気仙沼のほぼ日便り

2012年3月25日。

気仙沼のみなさんと
「気仙沼のほぼ日」が一緒になって
「目黒のさんま祭」の費用を稼いだ
はじめてのイベント「気仙沼さんま寄席」は、
大盛況のうちに、幕を閉じました。

1000人ものお客さんが
新幹線やバスを乗り継いで、
(中には、九州から
 飛行機と新幹線を乗り継いで、
 というお客さんも!)
気仙沼に来てくださったことを、
気仙沼の街のみなさんは、
たいへん喜んでいるようです。


「観光バスがたくさん通る光景を、
 ちょっと前は想像できなかったけど
 その景色だけで、涙が出ました。」


という言葉もいただきました。
参加したお客さんからは、

「志の輔さんの落語、すごい。
 ぐっときたり、笑ったり、
 こころが揺さぶられます。」

「お弁当おいしい。魚おいしい。」

「女将さんバスガイド、
 すっかりファンになりました。
 お礼のお手紙を出したいです!」


「打ち上げの太鼓、自然に涙がこぼれました。」

「おみやげ、たくさん買いましたよー!
 売り場大混雑でしたね。」

「気仙沼さんま寄席以来、
 気仙沼が身近になり、
 天気も震度も、前以上に気になります。」


などなど。
たくさんの感想をいただきました。
すべてありがたく読ませていただいています。
みなさんがそれぞれに感じたことを
アンケートやいただいたメールを通して、
じっくり反芻するようにかみしめています。
たくさんの感想をお寄せいただき、
ありがとうございました。


「気仙沼さんま寄席」で、
さまざまな準備をした、
すべてのスタッフの合計人数は、
おそらく、200名を超えるんじゃないかと思います。
当日の朝、早く起きて、
東京から出てきた、ほぼ日乗組員の他、
朝早く(もしかして夜中から?)から
ツアーのお客さんのためにお弁当作りをしたチーム、
バスで来るお客さんを迎える女将さんバスガイド、
会場でのもぎり、ご案内、
どや節を歌うチーム、
物販コーナーや打ち上げ会場の準備、
それから、ツアーを運営する
旅行代理店の添乗員のみなさん、
本当にたくさんの仕事がありました。


それぞれの持場での仕事をする人も、
遠くからくるお客さんも、
どちらも、きっと早起きをしていたわけで
迎える側にとっても、お客さんにとっても
ほんとうに、ながーい一日でしたが、
そのどちらからもこぼれる、
笑い顔を見ることができたのは
「ほぼ日刊イトイ新聞」にとって、
最高の贈り物をいただいた気分です。


あらためまして、
全国から気仙沼市民会館まで
足を運んでくださったみなさま、
足を運ばなくても、
この企画を応援してくださったみなさま、
そして、気仙沼さんま寄席で
いっしょに働いたみなさま、
ほんとうにありがとうございました!
乗組員一同、心より御礼申し上げます。


こちらのページに、
無事「さんま代」を稼ぐことができました!
というご報告と
当日のようすをスライドショーに
まとめたものがあります。
まだ、ご覧になってないかたは、ぜひどうぞ。

最後に、「気仙沼さんま寄席」のあとの
「気仙沼のほぼ日」にとって、
とってもうれしいニュースを、ひとつ。


この4月、「気仙沼のほぼ日」に、
新しいスタッフが入りました!
パチパチパチパチ!
本人からの自己紹介は
あらためて記事の更新とともに
次回!とさせていただければと思いますが
今日は、ひとまず、お顔だけごあいさつを。

あたらしい乗組員をむかえて、
ちょっとだけパワーアップした「気仙沼のほぼ日」、
これからも、
たのしいことを少しでも増やせるような、
じぶんたちのできることをしていきます。
それでは、また。

2011年5月初旬。

震災から2ヶ月くらいたったときに
僕たちは
はじめて東北を訪れました。

セキュリテ被災地応援ファンドの設立に
大きく関わっていた
宮城県庁の山田康人さんにご案内いただき、
3つの食品会社を
取材させていただいたのですが、
最初に訪問したのが
気仙沼の斉吉商店さんでした。

なにしろ、はじめての「東北の取材」で
緊張していた僕たちを、
和枝さんのお母さまが握ってくださった
あったかいおにぎりが、
すうっと
ほぐしてくれたこと、よく覚えています。

(そのときうかがったお話は
 『東北の仕事論。』の第1弾として
 コンテンツになりました)

その後も、志の輔さんのさんま寄席
美味しいお弁当を
プロデュースしてくださったりとか、
斉吉商店さんには
本当にお世話になっているんですけど、
このたび、専務の和枝さんが、
本を出版されました。

