友達だからできること。 2016-05-16-Mon
第3回僕にとってのヒマラヤ。 2016-05-16-Mon
第4回やっぱりお金のこと。 2016-05-16-Mon
第5回100万部売れるということ。 2016-05-16-Mon
第6回誰かが喜んだ話を聞きたい。 2016-05-16-Mon

外国にルーツを持つ中学生に、日本語を教えています。
ただでさえ難しい時期の中学生。友達が欲しかったり、受験を気にしたりと、
異国の地日本で、覚悟を決めて、懸命に生きている子供達です。
最近の趣味は、乗馬と、時々ジャズボーカルです。

「飽きない面白さ」を紡ぐ。

たくさんの人の声を届けるライターとして
表に出ない仕事をしている古賀史健さん。
自分の名前を出した『嫌われる勇気』がミリオンセラーとなって、
変わったこと、変わらないことを縦糸に、
糸井重里が、高校生時代からほぼ日黎明期、
そして、お通夜の計画まで
それぞれの時代で考えていたことを
横糸として、ざっくざっくと紡ぐ面白さ。

全6回で、二人が紡いだ幸せの黄色い布を
お届けします。
どうぞ、お楽しみください。

プロフィール
古賀史健(こが・ふみたけ)さんのプロフィール

第1回 ハンドルは切ってみないとわからない。

糸井
100万部ですね。
古賀
ありがとうございます。
糸井
ライターという、言わば裏方であった人が表舞台に立つ、
という感覚はどうなんでしょう。
古賀
どうなんでしょうね(笑)。
これだけ売れると、俺はすごいだろうっていうか、
「俺の話を聞け」みたいになるかもしれないと・・・
糸井
思っていた。
古賀
いえいえ、それが全くないんですよ。
不思議なくらい。
「この人の話を聞いてください」
でやってきたからですかね。
糸井
「その人がこんな風に考えていることが
僕はとても好きなんです」
ってその人の声に
自分のメッセージも入り込みますもんね。
古賀
はいはい。自分が見つけた大好きな人の声を伝えるために、
ちょっとした技術を積み重ねてきたんですね。
そこを大きな声で言いたくなるかと思っていたら
そんなことは全然なくて。
未だに声を伝えたい人を探しています。

糸井
何でしょうね。
ラーメン屋さんが、
繁盛したら税金について語り始めるような感じ。
僕は、「俺の話をきけ」
と、なったかならないかと聞かれたならば、
なったんですよ。
古賀
それは、いつぐらいのタイミングで。
糸井
30歳そこそこですね。
古賀
ほぉ。
糸井
なんだろうなぁ。
過剰に攻撃されたり、批判されたりすると、
「そんなチンケな男じゃないぜ」って
肩を張ったりしてさ。
逆に、話題もないのに女子大の講演を引き受けてみたり。
古賀
わかります(笑)。
 メディアへの露出も多かったですね。
糸井
テレビは、いろんな人と会うことができたので
よかったと思っています。
でもその分、余計なそしりや拍手を受けたけど。
古賀
拍手も余計なんですか。
糸井
余計ですね。
余計に褒められる事に対して、
そんなんじゃないって思っているのに
声に出して言わなかったんですよ。
「天才」とか「言葉の魔術師」と言われた時、
肯定はしないけど、黙っていることで、
あえて否定もしないみたいになっていました。
古賀
でも、テレビに出ることによって
コピーライターと言う職業をみんなに
知ってもらおうみたいな意識も
あったのでは。
糸井
その時の気持ちは今でもわかりません。
けれども、だんだん何を考えてきたのか
わかるようになって、
「ああ、原寸大の自分がいいな」と、
思えるようになりましたね。

古賀
僕は、ライターが表舞台に立った方がいいのか、
裏方としてマイク係であった方がいいのか、
今でもちょっとわかりません。

糸井さんも「1行でそんなにもらえるの」
って聞かれることがあったと思います。
それに対して、あえて
「俺は1行1000万円だぜ」
と言い切る事で
そんな言葉を封じ込めながらも、
「ちょっと乗っかってみようか」
という気持ちはありませんでしたか。

