永江朗さんが聞き、糸井重里がこたえた 「宣伝会議」の特別講義。いま、「コミュニケーション」とは。
永江朗さんが聞き、糸井重里がこたえた 「宣伝会議」の特別講義。いま、「コミュニケーション」とは。
 
糸井 『ほぼ日』をやっていて、
今まで一番こころに残っているのが、
ある娘さんがお誕生日に
「産んでくれてありがとう」
って言った、
という読者からの投稿なんです。

その言葉が出てくる偶然があって、
それをちゃんと聞く耳があって、
それをタイピングして
僕に送ってくれる道具があって、
そして僕がそれを読んで‥‥っていう、
無数の偶然の積み重ねで、
ある瞬間に、ある感動が
一期一会のように
生まれたんだと思うと、
それにかなうものはないなと
思っちゃうんですよね。
永江 そんな「偶然の感動」を
「見つけ出す職人」が
コピーライターなのでは?
糸井 「自分で生んで、自分で見つける」
っていう部分でのプロでないとダメですね。

たとえば、
何かを書くときっていうのは
ハズしててもいいんですよ。
コピーでもコンセプトでも、
考えているときのハズレは
全部OKなんです
永江 はい。
糸井 先生や講師が、むやみに
「たくさん書け」っていうのは、
「書く」ということで
引き出しを増やせなんてことを
言っているんじゃないんですよ。

つまり、書くときに
「いくらでも作れるんだ」って
思うことが重要なんです。
永江 空振りもできますよ、と。
糸井 そう。たくさん作る力が
自分にはある、と思うこと。
正解なんかは、
あとで決めればいいんです。
糸井 よく僕が出すたとえなんですけれども、
東京ドームなんかへ野球観戦に行くと、
野球を見ていない人が9割だと思うんです。
本気で野球を見ている人というのは、
おしゃべりもできないし、
真剣に見ていたら
考えなきゃならないことだらけ。
その意味では、
ほとんどの人が野球を「見ていない」。

同じように
ある商品について、
ある人物について、
ある物事について、
ある言葉を提案しなさいと
言われたときに、
ほとんどの人は
「あまりに接してないんだ」と
思うことが重要ですよね。
永江 と言うと?
糸井 このペットボトルの飲料も
本当に心から欲しいと思って
買った人なんかいやしないですよ。
永江 はははは(笑)。
糸井 気持ち悪いですよ、そんな人がいたら。
あらゆる物事って、そんなに真剣じゃない。
「ある日、こんな風が吹いた」ってことに
ふるえるほど感動なんかしていたら、
生きていけないじゃないですか。
微妙にちょっとづつ、
いろんなことが積み重なって、
ある感情とか感動、意味を探していき、
そして、忘れていく。

人々の感じ方は無数にあるものなんだ、
様々な視線を持つ他者がいるんだ、
ということを理解するのが、
コピーライティングのスタートなんですよ。

いま、僕がどれだけ
「この水はうまい!」と言っても、
それを見ている人たちは
そんなに真剣じゃないんだっていうことを、
まず理解することが重要なんですね。
永江 このあいだ、
沢木耕太郎さんの『凍』という
ノンフィクションを読んだんですよ。
山野井さんというご夫婦が
ギャチュンカンって
ヒマラヤにある山に登るんですが、
ほとんど遭難しかかって
命からがら帰ってきた、という話なんです。

すごいなと思ったのが、
あまりの疲労のために、目も見えなくなって
這うようにして帰ってくるんですけれど。
で、私だったら、
こんなに苦しいのはイヤになるだろうと
読みながら思ったんですけれど、
そのときに、あきらめる人と
あきらめない人がいるとするなら
糸井さんはきっと
あきらめないほうの人だなと思うんです。

しぶといですよね。
しつこいというか。
このくらいで
もう考えるのをやめようということが
なかなか、ないですよね。
糸井 ものすごく
早い場合もありますけれど。
永江 あ、そうですか。
早期撤退。
糸井 結構ありますね。
そうすることで、
「あきらめないエネルギー」を
蓄えているんじゃないでしょうか。

だから、
自分から好んで取り組む仕事へ
からだごと突っ込んでいくために
その他の場面では
早期撤退しているんじゃないですかね(笑)。
永江 で、われわれには
しつこく粘っているように
見えているというわけですか。
糸井 すごく突っ込んでいきたい場所には、
僕はわりと我が身をかえりみず、
平気でそうします。
でも、昔に比べたら
体力的には失われていると思うので
その分だけ「大事なことをさせてくれ」
という欲望が強くなっていますね。

だから、相当のところまで、
早期撤退させてくれっていうのが、
いま、チームメイトに
お願いしていることだと思います。
永江 早期撤退の勇気。
よく登山では
「登る勇気より、引き返す勇気」
と言いますけど。
糸井 そうですね。
永江 私もたびたび、失敗したな、
この仕事受けるんじゃなかったな、
と思うことがあるんですよ。
特にフリーでやっていると、
この仕事を逃したら
もう次はないんじゃないかと思って
受けてしまうことって
往々にしてありますよね。
糸井 それについてはね、
7〜8年前に分かったんです。
その実態については。
永江 50歳の声を聞きそうなくらいのときに!?
<続きます!>
2006-01-31