タイトルは『おかみのさんま』

さっそく読ませていただきましたが
本当に、よかったんです。
なんか、元気が出てくる本なんです。

斉吉商店さんの「廻船問屋」部門を
立ち上げた祖母・みさほさんのこと。

震災前、水産加工品に進出したときの
失敗談、成功譚、すごいアクシデント。

大好きだった、潮見町の工場のこと。

そして、震災の日のこと。

震災後、奇跡的に見つかった
「金のさんま」の「かえしだれ」の話は
「東北の仕事論。」にも出ていますけど
あらためて、すごいです。

そして、なにより「最高」なのが
純夫社長と和枝さんが
ご結婚されたときの、くだりです。
この部分は、とくに必読だと思います。

‥‥とまぁ、本当におすすめなので
ぜひ、お手にとってみていただきたいです。

和枝さんからも
こんなコメントをいただきました。

ーーーーーー
震災後、
たくさんの方にご心配をお掛けしました。

また、
たくさんの方に大変にお世話になりました。

みなさんへ
「おかげさまで、元気です」ということを
報告させていただく機会をいただき、
本ができました。

震災後お世話になったと思い
書きはじめたのですが 
ずっと前から、はじめから、
周囲のみなさんに
お世話になってばかりいることが
よくわかりました。

自分たちだけでできたことなど、
何ひとつ、ありませんでした。

ただただ、いただいたご縁のおかげで
今日、元気でいられるということです。

「箱根山 駕籠に乗る人 担ぐ人 
 そのまた草鞋を作る人」
と教えてくださったかたがいます。

みんなが、それぞれの持ち場で
力を合わせなければ
箱根の峠は、越せません。

そういう意味なのだそうですが
「まったく、そうだ!」と
全身で納得するような気持ちです。

恩返しなどとはほど遠いのですが
こつこつと自分の持ち場でできる仕事をして
僅かでも
明るい空気を発信できればと思います。

心より感謝申し上げます。

斉吉商店 斉藤和枝

ーーーーーーーー

ちなみに、左の写真は
3月25日の「気仙沼さんま寄席」のときに
本を先行販売したときのもの。

ふつうに「お客さま」としていらしていた
新潮社の『できることをしよう。』
担当編集者、
松本太郎さん&四角英未さんコンビ、
そして
日経BPの高島三幸さんが
進んで売り場に立ってくださいました。

(出版社の枠をこえた、
 超強力な助っ人チームでした!)

そうそう、『できることをしよう。』には
斉吉さんの
「東北の仕事論。」も載っていますので
『おかみのさんま』ともども
どうぞ、よろしくお願いいたします。

3月11日は、
なにをして過ごしますか。

どういうふうに過ごしても、正しい。
どう過ごしてもいいから、
3月11日をどういうふうに過ごすか、
ひとりひとりが考えよう。

わたしたちの大切な友人のひとり、
齋藤茶舗の斉藤道有さんがリーダーとなり
気仙沼の若者を中心としたメンバーが
考えた3月11日の過ごし方を
ご紹介させてください。

3月11日からのヒカリ」。
東日本大震災発生から一年をむかえる明日。
悼みと希望の意味をこめて
気仙沼の内湾、三ヶ所から
ひかりの柱を立ち上げるプロジェクトです。

なぜひかりの柱なのか。

震災の犠牲者を悼み、手を合わせるために
人々が集う場所や慰霊碑が
他の多くの被災地と同じく、
気仙沼にはまだありません。

斉藤道有さんは言います。
「瓦礫の片付いた道の至る所に
 花が手向けられている。
 何もなくなった場所に
 手を合わせる方々が、口々に言った。
 『どごさいけばいいんだべ?』
 家も墓も、位牌さえもなく、
 それでもどこかで
 気持ちをよせ合いたい人々が
 たくさんいる。
 ここには、
 失いつづけてゆく大切なものが、
 いつか本当に人々の心から
 消え去ってしまうかもしれないという
 恐怖がある。
 大丈夫だ、やるしかねぇ、
 立ち上がろう、できることでいい、
 そうやって毎日を過ごしてきた。
 やっと辿り着く一年だと思っている。
 だからこそ、
 どうしても私たちから届けたいのだ。
 苦しみに耐え続ける人々が
 分かち合えるように。
 日本中が気持ちを寄せあえる日に、
 それぞれの想いが、
 立ち上がる光を目指して集まれるように。
 こっがら、
 もういっかいはじめっぺし!!」

ひかりの柱が立ち上がる場所は、
気仙沼内湾の三ヶ所。

柏崎、神明崎、蜂ヶ崎。

この三ヶ所で囲まれた気仙沼湾は、
古来から「鼎が浦」と
呼ばれているそうです。
「鼎(カナエ)」とは、
三つの足に支えられた器のこと。
三陸海岸を支えてきた
「海、山、人」の営み、
そして、「過去、現在、未来」を
三本のひかりの柱が
あらわしているそうです。

これからの航路を照らす
灯火となるようにと祈りをこめて
明日の日の入り後、
18時30分ごろから深夜0時まで
ひかりの柱が気仙沼湾を照らします。

最近読んだ小林秀雄の
『考えるヒント2』の中に
こんな言葉がありました。

「過去とは、思い出すという事だし、
 現在とは行動している事だし、
 未来とは願望し選択する事だ。」

東日本大震災から
一年という節目を目の前にして
いま、思うことは
その日を思い出し、
「忘れない」ことから行動をおこし、
つよく願い、選択していく未来が
どの人にも
平等に与えられているということです。

明日は気仙沼で
糸井、乗組員の仲間
そして気仙沼の友人と共に
しずかに立ち上がっていく
三本のひかりの柱を
眺めたいと思います。

「3月11日からのヒカリ」
詳しくはこちらのページを
ご覧ください。

Ustreamでライブ中継も行われるそうです。

気仙沼のみなさんと
「気仙沼のほぼ日」が一緒になってやる
はじめての大型企画が、少しずつ動いています。
イベントのタイトルは、


「うぇるかむ! 遠くから来る人たち
 気仙沼さんま寄席

きっかけは昨年の10月、気仙沼市の菅原市長と
糸井重里が会ったときのことでした。
毎年秋に東京・目黒で行われている
「目黒のさんま祭」。
このお祭りでふるまわれる新鮮なさんまは、
気仙沼が提供しています。

「気仙沼市としては今年も同じことをしたい。
 さんまを贈る費用をつくりたい」

そんな相談を市長から受けた糸井は、

「気仙沼にわざわざ
 行きたくなる落語会を開いて
 費用を稼ぎましょう」


と答えました。
しっかりと稼ぐには、
チケットがなかなか取れない人気者、
立川志の輔さんに声をかけたい! 
そう考えた糸井は早速、志の輔さんに連絡。
すぐさま、快諾のお返事が届きました。
かくして、
「志の輔さんの落語会を気仙沼で」
という企画がスタート。

