Half Round Tableの仕様の打ち合わせで
伊藤まさこさんが「北の住まい設計社」のある
北海道に飛んだのは、昨年の夏のことでした。
冬は厳しい寒さのさなかにある東川ですが、
夏は緑と陽光にあふれた土地。
この座談会は、Half Round Tableの
こまかな仕様を決めたあとに、
代表の渡邊恭延さん・雅美さん夫妻、
主に営業を担当する秦野誠治さん、
デザイナーの城浦光希さんと、お話ししたようすです。
場所は、もともと小学校だった
「北の住まい設計社」社屋の、
かつて音楽室だったというスペース。
緑がいっぱいの夏の北海道の風景とあわせて、
そのときの気分ごと、この座談会をお届けします。

北の住まい設計社

北の住まい設計社 きたのすまいせっけいしゃ

1985年、渡邊恭延さん・雅美さん夫妻が立ち上げた
家具と建築の工房。
作業場は、旭川の郊外・東川町の山奥にあり、
1928年に建てられた小学校の建物を使っている。
自然に優しい天然の素材で作ること、
素材が生き続けられるやさしい作り方であること、
デザインはシンプルに、修理も可能な
しっかりとした手仕事であることをテーマに、
北海道産の無垢材で家具をつくる。
ショールームとショップ、カフェ&ベーカリーを併設、
休日を過ごしに訪れる人も多い。
2000年、住宅部門として
「北の住まい建築研究社」をつくり、
何世代にも渡って使い続けられる家づくりを目標に、
天然素材を使った家づくりを提案している。

