【よこく2】
			中野さんのトマトができるまで(前編)

北海道・新千歳空港から車で約2時間。
余市町に中野さんのトマト農園はあります。


		ビニールハウスのなかは、真っ赤に輝くトマト!
		「毎年すこしずつ増やしていって、
		いまでは39棟あります」
		(中野さん)

もともとは、ピーマンや葡萄、さくらんぼなどを
つくっていた中野さん。
トマト栽培のきっかけは、ある日、
永田農法の創始者である永田照喜治さんが、
この土地に立ち寄ったことからはじまります。

※永田農法とは‥‥
永田照喜治氏により考案された農法。
植物が本来持つ生命力を最大限に引き出し
あまくしまった、野菜やくだものを育てます。
痩せた土地で厳しく育てることが多いため、
その手入れはふつうの農法に比べ
格段に手がかかるといわれています。
*永田農法については、これまでのほぼ日のコンテンツをご覧ください。

余市の特徴である、
乾燥した水はけのよい赤土、寒暖差の大きい気候、
日本海から吹き抜けるミネラルたっぷりの潮風、
さえぎるものがなく延々と夕陽が降りそそぐ地形‥‥
これらの条件が整った土地をみて、
「ここは、トマトづくりに理想的な土地です」
と、永田さんが初対面の中野さんに
その場でトマトづくりをすすめたのです。

永田さんの言葉をきっかけに、
中野さんはトマトづくりをはじめます。
「最初の数年は、どんなにがんばっても
 糖度7のトマトをつくるのがせいいっぱいでした。
 永田農法の特徴の1つは、
 水を極端に控えることなんですが、
 どういう加減でやればいいのか、よくわからなくて‥‥。
 水を控えすぎた結果、トマトが肥料を吸えずに
 おしりのところに黒いアザができたこともあります。
 それがたくさん出た年は、すごくショックでね。
 収量も上がらないし、手間ばっかりかかるし」

はじめてのトマト栽培。
思うようにはいかなかった、と中野さんは振り返ります。

「九州に、永田農法を継承された方がいて、
 その方に学びに行きました。
 今でも毎年通っていますが、
 北海道とは気候が違うので、
 教わったことをそのままやってもだめで、
 自分なりにアレンジしないといけないんです。
 糖度を上げるには、
 単純に水を控えることだけじゃなくて、
 水やりのタイミングや、肥料、温度、湿度など
 気をつける要素がいろいろあって、
 そのバランスをとるのに試行錯誤しました」

ひたすら地道に努力を続ける中野さん。
いつしか、
「永田学校のいちばんの優等生」
と呼ばれるようにもなりました。
そんなご一家の毎日は、
すべてがトマトの成長とともにありました。
朝は6時に畑へ出て、夜の12時頃まで
出荷準備をしていた時期もあったといいます。

冬も、休みはありません。
1月には土作りを開始し、
2月にはトマトの種まきを行います。

「春になると、雪解けをまたずに除雪作業をはじめます。
 それから、霜が降りないように
 ビニールハウスの中に『トンネル』という
 小さいハウスを作るんですが、
 ときどき換気をさせるためにそれをはずし、
 またつけて、はずして‥‥と、
 5月頃まで毎日それを繰り返すんです」
(長男・勝さん)

また、水やりは「点滴式」と呼ばれる方法を採用。
小さな穴を開けたチューブを畑全体にひき、
点滴をするかのように、
水をちょっとずつ土に落としていきます。
与える量は、1株につき1~2日に200ccのみ。
わずかな水を求めて、点滴チューブの穴にまで
入ってくる根っこもあるのだとか!

トマト本来の生命力を引き出す、
いわゆる「スパルタ農法」で育ったトマトの木は、
普通に育てたものと比べて、
見た目も全然違います。
まず、葉はまるまってカラカラな状態に。
空気中の水分をもとめて葉にも茎にも
産毛がびっしり生えています。

さらに、トマトの茎からはアクのような
黄色い液体が出はじめます。

「こうなってくると、香りがとても増すんですよ。
 普通に成長させる方式でつくったトマトだと
 こんな香りは出ないんです」
と、中野さん。

こうして実をつけたトマトの果実は、
水分が少ない分、見た目はかなり小粒です。
そのぶん、栄養やうまみが凝縮され、
手に持った時にずっしりと重く感じます。

そんなふうに、たいせつに育てた
トマトを試食させていただきました。
その様子は、明日の予告(後編)でお届けします。

>中野さんのトマトができるまで。後編

© HOBO NIKKAN ITOI SHINBUN    illustration : Sayaka Hano, Kyoko Tsuda(logo-mark)