公演の中身は、
それは、もうおもしろいに決まってるとして
気仙沼って、はじめて行く人には
どうやって行ったらいいか、悩ましいところ。

それじゃあ、
遠くから人がやってきやすいようにしようと、
落語会の実行委員会では、
落語会チケット付きの宿泊ツアー企画の
準備をすすめています。


落語会のチケットの発売や、
ツアーの詳細などのくわしいことは、
2月8日(水)に
こちらのページでお知らせできるよう、
いま最終の調整段階に入っています。
落語ファンのみなさんも
そうでないみなさんも、


「なんかその企画、気になるね。」

と思っちゃったら、身内も同然!
はやる気持ちを抑えつつ、
カレンダーの3/25のところに◯印をつけて
イベント詳細発表まで、
どうぞ、今しばらくお待ちください!

発表できることは、少ないながらも、
はっきりしているのは、日にちと場所!
というわけで、もう一度お伝えします。

「うぇるかむ! 遠くから来る人たち
 気仙沼さんま寄席

日にちは、3月25日(日)(大安の翌日!)
会場は、気仙沼市民会館!


海の見える高台のなかにある
気仙沼市民会館は、
毎年、成人式が行われたり、
市民吹奏楽団の演奏や
クラッシックやジャズの公演が
行われたりするところで、
すぐそばには、
気仙沼小学校、中学校、図書館、
市民グラウンドなどが集まっている、
市民の生活に欠かせない場所です。
そして、震災後、宮城県のなかでは、
いちばん最後まで一次避難所として
使われていたところでもあり、
中学校や市民グラウンドは、
気仙沼市で
一番最初の仮設住宅ができた場所でもあります。
そんな場所から、はじまる


「1000人もの人が
 わざわざ遠くからやってきて
 見たくなっちゃう落語会」

気仙沼でも、ほぼ日としても、初の試み。
ご家族、ご友人はもちろんのこと、
ご近所のみなさん、お誘い合わせの上、
たくさんのかたがご参加くださるのを
ドキドキしながらお待ちしております。
2月8日の詳細発表を、どうぞおたのしみに!

「気仙沼のほぼ日」がはじまって2ヶ月、
ぱらぱらとした更新のペースにもかかわらず、
お読みくださっているみなさま、
いつも、ありがとうございます。

今日は、みなさんから届いた
いくつかのメールをご紹介します。
まず、はじめは、
矢野顕子さんの「気仙沼においでよ」を聴いて
気仙沼に行ったかたからのメールです。

_______________

12/23からの3連休に行ってきました。
「気仙沼復興屋台村」
「鮨智」「鹿折唐桑駅」に行き、
南三陸のホテル観洋に宿泊、
2日目は、「岩井崎」「陸前高田」
「気仙沼復興商店街」「お魚いちば」に行き、
仙台の秋保温泉に宿泊、
3日目は、松島へ。

道の駅かわさきの近くにある
「フルセイルコーヒー」は
往復、共に訪れました。
お店の女性に「どちらから?」と聞かれ、
「『ほほ日』で見て」と答えたら、
「糸井さんの!」と嬉しそうに。
とても、素敵な方でした。

ホテルのマッサージ師からは、
陸前高田が一番復興が
遅れていると聞きました。
気仙沼で働く人は元気でした。
でも、岩井崎や陸前高田は
作業車しか見掛けませんでした。

私は教師なのですが、
復旧の目処がない潰れた学校いくつも見て
生徒・先生がどうしているのかと、
切ないばかりでした。
東松島高校勤務の友人も
4月半ばまで、学校に寝泊まり
避難所生活だったそうです。

一緒に行った夫は、ロータリークラブで
この旅行を報告するために、原稿を作っています。

気仙沼には、今後も毎年行こうと思います。
美味しいものがたくさんありました。
現地に出掛けることが、
彼等の仕事を応援する力になるのですから。
(kikuko)
_______________

つづいても、
「はじめての気仙沼」
読んだかたから
生まれて初めての東北旅行!というメールです。
_______________

友人と年末の休みに温泉に行きたいね。
どこに行こうか・・・と思っていた矢先、
「はじめての気仙沼」に触発されて、
生まれて初めて東北に行きました。
お勧めの南三陸ホテル観洋に宿を取りました。
レンタカーを借りて、川崎から南三陸まで走りました。
時間の関係で、
結局、気仙沼まで行けませんでしたが、
南三陸で十二分に観光を楽しめました。

お料理も、温泉も、そして日の出も。
全てが素敵でした。

初めは、ボランティアするつもりは
無かったのですが、
次の日、南三陸町ボランティアに参加して
瓦礫撤去をしました。
三陸復興市場が
ちょうど開催されていたので、
そこでお土産を買ったり、
現地の方々の盛り上げようとする底力に
圧倒されっぱなしでした。
不謹慎ですが、楽しかったです。

現地で実際の様子を見る事が
できたのもなによりですが、
皆さんの元気に触れる事が
できたのが本当に何よりです。
南三陸町を忘れずに
私も普段の生活で
できることやっていこうと思います。
ありがとう。
そしてこれからも応援しています。
(エミコ)
__________

「現地の方々の盛り上げようとする底力」
そうそうそう!
実際行ってみると、それにおどろくんですよね。
そして、わたしたちのほうが元気をもらって帰る感じ。
とても、よくわかります。
「できることをやっていこう」
わたしたちも、そう思います。

