糸井重里
・いかにも昭和な「喫茶店のナポリタン」が、
なんだか妙に復活しているようです。
ケチャップの赤い色、玉ねぎ、ピーマン、
それとウインナー(ベーコンの場合もあるか)が入ってて、
麺は絶対に固すぎない(っていうか軟らかい)という献立。
ナポリタンって言うけど、イタリアの「ナポリ」とは、
ぜーんぜん関係アリマセーンというものらしいですね。
ちょっと検索すれば「ナポリと関係ない」という事実や、
どんなふうに日本で「ナポリタン」が生まれたのかとか、
おもしろそうな情報があっというまに揃うでしょう。
知りたい気持ちもなくはないし、それを知って
知ったかぶりをしてみたいという誘惑もあります。
さらには、同様のケースとして、
「天津飯」を天津の人は食べているのだろうかとか、
フランクフルトとかウインナーソーセージは、
その御当地でどういう扱いをされているのかとか、
ついで知っておきたくなる気持ちも、なくはないです。
やろうと思えば、俺様なんかさ、すぐに知っちゃうんだぜ。
でも、そのまんまにしておきたい気持ちって、ないですか?
ナポリタンについて、天津飯について、
フランクフルトについて、ウインナーについて、
「ちょっと知りたい」くらいの気持ちで、
「知識の低空飛行」を繰り返しているほうが、
ただ情報を検索して身も蓋もなく知っちゃうよりも、
観光気分でたのしめるんじゃないでしょうかね。
ほんとに知りたいことは、すぐにでも知りたいし、
いくらでも知りたいことはありますよ、そりゃ。
でも、たとえば「ナポリタン」のことだとか、
そのままにしておいてもいいような気がするんですよね。
「ふるさとは遠きにありて思ふもの、
そして悲しくうたふもの」っていうのに似てるかな。
近づけば近づけるし、調べれば答えが出てくるものごとを、
そのままにしておいて、いい加減にたのしむのよ。
「ナポリタンのこと、イトイに教えてやろうか」と、
じれったい気持ちでこれを読んでる方がいたら、
申し訳ないけど、ほっといてくれてけっこうですからね。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。
ついでに、ちょっとナポリタンを食べたくなってませんか?









