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勉強サイド

勉強の夏、ゲームの夏。2017

asami.fujita

華々しい経歴

2017/08/25 11:45
では、これまでのことから
質問してみたいと思います。
えっと、涌嶋先生は、
たしか東京出身でしたっけ。

「生まれは、サンフランシスコです」

サンフランシスコ生まれ!

「でも1歳半で帰国して
神奈川に住んでいたから、
帰国子女だけど、
英語はまったくできなかったです」

どんな子ども時代を過ごされたんですか?

「うーん‥‥人生で一番勉強したのが
小学生時代だったといってもいいほど、
勉強漬けでしたね。
中学受験をしたんですよ」

中学受験を。

「はい。当時はブロイラーでしたね」

ブロイラー?

「中学受験のための塾があって、
その塾が決めたカリキュラムを
ただただ詰め込んでいた‥‥
そんな子ども時代でした」

つらくなったりしませんでした?
逃げ出したいな、とか。

「ゲーム感覚でたのしかったから。
いい点をとれば、
ジグゾーパズル買ってもらえるとか、
そういうご褒美があったし。
あと、うち、
2歳上の姉がいるんですけど、
なんでもかんでも
音読して覚えるという姉だったんです。
子どもの耳って不思議で、
側で聞いてるうちに、
私まで覚えちゃったんですね。
だから、ちょっと同級生の子よりは
アドバンテージがあって、
それでいい点がとれたら、
またうれしくて、たまたま
勉強を続けてこられた‥‥
という感じです」

なるほど。

「それで中学で、女子学院に入学しました。
もともと身体を動かすのが好きだったから、
バスケットに打ち込みはじめました。
当時、スラムダンクが流行っていたんです」

わかります。私も同年代ですから。
『スラムダンク』は熱かったですね。
ところで涌嶋先生、
当時からショートカットでした?

「あ、はい」

で、女子校で、バスケで活躍していた‥‥。
それは、モテたでしょう?
まわりの女子学生から。


「あー、そうきますか‥‥
‥‥はい、モテましたね。
学年をこえて、モテてました。
チョコレートもたくさんもらって‥‥
おにいさま、と呼ばれたりもしました。
いろいろなことがありました。
でも、この話は
ディープになりますよ。
勉強の話じゃなくなっちゃいますよ」

個人的には、
ものすごく聞きたいですが、
そうですね、趣旨がちがうので、
これ以上は突っ込まないでおきます。

卒業後はどんな進路を?

「慶應義塾大学法学部を卒業した後は、
そのまま大学院に行きました。
で、修士課程をとって、
その後は広告会社で営業として
飲料やビール会社を担当していました」

‥‥。

「で、その後、結婚して、
夫の留学と仕事の都合で、
スペインで2年、
イギリスで4年暮らして、
去年の夏に日本に戻ってきました。
スペインではスペイン語を学び、
イギリスでは
日本語教師の資格をとって
日本語を教えていました」

あの‥‥
あの、涌嶋先生‥‥

「ん?」

私、書いてて不安になってきましたよ。
なんですか、
サンフランシスコ生まれで、
中高で有名女子高校に行って、
慶応行って、院に行って、
広告会社行って、
海外行って帰国した‥‥って。
なんかこう、ある側面からみると、
キラキラの、
まばゆいばかりの人生じゃないですか。
私、若干、やっかんでますよ。
なんなんですかーーー!!!

「‥‥」

(涌嶋先生、若干こまりぎみ)

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