つづいては、
お正月に帰省したかたからのメールです。

_______________

お正月に気仙沼に帰省した折、
一番感動したのは、
本当に瓦礫と空き地しかない辺りに、
二畳あるかないかの小さなプレハブが立ち、
その壁に「碁」と、大きく手書きで書かれていたこと。

その碁会所の向い側に、
確かに以前は碁会所があったので、
その方たちが集まっているのではと想像します。
だが、本当にあの何もない所で
碁を打っているのでしょうか?
(気仙沼の人に分かるように説明すると、
 内ノ脇からあけぼの橋を渡ってまっすぐ、
 スーパークリエがあった手前の右側、です。)

私自身へぼ碁を打つので、
どんなことがあっても
自分の一番は手放しちゃいけないんだと、
感動しました。
(w@n2)
_______________

「自分の一番は手放しちゃいけないんだ」
なんて、素敵な言葉なんでしょう。
震災があって、
自分の一番(好きなもの、大事なもの)のことを
よりはっきりと
大切に思うようになったというかた、
他にもたくさんいらっしゃるのではないでしょうか。

つづいてのメールは、
宮城県のおとなり、岩手県からのメールです。

_______________

岩手県に在住の者です。
現在の住まいは宮古市、実家は大船渡市で、
気仙沼とも近いので、
ほぼ日が気仙沼にやって来たことを
本当に嬉しい気持ちで見ている一人でもあります。

今回、職場である宮古市の高校は被災、
実家もすべて流失しましたが、
家業の建物が無事だった
(とは言え三階のうち二階まで浸水しました)ため、
7月から部分営業を開始して、
10月からはすべての改修工事を終えて
営業を再開しております。

実家は大船渡の海の目の前で
ホテルを営んでおります。
夏のころは浸水した地域の真っ暗闇の中に、
うちのホテルの灯りがともっているだけでしたが、
この冬になり、周囲にもだいぶ灯りがもどってきました。
月に2〜3回大船渡に帰ってくるたび、
復興が徐々にすすむ様子を目の当たりにして、
嬉しくもあります。
人間の力はすごい!
と、実感する日々を過ごしています。

大船渡で生まれ育った私にとって、
お隣の陸前高田は小さなころから
海水浴に行った場所であり、
同じ「気仙」地域ということで、
故郷同様、親しみがある場所です。
そして、気仙沼は、
ちょっとわくわくお出かけする場所でした。
今回、陸前高田も気仙沼も
大きな被害がありましたが、
その場所にいる皆さんが復興に向けて
様々な取り組みをしているということを
「ほぼ日」を通して知り、
とても嬉しい気持ちでいます。

被災地にいる私自身も震災後から、
自分自身の複雑な心境を味わっています。
わかってほしいという気持ちと
わかってたまるかという気持ちのせめぎ合いの中で
悲しみに沈んだこともありました。
でも、今は時には立ち止まり、
少し後退しながらも、前に進んでいるように思います。
(atsuko)
_______________

立ち止まったり、
後退したりしながら、前に進む。
みんな自然とそうなるような気もします。

つづいては、港のスズメさん便りで
いつもステキな投稿をくださる
(*kazue*)さんからのメールです。
ここにもひとつ「できることをしよう。」なお話が。

_______________

友達のお母さんが、
震災以来、初めて仕事場に顏を出してくださいました。

お互いに、目が合った瞬間に、
涙があふれて仕方なかった。
娘さん(友達のお姉さん)と、
そのダンナさま、
そして、お孫さんを、津波で失った。

「やっと、外に用足しに出て歩けるようになったの。
 車は、買ったんだけど、まだ運転出来ないの。
 しっかりしなくちゃと思うんだけどね、
 ちょっと気を抜くと、ぼーっとしちゃうし、
 涙出てくるし。」

たくさんたくさん、いろんなことを話してくれた。
人づてに聞いていたことも、
初めて聞く、悲惨な辛い話もあった。
小学校の頃から、
ずーっと、いつもきびきびしたお母さんだったけど、
今日は、ぼーっと、どこか、
雲の上を歩いているような、雰囲気だった。

本当に、何も出来ないなあ。
聞くことしか出来ない。

それでも、お母さん、
私ほとんど、店にいるので、近く通って、なんとなく、
話かだりしたくなったら、寄ってください。
普通のお宅よりも、気軽に立ち寄ったり、
外から様子を覗いて入ってみたりしやすかったり。
商店って、そんな感じかなとも思うので。
古くて小さな場所だけど、いつでも寄ってください。

こんな辛いことが、本当に、あちこちにある。
辛すぎる思いをした人々が、
少しでも、笑える時間か増えるようにと、
復旧・復興とともに、「笑える時間」も‥‥と、
思います。
(*kazue*)
_______________

街の商店の娘さんが、
友だちのお母さんのことを
こんなふうに思っている。
人が人を思う気持ちを
震災を通して知ること、ほんとうに多いです。

「ほぼ日」も、
「笑える時間」を増やすお手伝い、
少しでも多くやりたいと思ってます。

今日は、このへんで。
それでは、また。

明日、1月13日(金)
六本木ヒルズ、アカデミーヒルズ49にて
『東北復興緊急ギャザリング
〜ソーシャルビジネスのちからで  
日本(東北)から未来は変わる〜』


「東北復興緊急ギャザリング」。

ギャザリングとはなんぞや?という声が
聞こえそうな気がいたしますが、
「gathering」の意味を調べてみますと
ふむふむ、「集会」「集まり」ということらしい。

東日本大震災後、
被災地から立ち上がって
いち早く仕事をはじめている事業者の方々、
東京から応援をしている事業者の方、学生、
クリエイター、メディア、がひとつの場所に集まって
東北の復興について意見を交換する会
とお伝えするとわかりやすいかもしれません。

