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勉強サイド

勉強の夏、ゲームの夏。2017

asami.fujita

涌嶋先生の学生時代

2017/08/25 11:57
涌嶋先生です。

さきほど、
涌嶋先生のあまりの華々しい経歴に、
インタビュアーである私、
少々とりみだしてしまいました。

えー、心を落ち着けて
まいりたいと思います。

涌嶋先生は、
経歴だけを聞いていると、
絵に描いたような
勉強一筋できたお嬢様なのに、
「ジグソーパズルを
買ってもらうために勉強する」って、
なんだか男っぽい感じがありますね。
優等生のお嬢さま、という感じが
あまりしないというか‥‥。

「ああ、女子学院って、そういう
いかにもお嬢さん、
みたいな学生はいないんですよ。
ちょっと毛色が変わった学校だったから」

すみません、
私は四国出身なもので、
東京の有名学校に疎いのです。

「女子学院は制服もなくて、
私は、スカートを履かなくていい、
という理由もあって選んだんです。

あと、校則も4つしかなかったんです。

1.学校のバッジをつけてくること。
2.学校のイニシャルを
冠した校内履きをはくこと。
3.1回登校したら
下校するまで学外に出ないこと。

で、もう1つは‥‥
なんだっけ。忘れた‥‥」

忘れたんですか。
あの、涌嶋先生には、
挫折経験とかないんでしょうか。

「うーん、バスケが好きだったけど、
レギュラーの座は常に取れなかったこととか」

なんと、そうなんですね。

「あと、私、ずうっと算数ができないんです。
いまでも覚えていて、
これは致命的だなと思うのが、
マイナス1と0.1が同じだと
思っていたことですね」

わはは。
それ、おかしい。

「はい。だから、私は記憶力はよかったけど、
計算はできないわけだし、
まあ、それなりに苦労はしてるんです。
もともとエンジニアになりたくて、
理系だったのに、
どうしても数学ができないから
高校3年の春に文系に転向もしたし‥‥」

なるほど‥‥。
まあ、でも考えてみたら、
同じような環境にいても
なにもやらない人はいるわけで、
やっぱり、涌嶋先生は、
努力してこられたんですよね。

「努力‥‥っていうんですかね。
いまでも覚えているのが、
小学校のころ、
毎日16時半から塾があるのに、
17時まで校庭であそんで、
塾に遅刻して、
『おかあさんになんて言おう‥‥』って
困っていたことですね」

あ、それはちょっとせつないです。
みんなと一緒にあそびたかったんですね。

「はい。あとは、
みんなといっしょの学校に行きたいから
中学受験をやめる、と言って、
親を慌てさせたこともありましたね。
けっきょく受験しましたけどね‥‥」

でも、それだけ勉強してきた
涌嶋さんだからこそ、
今日、いろんな質問に
こたえられると思います。
根性もすごそうだし。

「確かに、バスケも上手じゃないんですけど、
根性でやっていた感じですかね。
卒業後の、広告会社の仕事も
かなりキツかったんですけど、
それも根性でがんばったというか。
....いや、がんばりきれずに、
人並みに心が折れて
会社に行けなくなったこともありましたね。
でもまあ、やっぱり勉強は好きみたいで、
イギリス時代は、
子どもを寝かした後に毎晩勉強して、
日本語教師の資格もとりました」

毎晩勉強して資格を。
すばらしいです。
そのあたりも、後ほどぜひ教えてほしいです。

ということで、
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