見栄をはらない仕事論。古賀史健×糸井重里

第4回 本当のことを言うニセモノになるために。
- 古賀
- 糸井さんが3年後の未来を考えるようになったのは、
震災や気仙沼に関わるようになったことと
関係していますか。
- 糸井
- 震災は大きかったですね。当時、
「このままじゃダメだろう」なんて僕が言うんだったら、
「お前どうしてるの」って、いつも聞かれるわけですから。

- 古賀
- そうですよね。
- 糸井
- うん。僕が震災について考えてることは1つなんですよ。
被害にあわれた方たちが、みんなが優しくしてくれる時に、
素直にその行為を受け取れるかどうか、ってことです。
当時、「震災の被害にあった人たちと友達になりたい」
と僕は言いました。
友達が言ってくれたことだったら素直に聞けるからです。
- 古賀
- そうですね、うんうん。
- 糸井
- 友だちじゃない人からいろんなことを言われても、
返答が「うん、ありがとうございます」で、
やっぱり「ございます」が付くんだよね。
- 古賀
- ああ、なるほど。
- 糸井
- 「誰と誰に何されたから返さなきゃ」とか考えちゃってさ。
そのみんなの意地っ張りみたいな部分が、
普通に「ありがとう」って言えるような関係に
変わればいいよね。
- 古賀
- うんうん。
- 糸井
- あるいは、僕が被災した人たちに
恩着せがましくいろいろしたら、
彼ら・彼女らは、普通に「ありがとう」
とは言わないと思うんですよね。
だから普通に「ありがとう」と言ってもらえるかどうかが、
僕が震災に関係して何かをやるときの基準です。
でも、相手が必要なものをあげればあげるほどいい
と思ってる人もいるじゃないですか。
- 古賀
- そうですね。
- 糸井
- でも、それは絶対違いますよね。
向こう側からぼくを見て、「余計なことを」って
思われるようなことしてないかなって、
いつも考えるようにしています。
- 古賀
- そうですね、はい。
震災の時に、糸井さんは
福島との付き合い方や距離感の問題で
「当事者じゃなさすぎる」
という言い方をされてましたよね。
- 糸井
- はい、そうですね。
僕たちは当事者じゃなさすぎるので、
「もし前から知ってる人がそこにいたら、
こういう付き合い方したいな」
っていう考え方が、たぶん、ちょうどいいんです。
- 古賀
- そうですね。
- 糸井
- 例えば、転校した友達がそっちにいて、
どうしてるかなと思った日に震災があった、
みたいに考えるといいですよね。
- 古賀
- うんうんうん。
- 糸井
- 僕はそれで1本、考え方が見えたかな。
古賀さんはあの時、
自分の考えをどのように納めようと思いましたか?
- 古賀
- 僕は、当時ちょうど5月ぐらいに出版予定の本を
作ってたんですよね。
その本のテーマと震災は関係なかったんだけど、
このまま震災に触れずに、
その本がポンと出てくるのは明らかにおかしいよね
っていう話をして、
とりあえず著者の方と現地に行って取材をしました。
その時に見たのが、がれきがバーッとある状態で。