今回糸井が
このイベントに参加させていただくことになったのは
ほぼ日にもご登場いただいている
陸前高田市八木澤商店河野さんからの
お声がけがきっかけでした。

「糸井さんにファシリテーターになっていただき
 震災直後から今に至るまでのストーリーを
 被災地の各事業者の皆さんに語っていただき、
 立ち上がっていく過程から生まれた知恵を
 みんなで共有したい。
 イメージはNHKで放送している
 『白熱教室』のような会場にしたいと思っています。
 マイケル・サンデル教授の役割を
 糸井さんにお願いできませんか?」

お話をいただいた時は、
マイケル・サンデル教授の役は難しいなぁと
糸井も笑いながら答えておりましたが
河野さんからのお申し出ということもあり、
震災後さまざまなご縁がつながって
『気仙沼のほぼ日』を立ち上げたこともあり
「喜んで。」と参加をさせていただくことになりました。

気仙沼斉吉商店の斉藤和枝さん
アンカーコーヒーの小野寺靖忠さんの参加も
決定したそうです。


当日の会場の様子は
こちらのページからustream中継でご覧になれます。

イベントは10時30分〜17時30分まで
糸井が登場するパートは
14時30分〜17時15分の予定です。

また、午前の部では
黄昏ブータン編で大変お世話になった
御手洗瑞子さんも登場されます。

平日で、仕事中にustream中継を見るのは
なかなか厳しいという方もいらっしゃるかもしれませんが
お時間ございましたらぜひご覧くださいね。

クリスマス寒波がやってきた、
12月25日に大島に行ってきました。

気仙沼に訪れるたびに
「大島」という言葉をよく耳にします。
天然の防波堤になって気仙沼を守ってくれた大島。
気仙沼ちゃんの民宿がある大島。
米軍の空母が救助にきた大島。

「大島」とは気仙沼市の市街地から海をみて
正面にある大きな島です。
気仙沼からならだいたいどこからみても見える大島。
行こう行こうといいながら、
なかなか行けなかったのですが、
クリスマスにやっと行くことができました。

大島について話す前にひとつ。
冬の気仙沼、本当に寒いです。
気温は0度前後なので
東京の深夜でも同じくらいになることがあるし
まぁ想像できる範囲かなと
思っていたのが大間違い。
風が、風が冷たい! 
気仙沼は海の街、風はかなり強いです。
僕は東北の冬の寒さを甘くみていて、
手袋も帽子も持っていかなかったのですが、
本場の寒さは、ホント厳しいです!
冬の気仙沼に行かれる方はど厚着でお越しを。
(ちなみに僕以外はみんな完全防寒でした。)

気仙沼出身、東京在住の方が、
「東京は秋が深まってきたと思ったら、
 そのまま春になる感じがする。」
といっていたのがよくわかりました。

さて、本題にもどりまして、
大島に行くにあたり
僕が前々から楽しみにしていた事がありました。
それは「車のままフェリーに乗る」ということ。
フェリーに乗るだけでも楽しみなのに、
車のままフェリーに乗れるなんて!
気仙沼と大島を行くフェリーは、
40分に一本でています。
普通に乗る分には事前予約はいりませんが、
車で行く場合には事前予約が必要です。
※フェリーの時刻表はこちらをご覧ください。

終電ならぬ、終船が終わってしまったら、
大島に泊まることになってしまいますので、
お気をつけくださいね。

実際に車でフェリーに乗り込んだ時は、
今から旅に出るぞ!
という感じで興奮しました!

大島は車で移動すると、
30分で一回りできるくらいの大きさです。
歩いて回ることもできるようなのですが、
冬に歩いて回るのはちょっと大変かなと思います。
タクシーやバスもあるようなのですが、
どちらも本数が非常に少ないようなので、
レンタカーで来ている方は
カーフェリーがおすすめです。

海から見る気仙沼港は、
舟がずらっと並んでいて、
あらためて漁業の街なんだなと感じます。
そして、海がとても静かなのです。
気仙沼はいつきても波が穏やかで、
大島が天然の防波堤になっていることを
あらためて実感しました。

大島まではフェリーで約25分。
景色に感動していたり、
写真を撮っていたりしたらあっというまに
大島の玄関口、浦の浜に着きます。

大島に着いてまず感じたのは、
冠水の大変さでした。
ちょうど潮が満ちている時だったのですが、
船着き場の回りはかなり浸水していて、
フェリーに乗り降りする際には
ちょっとドキドキするくらいの、
水たまりを越えて行きます。

土をもって道路を高くしているとは思うのですが、
それでもこんなに冠水することへの驚きと、
元通りにすることへの大変さを感じました。

浦の浜でフェリーを降り、車でまっすぐ登っていくと、
数分で登りが終わり、交差点を渡って下ると
これまた数分で反対側の田中浜につきます。
震災の際にはなんとこの交差点の両側、
つまり島の両側から波がきて、
全部を飲み込んでいってしまったそうです。

大島に行く前に、
気仙沼の方に聞いていたのですが
実際に車でいって、
この高さまで波がきて
全てをもっていってしまったんだということに、
あらためて衝撃を受けました。
(WEBの地図で【気仙沼 浦の浜】と検索して
 いただければ、大島の感じが分かると思いますので、
 よろしければご覧になってみてください。)

大島の東側にある田中浜を抜け、
時計回りに回って行きまして
次についたのが「小田の浜」。
ここが本当にキレイな浜辺でした!
海もキレイなのですが、
砂浜も白くて回りは森に囲まれていて、
とても雰囲気のあるいい浜辺ですよ。

後で知ったのですが、
小田の浜は環境省の選ぶ「快水浴場百選」の特選に
選ばれた事があるらしく、
なるほどなと思わせる景色です。

続いてむかったのは、
大島の最南端に位置する「龍舞崎」。
駐車場から松林を10分くらい
登り下りをしながら岬に向かいます。

先に進む程、険しくなっていき、
高い所が苦手な僕には結構厳しいものがありましたが、
ついた先からみる景色は絶景でした!

