永江朗さんが聞き、糸井重里がこたえた 「宣伝会議」の特別講義。いま、「コミュニケーション」とは。
永江朗さんが聞き、糸井重里がこたえた 「宣伝会議」の特別講義。いま、「コミュニケーション」とは。

 2005年11月19日、 「宣伝会議」の教育講座50周年を記念して 糸井重里と永江朗さんによる 特別講義が開催されました。 1000名もの受講生・修了生をまえにして 行われた対談の内容は、 「インターネット的コミュニケーション」。 現代メディア考から 21世紀の広告論まで、 ネット時代の「コミュニケーション」とは?  だいじなヒントが、 たくさんつまっていますよ。

永江朗さんプロフィール

 
第5回 インターネットの速度で 今日を生活し、明日を考える。
永江 「ブログが流行る前と後とで
インターネットの
コミュニケーションは
変わりましたか?」
糸井 変わったと思います。
永江 具体的にいうと?
糸井 情報の「速度」が、圧倒的に。

たとえば、ある時期
「糸井重里」と検索したら
「Google」の1ページ目に
「糸井重里のバス釣りNo.1」という
ゲームソフトを書いたサイトに行き当った。

これは、
そのソフトのニュースが流れた時期なんですけど、
僕を知ろうとするときに、
そのゲームソフトのことを知っても
あまりに間接的じゃないですか。
それが1ページ目に出てくるということは、
僕についての
よりビビッドな情報が「間に合っていない」。

逆にブログの方で
僕の名前を検索したら、
きっと、今日ここで永江さんと
話したことが、もう載っていますよ。

その速度の違いっていうのは、
とんでもないですよね。

だから、
少なくとも「発表したもの」については
すべて、すでに知られていると
覚悟するべきなんですね。
永江 しかも、
「人の噂」は75日で消滅しましたが、
ブログは半永久的に‥‥。
糸井 残ります。
残るんだけれども、
上書きされていく。

そして
情報の「表面」が上書きされたとき、
そこから三層、四層下の情報って
「ないこと」にされてしまいがちなんですよ。

そのスピードでみんなが生きていて、
そのスピードで今日や明日のことを考えている。

僕なんかも、
もう少し神経が細かったら
ずっとブログで自分と『ほぼ日』の情報を調べて、
ドキドキしながら「どうしよう、どうしよう」って
毎日生きていると思うんですよ。

でも、それは
全員がそうなる運命になる時代なんだから
さらされる側の実験台になってやろう、と。
永江 なるほど。
糸井 でも、外に発表しない情報は、
伝わらない。
だから、そういう情報を
どれだけ大切に持つか。

たとえば僕は今、
アルタミラの洞窟の美術書を
夜中にパラパラめくって
時間を過ごすことが好きなんですが。
永江 ええ。
糸井 このことを
誰にも言わない限りは、
僕だけの秘密じゃないですか。
たった今、言ってしまいましたけれど。
永江 (笑)
糸井 だから、
発表しないものこそが「僕」で、
発表したものは「みんなの僕」なんですよ。

そういうことを、
ありとあらゆる人が
やっていかなきゃならなくなる。

まずは僕が、
その練習をやっとくからね、
っていうつもりなんです。
永江

特別講義らしい質問をひとつ。
「なぜ広告規模ナンバー2の日本は、
 広告規模ナンバー1のアメリカに比べ
 クリエイティブが弱いという意見が
 多いのでしょうか」

糸井 当然、広告表現には
マーケティングと
アドバタイジングが混交していますから、
商品にフィットしていないものが
表現として優れていても、
広告として必ずしも効かないし、
優れていなければならない理由が
そんなにない場合もあるんですよね。

手放しにほめるわけじゃないんですけど、
今、上手いなぁと思うのは、
「やずや」ですよ。

広告の使い方と、
企業インフォメーションの仕方が
今の時代でいうと
一番上手な例だと思います。
永江 「やずや」、ですか。
糸井 クリエイティブが上だ下だっていう話は、
今の時代には
あまり役に立たないと思うんです。

つまり、
表現のレベルで
本当に優れたクリエイティブを志すなら、
アーティストになるべきですよね。

逆に、80年代の広告には
なぜ表現志向の広告が多かったかというと、
「誰かが何かの商品を手に入れて、
 それを使っていない人にほめてもらう」
 ということが、当時は、
 消費行動の理想型だったからですよ。
永江 ほぉ。
糸井 商品なんて、別に
どれでもいいやっておじさんが、
「それ使ってるんだ?」って言われたら
悪い気はしないじゃないですか。
それで動いていたのが80年代です。

でも現代はそうではなくて、
たとえば自動車の広告ひとつとっても
「これいいよね」というムードができて
それで買ってくれるような人がいたとしても、
たぶん、200万円くらいの車までだろう、と。

それ以上の場合になると、
どんなものが好みで、
何が必要で、どう使うから、
という自分の判断が重要になってくる。
そうやって
自分から商品を選ぶ人って
「いい感じだね」ってだれかが言ってくれても、
「じゃあ、あなたが買えば?」ってなっちゃう。

そういう時代の
広告の打ち方って、
「あのCM、面白かったよね」だけでは
お金を出してもらえないんですよ。
永江 はい。
糸井 そういうことも含めて
表現をやりたいのであれば、
自分がスポンサーになることです。
永江 そうした考えからも
『ほぼ日』をつくる、
ということに
つながっていったわけですね。
糸井 はい。
今日集まってくれた
みなさんをはじめ
広告の講座を受けている人たちが
「こんな時代に、何を学ぶか」というように
自分自身に引きつけて
考えてくれると嬉しいです。
<終わります!>
2006-02-03
いままでの宣伝会議
第1回 2005-01-30 「シンプルで陳腐」な言葉が通じたときの、ちから。
第2回 2005-01-31 まず、「たくさんつくる」こと。
正解なんかは、あとで決めればいい。
第3回 2005-02-01 自分の希望をもとにすると
すべての仕事が面白くなる。
第4回 2005-02-02 人の生活が変わり、広告も変わる。
そのとき、自分は何をするのか。

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