第5回
生意気な、
「よそ目」ばかりしている少年だった
糸井
学校では、どんな生徒だったんですか?
小野田
まあ、暴れたりまわったりして問題を起こすとか、
そんなことは、なかったですね。
でも、どうしても先生から見たら、
わがままだったんですよ・・・。

だいたいね、授業中に自分から手を挙げたことなんか
一回もなかったんだから。
「ほかの人がみんな
 『先生、先生』と手を挙げているんだから
 それをあててやればいい。
 僕はわかっているんだから、別にいい」
といってた。
糸井
先生の上をいく
子どもだったんだなぁ(笑)。
小野田
手を挙げたことないから、
授業の内容がわかってないのかというと、
そうじゃない。
よくわかっていたんです(笑)。
先生から叱られたらこういい返してた。
「だって、先生、この前、
 『暴れてはいけない、もっとおとなしくしろ』
 といった。
 だから、ぼくはおとなしくしているんだ」と。
糸井
なんて生意気な子どもなんだ(笑)。
小野田
生意気なんです!
「元気よくしていたら
 『暴れん坊だ』と叱られちゃった。
 『おとなしくしろ』といわれたから、
 こうやって、おとなしくしているんだ」って(笑)。
糸井
それ、可笑しいです。

ルバング島にいたあのときも、
そうだったんですね。
「いろ!」といわれたから、いたんですね。
小野田
ふふふふ(笑)、
人間なんてそうそう
変わるもんじゃないですよ。
糸井
子どものまんまだったんですね(笑)。
小野田
それに、いくら戦前、戦中といっても
時代で人間は、そうは変わらない。

1,000年も1,500年も前の人間、
例えば聖徳太子と
いまの人間はどれだけ違う? 
ほとんど違わないでしょう。
物理的なことや化学的なことについては
内容は濃くなったけれども・・・
糸井
枝葉の葉脈まで見えるようになっても、
木は木ですよね。
小野田
ええ、そうなんです。
人間そのものは変わってない。
あの時代の教育といまの教育とは
多少違いますけど、
やっぱり昔だって、
そういうことをやって
先生をてこずらせるガキがいるんですよ。
糸井
そうですよね。
ぼくの時代にも、いた。
小野田
みんな塾へ行ったりして
受験勉強をやってますけど
あれはいまにはじまったことじゃない。

あの時代でも、5年生になると、
中等学校へ行く人、
高等小学校に行く人、というふうに
わかれてくる。

それで、6年生の夏休み前でだいたい
小学校の授業内容は終わっちゃうんです。
それで、あとは受験勉強なんです。
糸井
予備校と学校を
一緒にしたようなかんじだったわけですね。
小野田
そうなんです。
6年生は夏休みまでで終わり。
秋からは入学試験なんです。

その受験勉強は5年生からはじまるんだけど、
ぼくは毎日家へ帰っちゃうわけ。
勉強するのが嫌だから。

そうすると、親は
「ユニークな先生だから、
 何か考えがあるんだろう」
と、勝手に思っている。
とうとう、家庭訪問に先生が来たときに、
親が「うちの子は毎日帰ってきますが・・・」
といってしまった。

そしたら、先生のほうも
「小野田さんの親は
 少し考えかたが変わっているから、
 子供に勉強させるのは嫌だったのではないかと
 勝手に考えていました」
と、いって。
両者で顔を見合わせているんです(笑)。

ぼくが勝手に、
学校で居残って勉強するのは嫌だから、
ただそれだけだったんです。
そして、こういってのけた。
「だって、先生、入学試験ぐらい、
 そんなことまでしなきゃいかんようじゃ、
 先は知れている」って。
僕は、実力で試験に合格しているんです。
糸井
・・・すごい子どもだな、それも。
親と先生、両方を操っていたわけですね。
小野田
そうなんです(笑)。
とにかく子どものうちから、
ああだこうだ、よそ目ばかりして、
自分の好きなことばかりして遊んできた。
糸井
「よそ目」という言葉、いいですね。
小野田
よそ目のぶん、
それだけ心の間口が
広がっていったんでしょうね。
糸井
はたがいつも視野に入ってしまうから
落ちつきがないようにも見えるでしょう、
周りから見たら。
小野田
ええ。
だけど、間口が広いということは、
それだけ応用力があるということです。
糸井
・・・ですね。
だから、生きられたんでしょうね。
子どものときのまんまの考えで。
2015-05-08-FRI
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