そして、ここの崖の下の海は本当に青くてキレイでした!
高い崖と青い海、
そして肌を刺すような寒い風は
サスペンスのドラマっぽい
雰囲気を感じさせる場所です。
大島に行った際はここには行った方がいいと思います!

ところで、気仙沼の森や林に行くと必ずある
森林を大切にしようという看板。
森からでる栄養分が海の生物達を育てるということで、
気仙沼の人達は森を大切しているとのこと。
色々な所で繋がっているのですね。

さて、龍舞崎の松林に入る所に、
竜舞道祖神というあるものをモチーフにした
石が祀られています。
何がモチーフにされているのかというと!
直接行って確かめてみてくださいね。

龍舞崎を後にし、
最後に真逆の北に位置する大島神社に向かいました。
大島北部の亀山の中腹にある大島神社は
以前はフェリー乗り場の近くにある
山頂に登れる亀山リフトに乗って
行けたそうなのですが、
現在はリフトが被災してしまったために
営業していません。

大島神社はとても立派で古く、
御神体としてお宮の中にとても大きな石が祀られていて、
不思議な感じがするお宮でした。

そして、境内から臨む海の景色は
気仙沼の街並みが一望できる安波山とはまた違い、
太平洋を見渡せる絶景でした。

大島神社でビックリしたのが、
手水舎(手を洗う所)の水が凍っていたことです!
本当に寒いとは思っていましたが、
まさか手水舎の水まで凍るとは!
取ってみたら1センチ近く氷が張ってました。

以上が大島に着いてから、
帰るまでに回った場所だったのですが、
今回、島にいた時間は90分でした。
時間があればもう少し
ゆっくり見たかったです。

大島も気仙沼市街と同様に
瓦礫の山や、解体の目処がたたないような、
建物が立ち並んでいる場所もあり、
被災地なんだということをあらためて
感じさせられました。

ゆっくりみても半日かからずに
一周できると思いますので、
気仙沼に行かれる際には
大島もお楽しみ候補に入れてみてはいかがでしょうか。

それではまた。

2012年になりました。
あけましておめでとうございます。
暦はあけて早々、ではございますが、
こちらのページでは、昨日に続いて、
年末の気仙沼の町のようすをレポートします。

さて、本題に入る前に、ちょっとお知らせが。
本日、2012年1月1日の
「朝日新聞デジタル版」
ほぼ日が編集したページがひとつ入ってます!
紙の「朝日新聞」のほうにも、
朝日新聞で最高齢の現役記者、
気仙沼支局長の掛園さんと
糸井重里の対談のようすや
ほぼ日の乗組員が
朝日新聞デジタル版の編集を体験する記事も
掲載されていますので、
こちらもぜひご覧くださいね。

後日、ほぼ日でも、
気仙沼支局長との対談のようすを
数回に分けて掲載します。
こちらも、どうぞおたのしみに!

さて、本日日曜日は、
わたしが気仙沼に行くようになってから
あちこちで噂を聞いて、
ぜったいに行ってみたいと思っていた
日曜朝市のことを。

わたしたちが朝市に行ったのは、
クリスマス寒波がやってきた3連休の最終日、
12月25日。
ところで、朝市に行くための3つの方法、
知っていますか?

車のエンジンをかけ、
車をあたためて、
フロントガラスの雪を溶かす。
そのくらい、この日は寒かった!

車のフロントガラスに
きれいな雪の結晶がバッチリついてる
ホワイトクリスマスの朝。
完全な皮膚感覚ですが、
気温は、マイナス3度とかぐらい
だったんじゃないでしょうか。

車を温めて、視界がひらけたら、
いざ、朝市の開催場所、
気仙沼自動車学校の跡地へ。
道路にも昨晩の雪が残っていますからね、
ゆっくりゆっくり安全運転で行きましょう。

わたしたちが到着したのは、
朝の7時ごろ。
朝市としては、もう終盤の時間でしたが、
それでも地元の人でにぎわっていました。
朝市でいちばんたのしいなぁと思うことは
お店の人と言葉を交わしながらのお買いもの。
みかんも、りんごも、量り売り。
しかも一種類じゃなくて、
りんごだけで、6種類、

「一番甘いのどれですかー?」
「これは、甘くて、固いの。こっちはさくっと」

というような会話を交わしながら、
袋いっぱいのりんごは、なんと1000円。
お隣のみかんは何種類あったのかな?
とにかく、製造直売ということもあって
安くて、いっぱい。
しかも、安いだけじゃなくって、
家に帰って、りんごを食べてみたら、
あふれだしそうな蜜がキラキラしてて、
ほんとにおいしかったです。

この朝市は、農家の人々の生活が潤うようにと
1974年から、はじまったもの。
生産者直売の青菜や根菜類などのお野菜や、
りんごやみかんなどの果物をはじめとして
漁業の町、気仙沼ならではの
お魚、ホタテ、牡蠣、などが並びます。
他には、手づくりのお漬物や塩辛や
それから、一度ハマった人は、箸が止まらない
白菜の古漬けと魚のアラを酒粕で煮込んだ、
気仙沼の郷土料理「あざら」のあるお店も。
あったかいコーヒーのお店や
その場で焼きたてをいただける
たい焼きや焼き鳥のお店もありました。

