1. その1 なぜこんな文学が生まれたんだろう?
         2015-03-04-WED
  2. その2 スウェーデン“語”系フィンランド人。
         2015-03-05-THU
  3. その3 フィンランドは隣の隣の国。
         2015-03-06-FRI
  4. その4 「極端」に走るフィンランド人。
         2015-03-09-MON
  5. その5 ムーミンパパに父性はある?
         2015-03-10-TUE
  6. その6 孤独と自由ってこんな感じなのかな。
         2015-03-11-WED
  7. その7 幸せの条件。
         2015-03-12-THU
  8. その8 辻褄の合わなさが共有できる世界。
         2015-03-13-FRI
  9. その9 フィンランドで生きてゆく。
         2015-03-16-MON
森下圭子さんのプロフィール
森下佳子(もりした・けいこ)

1969年生まれ、三重県出身。
日本大学藝術学部文芸学科卒業。
ムーミンの研究がしたくて
1994年の秋にフィンランドへ
(ヘルシンキ大学の美学・舞台芸術学・
 比較文学科に在籍)。

「芸術プロデュースやフィンランドの機関などで
 働いたりもしましたが、
 日本との縁がどんどん薄くなっていくのが
 寂しくなって独立しました。
 現在は取材や視察のコーディネートや通訳、
 翻訳の仕事をしています」

訳書に『ぶた』『アキ・カウリスマキ』
『ちびのミイがやってきた』
『ぼくって王さま』など。
映画『かもめ食堂』の
アソシエート・プロデューサーとして
初めて映画の仕事を体験。
「ほぼ日」では2004年から2005年にかけて
『サンタの国、フィンランドから。』を、
2009年から2012年にかけて
『フィンランドのおじさんになる方法。』を連載。

夏は森生活、秋はベリー摘みに始まって茸狩り、
冬は寒中水泳が好き。
ヘルシンキ在住。

重松清さんのプロフィール
重松清(しげまつ・きよし)

1963年生まれ、岡山県出身。
早稲田大学教育学部国語国文科卒業。

卒業後は出版社で編集者として勤務したのち、
フリーライターとして活躍。
1991年に『ビフォア・ラン』で小説家としてデビュー。
1999年に『ナイフ』で坪田譲治文学賞を受賞したのを
皮切りに、山本周五郎賞、直木賞、
吉川英治文学賞、毎日出版文化賞などを受賞。
現在も話題作を次々に発表。映像化された作品も多い。
著作は『流星ワゴン』『疾走』『その日のまえに』
『きみの友だち』『カシオペアの丘で』『青い鳥』
『くちぶえ番長』『せんせい。』『とんび』
『希望ヶ丘の人びと』『ステップ』『かあちゃん』
『きみ去りしのち』『あすなろ三三七拍子』
『ポニーテール』『空より高く』『また次の春へ』
『一人っ子同盟』『峠うどん物語』『赤ヘル1975』
『希望の地図 3・11から始まる物語』など多数。

「ほぼ日」では「おじさん3人、ムーミンを語る。」
「重松清さんと、かっぱ橋。」「チームプレイ論。」
「『大好きな言葉』というもの。」
「父親になるということ。」など、
たくさんのコンテンツに登場している。

冬もまぢかな、ひっそりとした秋のひとときは、
寒々として、いやなときだと思ったら大まちがいです。
せっせと、せいいっぱい冬じたくのたくわえをして、
安心なところにしまいこむときなのですからね。
自分の持ちものを、 できるだけ身近にぴったりひきよせるのは、
なんと楽しいことでしょう。
自分のぬくもりや、自分の考えをまとめて、
心の奥深くにほりさげたあなに、たくわえるのです。
その安心なあなに、たいせつなものや、とうといものや、
自分自身までを、そっとしまっておくのです。

                    『ムーミン谷の十一月』
            (トーベ・ヤンソン著 鈴木徹郎訳)より
重松
優れた児童文学だとか
ファンタジーってみんなそうだと思うんだけど、
表面で見える面白さの向こう側にある、
歴史的な、あるいは文化的な背景を知ると、
もっともっと深くなっていきますよね。
日本で学生時代に読んだムーミンと、
フィンランドに住んでいろんな文化や
ひとびとの気質を知ったあとに読み返すムーミンって、
だいぶ変わりましたか?
森下
2014年に滞在20年になったんですけど、
それは、あのときにわたしが抱いた
「なんでこんなに説明しなくていいんだろう、
 なんでこんなに言い訳をしない文学が誕生したんだろう」
という疑問に対して、
「あ、フィンランドの社会自体がそういう社会なんだな」
っていうことを体感していく20年でもありました。
ムーミンの世界の中で何度となく自然が出てきますよね。
森が出てきたり、彼女自身、島に暮らしてて。
実はわたし、あのトーベ・ヤンソンの島に
1週間ひとりで滞在したんですよ。
重松
孤独と自由を味わっちゃったんだ(笑)。
森下
孤独と自由、そうなんです。最高に楽しかった。
多分フィンランド人が見ても、
「え、ひとりで大丈夫なの?」
と思うはずなんですが、最高に楽しくて。
ひとりでいるのに、
だんだんそうじゃなくなってくるんですよね。
だって、腕に鳥が止まったりするようになるんですよ。
重松
おお!
森下
4日目か5日目ぐらいの朝に、あまりにも嬉しくて、
わたし、岩の上のてっぺんまで裸足で走っていって、
「楽しーーーーーーい!」って叫んだぐらい。
重松
ちょっとハイになってたんじゃない?(笑)
森下
そう(笑)。でも、本当にそれぐらい、
孤独が極まっていったときに見えてくるものって、
楽しくて楽しくてしかたがないんです。
そのあとにフッと冷静になって思ったのが、
こんな形の自由を手にすることは、
わたしの人生にはそうそうないのかもしれないということ。
そして、開放感というすごく漠然としたイメージのものが
自分の体を通り過ぎていった、通り抜けていったな、
という感覚を持って、その1週間が終わったんです。
「孤独と自由ってこういう感じなのかな」っていうぐらい、
目の前に見えてる岩とか、
波の水面のところを太陽が反射して当たっている、
その光の加減とか、踊っている感じ。
そういうものをこれまでの自分とは違う形で
見ていたような気がして。
怠け者のハクチョウがいたりとかね。
ひょっとしてわたしは、いつも必要以上に、
自然を評価していたかもしれないんです。
それはとても憧れていたからだと思うけれども、
「ああ、ハクチョウだってこうやって怠けて、
 ダラダラといつまでも海に出ないで、
 遊んでることあるんだ」と。
重松
フィンランドあたりの夏の太陽って、
そんなに上に上がらないじゃない?
森下
斜めから射している時間が長いです。
重松
斜光で来るからね。灼熱の太陽じゃないから。
だから、島でも、灼熱だったら
けっこう疲れると思うんだよ(笑)。
森下
そうですね(笑)。あれは斜めだから、
どんどんどんどん変わるんでしょうね、光も。
重松
ぼく、初めてフィンランドに行って、
日本に帰ってきた3日後に、
別の仕事で沖縄の与那国に行ったんです。
与那国の夕日を見ながら、ギラギラ来てさ。
この夕日、向こうでも
見えてるんだよなあ、って思ってね(笑)。
でも全然違うなあ、って。
そういえばフィンランドでは、
白夜を初めて体験したときに一緒にいた編集者が、
なんか途中でハイになっちゃった。
体内時計がちょっと狂っちゃうときってあるじゃない?
春夏秋冬じゃない、太陽が沈まない季節があり、
太陽が昇らない季節があるという、
この自然の持つ怖さみたいなものは感じますか。
森下
感じますね。そこも極端ですよね。
多分、「島」を体験する以前のわたしは、
自然を何かに書くときに、
自分の気持ちにいちばん近いものを見つけて
書いていたと思うんです。
自分が沈んでるときは、例えば雲があったら、
その灰色の空のこと書いていただろうと。
重松
何かに託すんだね。
森下
ちょっと天気が悪くても心が弾んでたら、
わたしは多分、街路樹の中の緑を探して、
それを語っていたと思う。
ただ、トーベ・ヤンソンにはそれがないというのが、
ずっと感覚としてあったんですよ。
彼女が書く森は、わたしにもその森全部が見えてきて、
森が生きているのが感じられる。
自然は、自分の気持ちを託したりとか、
自分が何か利用するためのではないんですよね。
極端な自然の中にいるとそれがわかる。
自然があまりにも圧倒的過ぎて。
重松
ムーミンの物語って、洪水から始まり、
彗星は来るわの、いわゆるカタストロフですよね。
花鳥風月とかじゃない。
心理や情感を託せる相手としての自然ではなくて、
それは圧倒的なものとしてある。
森下
そうです。それにみんな笑っちゃうぐらいに
巻き込まれていって。
重松
そうそうそう。
ぼくはムーミンを最初のアニメで知った世代だから、
スノークのお嬢さんはあくまでもノンノンなんですよ。
ぼくにとってはね。
色もピンクなんだよ、彼女は(笑)。
毎週日曜日に放映されたアニメでは、
「毎度おなじみムーミン谷で事件が!」、
そういう世界観になるわけ。
ところが、原作には、みんな、
あまりいないんだよね、ムーミン谷に。
森下
そうなんですよ!
重松
けっこう島に行ったり、
最後にはまったくいなくなってるんだもん、本人たち。
『ムーミン谷の十一月』なんてね。
『ムーミン谷の十一月』

1970年に出版されたムーミンシリーズの最終作。
冬眠に入る前のムーミン谷に、人恋しさで
みんなが集まってくるが、
そこにムーミン一家はいない‥‥。
森下
本人たちがいないんです(笑)。
重松
最初のアニメ世代には
牧歌的なムーミンと愉快な仲間たち、なんだけど、
原作のほうを見るとね、自然は激しいわ、
それに翻弄されて、
生きるものたちが小さな存在であることや、
あるいはお父さんもお母さんも
精神のバランスを崩しちゃったりと、
すごく不安定だというのを実感するんだよね。
森下
で、それに驚くほど、
みんなが抗(あらが)わない。
重松
そうそうそうそう。
ムーミンって不思議な物語だったんだなと思うのが、
フィンランドなんだけどスウェーデン語で原作が書かれて、
イギリスで漫画になって火がついて、
日本でアニメになって、
ポーランドでパペットになった。
すごくコスモポリタンで逆輸入だよね。
森下
本当にそうです。
それで、フィンランドにまた戻ってくる。
重松
コミックスで言っちゃえばさ、
スヌーピーもそうかもしれないけど、
「毎日、毎週、いつもの町にいつもの仲間たちが」って、
アニメもそうじゃない?
だから、果たしてぼくたちが
アニメで知ってしまったのが
よかったのかどうなのかって。
原作を見ると、あるいは原作に寄せる
トーベ・ヤンソンの思いというのを知ると、
アニメで知って、もう卒業したつもりになっちゃ
いけないんだろうなっていう感じになって。
アニメで知ったというのは
けっこう良し悪しかもね、そう考えると。
森下
わたしは多分、アニメがきっかけで
本を手にしているとは思うんだけれども、
アニメだけでもし終わっていたら、
わからなかったと思います。
重松
本質がわかんなくなるかもしれない。
もっと言っちゃえば、
ムーミンが世界的なビジネスになっていく中で、
トーベ・ヤンソンってさ、
アトリエの大家さんとの交渉をはじめ、
けっこうなタフ・ネゴシエーターなんだよね(笑)。
森下
そうそう、うまいんですよ(笑)。
重松
フィンランドの人たちって、
そういう面では粘り強く交渉するんだ?
森下
しますね。自分たちは人数が少ないから、
ひとりで何役もやらなきゃいけないっていうのを
自覚として持っていますね。
わざわざマネージャーつけたりとか、あんまりない。
見事ですよね。
実はムーミンキャラクターズ社という会社を作ったのも、
トーベ・ヤンソンなんです。
重松
自分でやっていたんだ!
何でも作っちゃうね、フィンランドの人って。
SMの檻から会社まで(笑)。
なんかすごいな。
森下
トーベ・ヤンソン自身も、
ムーミンから派生した何か、
たとえばお芝居を作ってみたりもしています。
重松
脚本なんかもそうだしね。
ただ、これがもしディズニーだったら、
大きなビジネスとして
ちゃんと組み込んだと思うんだけど、
それでも、なんか、どこか、まだ‥‥。
森下
そうそう(笑)。
重松
あの屋根裏のアトリエから出てきたんだよ、
っていうのをずっと残したままだよね。

「それから、いっときますけどね。
 ムーミンパパだってムーミンママだって、
 ムーミントロールだって、
 おたがいの顔を見るのもいやになることが
 ちょいちょいあるんですからね」
                  ──ミムラねえさん

                    『ムーミン谷の十一月』
            (トーベ・ヤンソン著 鈴木徹郎訳)より
(つづきます)
2015-03-11-WED