「就職」ってなんだろう?
「働く」ってどういうことだろう?
ほぼ日刊イトイ新聞が考える「就職論」シリーズ、第5弾は
ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社
ブエナ ビスタ ホーム エンターテイメントの日本代表である
塚越隆行さんをむかえての公開対談です。
働く側と、採用する側の両方の視点から、
長年の仕事のパートナーでもある糸井重里と語ります。
当日、この公開対談に集まってくださった
みなさんからいただいた、
就職にかんする質問とその答えも、毎回、お届けします!
2007-04-27
第1回 塚越さんの就職活動の話を聞かせてください。
2007-04-30
第2回 会社は、一枚も二枚も三枚も上手です。
2007-05-01
第3回 好きなことと、できること。
2007-05-02
第4回 面接では、ちゃんとすべてがばれますから。
2007-05-03
第5回 ケンカを売っているとしか思えない履歴書。
2007-05-04
第6回 社員を育てるという発想がある会社、ない会社。
2007-05-07
第7回 土下座してでも入りたいんです、は無理です。
2007-05-08
最終回 大企業志向の学生をどう思いますか。


塚越隆行 つかごし・たかゆき
ウォルト・ディズニー・ジャパン株式会社
ブエナ ビスタ ホーム エンターテイメント日本代表。


第1回 塚越さんの就職活動の話を聞かせてください。

糸井
塚越さん、まずは建前モードでお聞きします。
外資系企業の社長というのは、
当然、英語はペラペラですよね?
塚越
当然ですよね。
英語がしゃべれないとできませんよね。
糸井
じゃ、本音モードに入りましょう。
塚越さん、英語はどう?
塚越
まったくダメなんですよ!
会場:(笑)
塚越
外国人が苦手だったんです。
最初は目も合わせられなかったほどです。
糸井
ブエナビスタの人たちはみんな、
英語がしゃべれるんですか?
塚越
ぼくみたいなのが半分います。
営業系はあんまり必要ないけれど、
マーケティング系は毎日、
米国の本社と話したりしてるので、
英語は必要ですね。
糸井
英語しゃべれない外資系の社長って、
‥‥ダメでしょう!(笑)
塚越
ダメでしょう。
なんか、うまくやってきたんでしょうね。
糸井
それは、なんですか?
塚越
タイミングですよ。
ぼくが入るタイミングがまず良かった。
ぼくはある広告代理店にいて、営業をやっていて、
そこから、転職してディズニーに入りました。
映画が好きだったので、
そういう仕事に就けたらいいなと思ったんです。
当時はDVDじゃなくてビデオでしたけど、
日本でちゃんと展開していこうという頃で、
社員が20名くらい、
ビジネスとしては数億円の会社でした。
1万円するようなビデオをレンタルしていた時期に、
ディズニーは貸すんじゃなくて、
直接買ってもらおうじゃないか、
というビジネスのモデルを作って、
それを始めたころでした。
そういう意味では業界の先駆者だったし、
そこからもう20年近くやってますから、
そういう意味でのタイミングがまず良かったですね。
糸井
つまり人数も少なかったし、
これから伸びるしかないという産業だった。
塚越
そうです。そしてもうひとつよかったのは、
教えてもらえたことです。
ぼくは代理店にいたから
流通のことなんか何もわからないわけですよ。
でも小さい会社だから全てやらないといけないでしょ。
そんな中で新しい流通チャネルを作るだとか、
そういうのが仕事の目的になってると、
全部を全部教えてもらえるわけじゃないけど、
仕事・イコール・勉強、なんですよ。
仕事をしながら勉強ができたんです。
糸井
ゼロからのスタートに近いわけだから、
何やるにも失敗か成功かどっちかですよね。
塚越
そうですね。
「やったー!」と、「がっかり‥‥」とね。
そういうところからやりましたね。
糸井
そのときには、学校で勉強したこととか、
前職で勉強したことというのは、
どういうふうに係わるんでしょうか。
塚越
ぼくは教育学部だったんですが、
正直言って、学校で勉強したことというのは‥‥
糸井
ちなみに塚越さんは
大学時代はボクシングをやっていて、
ライトヘビー級で全日本3位に
なったこともあるんですよね。
教育について学んだつもりは‥‥?
塚越
ありません。
だって、教育学部に行くことを決めたのは
高校時代なわけだけれど、高校生には、
将来何やったらいいかなんて、
わからなかったんですよ。
糸井
それは、ぼくも言いたいんです。
それは、わからないって。
何をしたいって、
ドラマみたいにそんなにきれいに、
若いときにわかるわけがないと思っています。
塚越
わからないですよね。
若い頃から決まってたら、
ある意味、しあわせですよ。
糸井
いや、ぼくはそれを
しあわせだとは、思わないんです。
「自分は好きだから選んだ」
という幻想の中にいて、
その演技をしていて、その演技がうまくいくと、
「目的があるんだ」っていう芝居が始まるんです。
「ぼくってやるやつ!」みたいに思えるから、
そこで、本当の心配をしなくてよくなっちゃうんです。
(来週月曜日に、つづきます)