暮れの差し迫ったこの日は、
お正月用の飾りもたくさん。
それぞれのお店に特徴があって、
にぎわいがありました。
もとは、内湾に面する広場で行なわれていましたが
震災後は、場所を移して、海から2kmほどはいった
気仙沼自動車学校の跡地で開催されています。

そうそう、おどろいたことに、
朝市から戻ったら、ホテル近くの駐車場に
メカジキが落ちてました。
いや、落ちてたわけじゃないと思うんですけど
駐車場に、2匹のメカジキが置いてあったんですよね。
こういう光景、他ではなかなか無いなと思って、
メカジキの大きさがわかるように、
西田を縦に並べておきます。

ちなみに、このときの西田の格好は
本人に聞いたところ、とても寒かったそうです。
手袋と帽子を持ってくるのを忘れたことや
スニーカーで行ったことを
かなり後悔していました。
一方、わたくしは、
たいへんな寒がりということもあり、
ヒートテック+ハラマキ+フリース+ダウンに
帽子と手袋、マスク、厚手の靴下、
とどめのスノーブーツという
完全な防寒対策をしていきました。
雪が降っていなくても、
山から降りてくる気仙沼の風は、
強くて冷たいので、
外気から皮膚を覆う小物、
とにかくあるといいですよ。

気仙沼朝市は、毎週日曜日、
朝5時から8時まで開催されています。
(2012年の初市は、来週8日から。)

荘厳な朝日と一緒に、
朝市もたのしんでくださいね。

この日、気仙沼で
他にもはじめて行った場所があるのですが、
それは、また次回に。
(次の更新は、来週の予定です。)

アンカーコーヒーがオープンした次の日、
気仙沼に、もうひとつうれしいニュースが。
そうです、待ちに待った
「気仙沼復興商店街 南町紫市場」のオープンです。

気仙沼のメインストリート
「南町商店街」にあった
140店舗のうち、51の地元のお店が入った
この「南町紫市場」には、
寿司屋、居酒屋、焼き鳥屋、バー、スナック、
割烹、喫茶店などのあらゆる飲食店だけでなく、
魚屋、八百屋、酒屋、豆腐屋、
惣菜屋、菓子店、コロッケ屋。

それから、食べること以外にも
生活に欠かすことのできない、
床屋さん、美容室、お花屋、薬屋、電気屋、
洋服店、雑貨店、印鑑屋さん、
そして、そして、ピアノ教室、
マッサージ屋さん、学習塾!
と、まあ、一息では、
到底読みあげきれないほどの、
たくさんのお店、
なんというか、町そのもの!

被災地で復興を目指す仮設の商店街としては
全国でも最大規模とのこと。

オープンのその日は
12月24日ということもあって、
たくさんのサンタさんがイベントを盛り上げ、
地元の人がオープンを喜び合う様子を
多くの取材陣があちこちで取材する、
なんともにぎやかな日でした。

これだけたくさんのお店があると
すべては回れないのですが
わたしたちがお邪魔した
揚げたてコロッケ屋の「コロッケ」と
喫茶マンボの
「醤油ラーメンとチャーハン、
 チョコレートパフェ」
は、たいへんおいしかったです。
また、食べに行きます。
(いちおう、補足しておくと
 一度に、ではなく、
 2日に分けて食べました。)

南町紫市場の向かいには、
ガラス張りの中に、部屋の中の木の雰囲気が
ひときわ目立つ、あったかそうな建物が。
こちらは、震災後、子供たちの遊び場が
めっきり少なくなったことを、
なんとか解消できないかと、
元は薬屋さんだった場所を改装して
地元の青年会、商店街が運営をする
子供たちのための集会所です。
場所の名前は、「cadocco」(かどっこ)です。

この日は、黒板に絵を書いたり、工作をしたり、
各々自由に過ごしていました。
これからは、部活やお祭りの太鼓の練習、
ダンスや劇、などを、
こちらの場所でやっていく予定とのこと。
不定期ワークショップも開催予定だそうです。

「cadocco」の壁には、
気仙沼の避難所で発行されていた
「ファイト新聞」のレプリカがありました。
避難所で生活する小学生たちの、
手作り壁新聞。
どんなことが書かれているのかを、
本で読んで知ってはいても
(じつは、おもしろいんです。)
その壁新聞があった
数ヶ月の避難所での生活を思うと
ジーンと込み上げてくるものがありました。
彼ら(彼女ら)がいて、救われた大人たちが
たくさんいたのではないかと。

壁新聞の前では、とってもかわいらしい
元編集長が取材を受けていましたよ。

そうそう、この日、
ジーンとしたことがもうひとつ。
商店街のほど近い場所に、
わたしたちが通りかかった
ちょうどそのとき、
信号機が設置されていました。

次の日には、警視庁や全国の県警から
応援に来ていた
「特別交通支援隊」のみなさんが、
それぞれの県に帰られたという話を聞いて、

「よかった! 信号がついたからですね。
 寒い中、ほんとうにおつかれさまでした。」

という気持ちと同時に、
さまざまな県のナンバーをつけた
警察車両を見かけることは、
これからめっきり減る、
ということに、はっと気がついて、
何とも言えない、
ちょっとさみしい気持ちになりました。
たくさんの警察関係者のかたには、

「今度は、お休みの日に、ぜひ、観光で!」

ということも、お礼と一緒にお伝えしたいです。

24日は、クリスマス寒波と呼ばれる、
とーっても寒い一日でした。
でも、商店街のオープンに立ち会った
わたしたちは、
港町のサンタさんから
「ジーンとして、ぽかぽかする気持ち」
という、プレゼントをもらった気がします。