糸井
それはね、当時はよくわかってなかったんだけど、
厳密にいえば、
少し嘘が混ざっていたのだと思います。
古賀
えっ、嘘ですか。
糸井
僕ら「業界のために」って言い方をよくするでしょ。
そういう気持ちも、もちろんあるけど、
自分の居心地をよくしたいってところもあるんだよね。
例えば、自分は売れていないのに、
人が売れたら、業界のために嬉しいとか言うわけ。

だから、僕に
「コピーライターの仕事ってすごいね」
と言ってくれる人がいたら、
業界のためにと、それに乗っかってた。
だけど、よくよく考えれば、
本当にそうなのかなってのはあって。
そこに、ついたつもりのない
嘘が混じっていたのかもしれない。

古賀
僕は業界のためにって言ってしまう方ですね。
自分が新人だった頃、
業界にかっこいい先輩がいて、
今、僕らがそのかっこいい先輩に
なれているのかと思います。
昔の思い出の方がかっこよく見えるんです。
糸井
わかりますよ。
古賀
若くて優秀な人が、業界に来てくれるために、
多少のキラキラ感があった方がいいのかと思うんです。
サッカー選手が、
白いスーツ着てポルシェに乗って、みたいなの。
糸井
あれも、あえてやっていますよね。
古賀
ええ。だけど、糸井さんの話を聞いて
三日三晩自分に問いかけてみたら(笑)
糸井
(笑)ちょっと混ざりものがあった。
古賀
問い詰めると、
どこかにチヤホヤされたい気持ちもあります。
でもそれは、よくないことではなく、
仕事の原動力にもなっているんです。
だから、どう下品にならないように
チヤホヤと向き合いながら、
自分を前に進めていくのかが
今やるべきことだという気がします。

糸井
もっと言うと、
やるべきことなのかどうかもわからないんですね。
だって、変なハンドルの切り方をしないと、
真っすぐがわからないでしょ。
古賀
はい、わかりません。
糸井
今って、すぐにチェックしあうようなところが
あるじゃないですか。
お互いに「歯に青のりが付いてない?」なんてね(笑)
青のりが付いていた方が、
人として健全ではないかと思いませんか。

だから、ネットの方がキラキラして見えるなら、
それは、筋肉がけいれんするような楽しさですよ。
ビリビリするような楽しさ。

古賀
はいはい、ビリビリですね。
糸井
僕の時代が月刊誌単位だとしたら、
今は週刊誌どころか即日ですよ。
その中で、裏の裏まで読みあっていても
何も育たない気がする。
古賀
ああ。先日糸井さんが書いた
3年後の話(3月24日『今日のダーリン』より)
を思い出しました。
糸井
あれ、ビリビリ来るでしょ。俺には来たの(笑)
古賀
来ました(笑)
「何年後まで」という時間設定をどうするかが、
すごく大事なんです。
当てのない10年後、20年後を語りたがる人もいますね。
糸井
それは嫌だなあ。
古賀
でも、そこで満足している人達はたくさんいます。
僕は、今日明日しかないんだって考え方でした。
糸井
ほほう。
古賀
そこでまた、三日三晩考えたんですよ(笑)。
その時、
「3年後にどっちへ向かっているとかの
大きなハンドルは切れる」っていう話は
結構ビリビリきましたね。
糸井
それを、僕は今の年でわかったわけです(笑)
古賀
おお(笑)
糸井
古賀さんの年でもわかる人もいるかもしれない。
だけど、「簡単にはその考えにならないぞ」
ってところがあって、抵抗するんですよ。
古賀
うんうん。
糸井
「今日を充実させていこう」というのは、
立派な考え方だと思うんですよ。
「3年後はわからないから、
1日を精一杯ちゃんと生きようよ」
というのは、説得力があるんです。
古賀
そうですね。
糸井
僕も本当にそう思っていたの。一旦。
古賀
一旦?
糸井
そう。でも、それは
「どうしましょう」と聞かれたら、
「俺もわかんないんだけど・・・」
ってのを繰り返すことだったんだね。

けれども、3年前からしたら、
今日ぐらいのところは、
見えていたことに気づいたのです。

古賀
それは、震災に関わるようになったというのと
関係していますか。

第2回 友達だからできること。