- 糸井
- 5月だったら、まだ全然、
がれき処理が進んでいませんよね。
- 古賀
- そうですね。
僕らが行ったのは4月だったので、
まだ全然進んでいなくて。
- 糸井
- 行くだけで大変ですよね。
- 古賀
- そうですね。
交通手段も限られている状態だったので。
その時に、今のこの現地の状況は、
自衛隊などの人たちに任せるしかなくて、
東京にいる僕らにできるのは、
とにかく自分達が元気になることだな
と思ったんですよね。
僕たちがまず元気にならないと、
東北の人たちも立ち直るのが難しいだろうから。
それしかありませんでした。
瓦礫を見た時に感じた迫力の前では……。
- 糸井
- 無量感ですよね、まずはね。
- 古賀
- そうですね、ええ。
何もできないなと思ったので。
- 糸井
- あの、何もできないという思いは、かたちを変えて、
ずっと小さく僕の中にも残ってますね。
震災があった直後に
がれき撤去などを行った人達に対する感謝とね。
- 古賀
- はい、そうですね。
- 糸井
- 今、がれきがないんですからね。
- 古賀
- 見たときは、ほんとうに撤去に
20年ぐらいかかるだろうなと思いました。
- 糸井
- 思いますよね。
最初は無くなる気配がなかったですよ。
- 古賀
- そうですね。
- 糸井
- 僕はあの時、みんながことさらに
震災について何かを言ったり、
生ぬるい被災地の物語を作ったりすることを
お節介に止めたことがあったんですよね。
出番はまだだから、みたいな言い方をして。
でも、それは同時に自分に言っていた気がするんです。
そういうことしたくなっちゃうよな、って。
- 古賀
- うんうん。
- 糸井
- それで、肩書きや職業を起点に自分ができることを考える
って発想を、ぼくは、なるべくやめようと思ったんですよ。
個人の名前として何をするか
ってとにかく考えることにしました。
そうじゃないと結局、職業によっては、今は何も役に立たなくて、
来てもらっちゃ困るようなことだってあるわけで。
- 古賀
- そうですね、うん。
- 糸井
- 間違うなと思ったんですよね。
僕は歌い手だからと言って、
ギターを持って被災地に出かけてった人が
いっぱいいたけど、
君は来て欲しいけど君は来て欲しくないっていうのが
絶対あったと思うんですね。
- 古賀
- そうですね、はい。
- 糸井
- でも僕にできることは何だろうって発想をすると、
ついギターを持って行くわけです。
それは違うんだろうなと思って。
だから僕は、豚汁配る場所で列を真っ直ぐにする
みたいなお手伝いの発想で、僕らが何をできるかを、
できるかぎり考えたかったんですよね。
でもずっと悩んでました。
何をすべきか、わからなかったから。
- 古賀
- そうですよね。
- 糸井
- そして友達に「何か用はありませんか?」
って聞くと決めましたね。
ほんとうに震災がなくて、
そういうことを考えなかったら、
今の「ほぼ日」のありかたは違ったかもしれません。
- 古賀
- そうですね、うんうん。
- 糸井
- もしかしたら、
もっとつまらなくて虚しい小競り合いをしたり、
ちっちゃな贅沢を楽しんだりしてたんじゃないかな。
そして、それに思想を追っかけさせたんじゃないかな。

- 古賀
- でも、震災に関わることって、
危険な面もあるじゃないですか。
「俺達はいいことをやってるんだ」
って自分を規定しちゃうと、
けっこう間違ったことをするから。
糸井さんや「ほぼ日」の活動を見てると、
そこをすごく上手くコントロールしてるというか、
しっかりと正しい道を選んでるなという感じがします。
「友達になる」っていう最初の起点が、
たぶん他とは違うんだろうなと思いますね。
- 糸井
- そこはやっぱり吉本隆明さんを
今まで見てきたからですよね。
吉本さんは、前々から、
いいことやってる時は悪いことやってると思え、
悪いことやってる時はいいことやってると思え、
ぐらい全く逆に考えるんです。
それは親鸞という人の思想から
考えついたことなんだろうけど、
吉本さん自身が、そうしようと思って生きてたことは、
よくわかるんです。
つまり、吉本さんはそうなろうとしたから、そうなってる。
ファンの方には怒られるかもしれないけど、
吉本さんはニセモノなんです。
- 古賀
- はああ。
- 糸井
- ぼくたちも吉本さんみたいに
「本当のことを言うニセモノ」になる方法
でやるしかないんですよね。
震災のときは「ほぼ日」の社内の人たちがあんがい、
そこをわかって動けた気がします。
不思議なぐらい通じていましたよね。
だから態度については、
これからも間違わないんじゃないかなという気がします。
間違わないぞという決意でもありますよね。
- 古賀
- そうですね。
- 糸井
- でも、もし間違ったら言ってくださいね。
ちょっといい気になってたら(笑)。