本格的な冬の到来を控え、
気仙沼のようすも、
わたしがはじめて行った夏の頃とは
がらりと雰囲気が変わって来ました。
明日は、さらにもう一段と、
寒いところに行ってきたようすを
報告しますね。

12月23日。
祝日。
さむいけれど、快晴。
すこし雪がちらつく青空の下。

PM 12:01

「アンカーコーヒー&バル 田中前店」オープンです。
待ちわびた人々がひとりずつ店内へ。
「いらっしゃいませー!」
笑顔、笑顔、笑顔。

PM 12:01というふしぎな時間に開店したのは、
この日が暦の上で「先負」だったから。
「先負」の日には、漁も午後の船出になるのだとか。

見えないセイルを仮の店舗にびしっと張った
アンカーコーヒーも、
この日は午後の出航にしたというわけです。

アンカーコーヒーは、
「やっちさん」の愛称で親しまれている
小野寺靖忠専務の会社、
株)オノデラコーポレーションが運営するお店です。

港の赤いたてもの。
アンカーコーヒーは、街のみんなの憩いの場でした。
漁に出る前の漁師さんが立ち寄って
一杯のコーヒーを飲んでゆく‥‥
そんなお店だったそうです。

3月11日、
気仙沼市内に2店舗あったアンカーコーヒーは、
津波により全壊しました。
製菓工房とコーヒーの焙煎工房も、被災しました。

そこから、
いちにちも早い復活をめざしての、この日です。

9カ月が経って、
その憩いの場所がようやく戻ってきたのです。
仮設店舗とはいえ、
アンカーコーヒーが帰ってきた。

「ほんとは赤い外装にしたかったんですよねー」
やっちさんは、
ちょっと残念そうにそう言います。
でも、全身からは、うれしさがあふれるように‥‥。

「従業員のみなさーん、
 元気にあかるくまいりましょー!」
やっちさんのかけ声に、
「はーーーい!」と応えるスタッフ勢。
お客さんたちもついでに、
「はーーーーい!」

大げさな言い方かもしれませんが、
こんなに、こんなにすばらしい賑わいを、
ぼくは今まで経験したことがありません。

さて、もう一度。

「アンカーコーヒー&バル 田中前店」オープンです。
待ちわびた人々がひとりずつ店内へ。
「いらっしゃいませー!」
笑顔、笑顔、笑顔。

やっちさんのお父さんもうれしそう。

やっちさんのお母さんも、お姉さんも、
従業員のみなさんも、みんながこの日を待ってました。

やっちさんの息子さん、
しゅんすけくんはゴムまりのようにはしゃいでます。
(お父さんに食べられちゃってる)

あれ?
宮城県庁の山田康人さんだ!
きょうは奥さまとご一緒ですねー。
左の男性は様々なお手伝いをされている小林さん。

オープンしてほどなく、
ここのコーヒーが飲みたかったお客さんたちで、
すべてのテーブルがいっぱいになりました。

「おめでとうございまーす!」

「ああ、ありがとうございます!」

挨拶にお忙しいやっちさん。

もちろん、コーヒーを飲みました。
まずはドリップコーヒー。
ああ‥‥おいしい。安心のおいしさです。

そして、アンカーコーヒー自慢の
エスプレッソマシンでつくった、ラテも。
‥‥この、ラテ、絶品!
ミルクに合うエスプレッソを抽出することで、
この味をつくっているのだそうです。
いやー、おいしい、ほんとにおいしい。

ラテに感激していたところに、
元気な女性がやってきました。
「開店おめでとうございます」

左の写真で言いますと、赤い壁を背に手を振る、
白い上着の女性です。

やっちさんに聞いてびっくり。
この女性は、
「そろそろ恋バナとかしたいな」
と言っていた、まさしくその方なのだそうです!

え? なんの話?
という方も少なくないことでしょう。
ぜひ、こちらをお読みください。
6月16日に糸井重里が書いた「今日のダーリン」です。
ほんとうにぜひ、お読みください。

‥‥いかがでしょう。

「そろそろ、コーヒーでもゆっくり飲みながら、
 女友だちと恋バナとか、したいな」

そう言っていた女性が、こんなにすてきな笑顔で、
アンカーコーヒーにやってきたのです。

やっちさんが言いました。

「さあ、場所はできたからね。
 好きなだけ恋バナをしてください。
 あとはあなた次第ですよ、と(笑)」

チェックのシャツにキャップ姿の
おしゃれなおじいさまもやってきました。

ひとりでやってきて、
音楽を聴きながらコーヒーを飲む男性もいます。

受験勉強をはじめる学生さんも。

老若男女。
港町のコーヒーショップは、
こんなにも幅広い人々に親しまれていたんですね。

お子さん連れのお母さんに、
すこしだけお話を聞きました。

「わたしたち、震災の日の午前中にも
 アンカーコーヒーにいたんです」

久しぶりに食べるここのドーナッツが、
ほんとうにほんとうに、おいしいと。
またこれを食べられることが、うれしいと‥‥。

お客さんは、まだまだひっきりなしに訪れます。
あんまり長居はご迷惑というもの。
ぼくらは日帰りで東京へと戻りました。

やっちさん、またかならず遊びに行きますね!

「アンカーコーヒー」について、
くわしくはこちらのHPをどうぞ。

ブログ「アンカーコーヒー クルー日記」は
こちらからどうぞ。

最後にもうひとつ。

この日のアンカーコーヒー訪問には、
イラストレーターの福田利之さんも同行しました。

福田さんとアンカーコーヒーで、
またすてきな企画があるのですが‥‥
それはまた別のお話。
2012年、あらためて発表しますね!