社会に出ると、生きづらくなりませんか。

質問者1(女性)
わたしは今大学3年です。
就職活動が来年でイヤでイヤでしょうがなくて、
今日はちょっとでも、
ポジティブな感情を持てればいいなと思って来ました。
なんでイヤかというと、
すごく生きにくくなるんじゃないかと思って。
就職したら。
今までの人生を考えて
今ほど生きやすいときはないんです。
それは、小さいときは
自分の行きたいところにも行けず
親に連れて行ってもらったところしか
行けなかったけど、
今は大学生になって、
自分の興味のあるところとか、
好きなところに行けて、
すごく生きやすくて、
今までで一番たのしいなと思うんです。
けれどいろんな先輩たちが
就職活動ってなった途端に、
今まで語ってた、理想とか、
自分のやりたいこととか、
全部捨てて全然関係ないようなところに
みんな同じ顔して行ってるのが、
すごくイヤだなって思って、
生きにくそうだなって思ったんです。
就職したり、社会に出たりして、
生きにくくなったと思わなかったでしょうか。

塚越
ぼくは、なかった。
でも言ってることはよくわかる。
なんなんだろう。たまたまかもしれないけど、
自分でも切り開けることかなと思います。
全て自分の思い方だからじゃないかな。
自分がどこで納得できるかでしょ。
「いちご白書をもう一度」じゃないけどさ、
髪を切ってさ。
糸井
「就職が決まって 髪を切って来た時
 もう若くないさと 君に言い訳したね」と。
塚越
昔からあるコンセプトだと思うんですよ。
自分が何がいいと思うかという考え方次第で、
傍から見てまだ、そうなってないから、
生きづらそうだなと思ってると思うんだけど、
自分が納得いくような選び方をしてたら、
実際そうならないと思う。
だからもっと自信を持っていいと思う。
あんまり、イヤと思わない方がいいと思いますよ。
糸井
塚越さん、働きたくてしょうがなかった方でしょう。
でもぼくは、あなた(質問者)のタイプだったんです。
小学生のときから、就職するのがイヤだった。
会場:(笑)
糸井
自慢じゃないけど、小学校5年生くらいのときからね、
ぼくはいつか大人になって、会社に行くのかと思ったら、
もうイヤだよー、と思って、
夜ふとんの中で泣いたんですよ。
だけど、案外なんとかなる。
一つあえて言うとすれば、
人はとっても気持ちのいいところにいるときに、
それと別れるのはイヤなんです。
小学校から、中学になるときに
友達と別れるじゃないですか。
イヤだったでしょ。
中学から高校になるときも別れるじゃない。
だから卒業式という
必ずぼくのせいじゃないという「儀式」があるんだよ。
その儀式のおかげで、別れができるようになるんですよ。
だから大学を卒業したときには、
卒業の儀式があるから、
あなたは、もう人が変わってますよ、きっと。
塚越
しょうがないことってあると、思うんですよね。
乳歯が取れるとかじゃないけど。
今思い出したけど、高校時代に怪我したんですよ。
高校生のときラグビーやってたんです。
そのときに、怪我してしまって、
そのときの先生が将来のぼくを
語ってくれたことがあったんです。
結構ポジティブに言ってくれてたんですよ。
「お前何やりたいんだ」
「まだわかんないです」って話をしたときに、
「大丈夫、大丈夫、
 きっとお前は、おもしろいに仕事につけるよ」
って言ってくれて。なんの根拠もないんだけど、
それって、ぼく信じることができたんです。
結構そういうのって、あるような気がするんですよね。
ぼく、あなたがそういう質問すること自体が
大丈夫だと思う。
あとは、乗り切るっていうか、
乗っちゃうしかないですよ。
あまりネガティブなこと
考え過ぎないほうがいいような気がしますね。
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2007-04-27-FRI



 (C) HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN