スナフキンは、じぶんのしたいことを
全部禁止しているたてふだを、
のこらずひきぬいてしまいたいと、
これまでずっと思いつづけてきました。
ですから、(さあ、いまこそ!)と思うと、
考えただけでも身ぶるいがするのでした。まず、
  たばこをすうべからず
のふだからはじめました。つぎには、
  草の上へすわるべからず
をやっつけました。
                   『ムーミン谷の夏まつり』
            (トーベ・ヤンソン著 下村隆一訳)より
重松
セクハラめいた発言で恐縮ですが、
北欧っていったら、ぼくの世代は、
ついつい、フリーセックスとかヘアヌードとか、
スウェーデン・ハードコアとかさ、
白夜の国といったらそっちなんだけど、
何だろう‥‥なんか北欧って、
とくべつ「極端」に振れるところってあるんでしょうね。
森下
あります! これまた話が極端にずれますけれども、
わたし、こういう仕事をしているので、
いろんなコーディネートや通訳をしてきたんですね。
そんななか、いちど雑誌の取材で
フィンランド人のSMの女王様の
通訳をしたことあるんです。
その女王様というのは
フィンランドのSMのパイオニアで、
外国からのお客さんも多い人でした。
だから、ほかの国とフィンランドの人で、
嗜好の違いというのはあるんですかと訊いたら、
フィンランド人のお客さんは
極端に振り切れちゃうんですって。
最初、おずおずと試してみて、
自分が「合う」とわかったら、
もうすぐに次を試したい。
その突き進み方がすごいそうです。
たとえば、プレイルームの中に、
M男くんが自分で溶接をして、
自分が閉じこめられるための鉄の檻を
つくったりもするんだと言うんです。
重松
溶接(笑)!
何でも作りたがるんだな、彼らは(笑)。
森下
自分で溶接して檻を作って、
「そこに三日三晩、入ってみたい!」って。
重松
100度を越えるサウナでガーッと汗をかいたあとに、
凍った湖に穴をあけて飛び込むとか、
その落差がすごいんだよね(笑)。
ぼくたちのような温帯に住む人間には
はかり知れないものがあるね。
森下
本当に(笑)。
重松
その「極端」で言っちゃうとね、
ウォッカをがんがん飲んで
アル中に行っちゃう人もいるじゃない?
森下
そうなんですよ!
重松
北欧はどこでもそうだったけど、
ハードリカーってなかなかもう売ってもらえない。
ビールは売ってくれるけど。
森下
普通のスーパーにはないですよね。
フィンランドではアルコ(ALKO)っていう
専売公社でしか買えません。
重松
アルコールも、
とことん行っちゃうタイプなんだろうね。
森下
じつはトーベ・ヤンソンもお酒が強いんですよ。
重松
トーベも行っちゃうの?
森下
この本にその話は出てこないんですけれど、
トーベと親交があったかたがたは、口を揃えて
「お酒が大好きで、よく飲む人でした」って。
重松
彼女が『彫刻家の娘』
書いたときもそうだったけども、
芸術家のぶっ飛んだトーベじゃなくて、
あくまでもムーミンを作ったトーベとして、
そのイメージはあるわけじゃない?
そのイメージと、ほんとうの自分とのぶつかり合いって、
相当、しんどかったんじゃないかなって気もするんだ。
『彫刻家の娘』

1968年に出版されたトーベの幼少期の自伝的小説。
森下
パートナーである
トゥーリッキ・ピエティラも、
トーベの「イメージ」をすごく気にしていたんです。
お酒もそうかもしれませんが、
トーベのパートナーが女性であるということも、
児童文学の作家としてのイメージにそぐわないと、
トゥーリッキ自身が表に出ないようにしていた。
トーベ自身は、もう素直に全部見せたいんですけれど。
トゥーリッキ・ピエティラ

1917年生まれのフィンランド人の
グラフィックデザイナー。
フィンランドの美術史にも名を残す。
教授でもあり芸術家としての評価も高かったが、
トーベ・ヤンソンを支えるうちに、
一般的には芸術家として知られることが
少なくなってしまった。
晩年は昔から好きだった、
映画の世界に没頭するようになる。
トーベとは生涯のパートナーとなる。
ムーミンシリーズには、彼女をモデルにした
「トゥーティッキ」が登場している。
タンペレのムーミン博物館に収蔵されている
ムーミンの立体模型の多くは、
夏のふたりの島暮らしのときも製作していたという、
トゥーリッキとトーベの共作だったりもする。
重松
そうだよね。
森下
「わたしはこうやって生きてる。
 これがわたしの生き方」
と言って、全然気にしてなかったけれども、
やっぱり‥‥。
重松
周りがね。
森下
そうなんです。
重松
パートナーのほうが気を遣っちゃうよね。
森下
だから多分、重松さんがおっしゃるような葛藤は、
トーベの中にすごくあったと思います。
それをいちばん近くで見ていたトゥーリッキが、
一所懸命、具体的に、そのイメージを守る仕事を
していたんだろうなと思います。
重松
もうちょっと森下さんの話で伺いたいんですけども、
フィンランド語を勉強して、
翻訳やコーディネートの仕事をするまでの間は‥‥。
森下
学生をやっていました。
重松
大学に行ってたんだ。
今のフィンランドって、ノキアがあったり、
北欧家具があったりして、理系もしくは工学部というか、
そんなイメージがあるんだけど、
森下さんは大学では何を専攻されていたの?
森下
わたしはちょっと複雑なところにいて、
美学と比較文学と舞台芸術です。
とくにわたしは舞台芸術の中に
フィンランドらしさというのを感じたので、
舞台芸術をメインに勉強していたんですね。
重松
フィンランドの舞台芸術の特徴って
何かあったんですか。
森下
いちばん大きかったのは、劇場という場所です。
独立前夜にそこで人々が意識を確かめ合ったり、
高め合ったりしていた、大切な場所だったんですね。
今でも国民ひとり当たりの観劇数が多く、
世界のトップ3に入るほどなんですよ。
劇場はとても大切な社交の場であり、
自分たちの文化的なものを確かめるところ。
例えば舞台の上では
必ず酔っぱらいが出てくるんですが、
そこはフィンランド人が
恥部としている部分なんですけど、
酔っぱらって変なことをしたりするのを見て笑うことで
カタルシスを得るとか、
そういう場所でもあったんですね。
だから、トーベ・ヤンソンがとても早い段階で
芝居に関わったというのは、
実は必然だったのかなというふうに。
重松
文化の大きな流れとして、
演劇というものがあるわけだね。
森下
そう、すごく大切なものなんです。
それから、フィンランド語という言語が
フィンランドの個性を作ってるんじゃないかって、
これはよく識者たちが
フィンランドでおっしゃられてることなんですね。
もっと話す人たちが多かったり、
近い言語がたくさんある言語だったら、
フィンランドという国は
こんなに個性的じゃなかったんじゃないかと。
人口540万人ぐらいの中で
自分たちだけで使っているこの小さな言語があることが、
グローバルな世界のなかで
自分たちの文化や個性をきちんと発揮できている
ひとつの要因じゃないかと。
重松
いわゆるロシアの舞台芸術の
影響というのはありました?
森下
実はありますね。ただし、面白くて、
フィンランド語の人たちとスウェーデン語の人たちは、
ちょっと勉強する場所が違うんですよ。
スウェーデン語系の人たちは、
どちらかというとドイツの影響を受けている。
フィンランド語系の人たちはロシアの影響を受けている。
ちょっとずつ違ったりするんですね。
ただ、芸術家は一般的にロシアのことを
ものすごく評価していて、
そちらにも目を向けていることは、
とても多かったですね。
あとはやっぱりフランス、パリ。
ここはやっぱり欠かせない。
演劇人の中にはあまり見受けられなかったんですけども、
画家とか作家はパリに行かれる方が多かったようですね。

「劇場は、世界でいちばん、だいじなものじゃ。
 そこへいけば、だれでも、
 じぶんにどんな生きかたができるか、見ることができる」
                      ──エンマ
                   『ムーミン谷の夏まつり』
            (トーベ・ヤンソン著 下村隆一訳)より
2015-03-09-MON