●北の住まい設計社
●北の住まい建築研究社

02
北海道産の材木だけを使おう

秦野
‥‥6年前ですかね、いきなり、
社長(渡邊さん)が「輸入材をやめるぞ」と。
その当時、僕らがつくる家具は
4割は輸入材を使っていて、しかも評判がよかった。
だから「どうするんですか?」って。
でも「やめるから」の一点張り。
伊藤
売れているものでもやめる決意をなさったんですね。
つくるべきなのは北海道の材木を使った家具なのだから、
そこに集中するぞということですよね。
すごいです。
雅美
いや、すごいったって中では大騒ぎですよ。
いろんなことを「なんとか」しなくちゃいけないから、
私たちががんばるしかないわけで(笑)。
伊藤
たしか1985年の立ち上げの時から
北海道産の材木を使おうとおっしゃっていましたよね。
けれども実際は輸入材も並行して使ってきたのは、
どんな理由があったんですか。
雅美
たとえばチークですが、
こういう家具をつくりたいっていうイメージがあると、
それはチークであるべきだというものが出てくるんです。
つまり、私たち、チークの家具が好きなんですね。
塗装をせず、無垢のままでいい色の家具を考えると、
チークの家具ってとても魅力があるんです。
渡邊
そしてチークは輸入材です。
今のミャンマーですね。
日本ではとれないんですよ。
雅美
だけど‥‥理念として、やめようと、
ある時、そう言ったわけです、渡邊が。
伊藤
北海道産のいい材木があるのに、
国内ではあまり使われず、
どんどん輸出されているという
現状もあったとか。
渡邊
そうなんです。
雅美
もうすでにずいぶんいいものが
輸出されていきました。
渡邊
戦後からですから。
70年くらい前に、もうすでに
日本のミズナラのいいものは海外に行ってます。
戦争に負けて、国が崩壊寸前までなり、
経済もゼロみたいな状態の中で、
輸出できるいいものっていうか、
向こうが求めてたのが、
北海道のミズナラだったんでしょうね。
──
それは、製材して売ってたんですか? 
原木を丸太でですか?
渡邊
原木だと思いますね。
だからきっと安かったと思います。
──
フィンランドでもそうだったと聞きました。
フィンランドの戦後も森林資源を
原木のままで売ってたんですって。
だから安いお金しか入ってこなかった。
製材すれば高くなると気がついて、
植林と伐採の計画をして、
製材した材木を売るようになって、
やっと潤ってきたそうです。
秦野
ロシアもそうですね。
渡邊
北海道のミズナラはほんとうによかったですよ。
丸太の径は(両手を拡げて)このくらい、
普通にありましたからね。
そういう時代が日本にもあったんです。
いまも、巨大な木を切った切り株が、
どこかに残っているかもしれません。
伊藤
寒いところでゆっくり育っているから、
目の詰まったいい材木になるんでしょうね。
それで、あるとき、北海道の木だけを
使って家具をつくることを決められたわけですが、
そのタイミングはどのようにしてやってきたんでしょう。
渡邊
「国産のものじゃなければだめだ」
っていうことよりも、
外国産のいい木が買えなくなったことも要因なんです。
僕は材木の仕入れで
アメリカに買い付けに行っていたんですが、
ある時から、中国が台頭してきて、
ものすごい勢いで丸太を買っていくようになりました。
僕らは、選んで気に入った丸太を5本なら5本、
10本なら10本買うところを、
彼らは1000本あったら1000本買っちゃう。
その競争のなかに僕たちがいるんだ、って、
そこで知りました。
伊藤
骨董の世界でも、
同じことが起きていると聞きます。
吟味せずにとにかく全部買われていくんだそうですね。
渡邊
はい、材木もそうです。
それでアメリカに行くのをやめ、
北海道の木100%でやろうと決めました。
あともう一つ、検疫も大きいですね。
丸太の皮にはいろんなものがついてますから。
港で強めの殺菌をするんです。
僕らの家具はナチュラルな仕上げで、
みんなが直接触れるものなので、
もしかしたら薬品が染み込んでいるかもしれない木は
使わないほうがよいだろうと思いました。
そんなふうにいくつかの要因が組み合わさって
自分の中で熟成されていった期間があって、
ぼくは「輸入材をやめる」と言ったんだけれど、
みんなには「スパッと、突然、やめると言った」という
印象だったんですね。
雅美
もっと早めに教えてくれればいいのにね(笑)。
伊藤
でも‥‥、北海道の木だったら全部OK、
ということではないですよね。
渡邊
それはもちろんそうです。
国産の材木にも、いろんな問題があります。
残念なことですが、北海道の中でも、
外国の丸太と混ぜ合わせて挽いてるところがあります。
実際、目の前で挽いているのを見れば、
ぼくは国産か外国産かわかります。
で、「どのくらいですか?」って聞いたら、
「3、4割が国産で、あと6、7割は外材だ」と。
今はあんまり輸入材が入ってきていないでしょうけれど、
当時、そういう状況に日本がなっていたんですよ。
だから100%、絶対大丈夫だと確信している
材木屋さんに依頼をしています。
伊藤
輸入材をやめた影響、
きっと、おありだったでしょう。
雅美
ちょうどウォールナットとかチェリーの、
あの色の付いた木の家具が
人気が出てきたときだったんです。
小売店さんもそれで売り上げが取れている、
ファンもいるっていうのに、
それをいっさいやめるというわけです。
「え?」って言われますよ。
渡邊
それは‥‥やっぱり失敗だったね。
一同
(笑)
渡邊
うちはいいんですよ。うちはなんとかなる。
でも小売店さんがそっぽむいちゃった。
もうあそことは取引できないと怒っちゃうんです。
そりゃ、そうですよね。
伊藤
そこから回復していくのに、
時間がかかった、
やっと理解していただけるようになった、
っていうことですか?
渡邊
いや、今、その取引先はほとんどなくなりました。
雅美
もうちょっと助走期間をつくってくれればって
思うんですけどね。
考えているようで考えてない。
渡邊
会社がうまくなるようにと思っているんだよ。
でも気がついたら、売り上げがなくなってた。
伊藤
「木を植える男」ならば
いつも未来を見ていらっしゃるのかと‥‥。
雅美
学者ならそれでいいんですよ。でもねえ。
──
わたしたちがいなくなった100年後にも木は残るわけで、
それが何かに使われるっていうことを
少しでも想像しない人は、
木は植えないと思うんですよ。
伊藤
うん!
渡邊
その通りですよ(笑)!
伊藤
(笑)
雅美
でもね、組織の存続を、
もうちょっと、ね‥‥。
だから私たちは
スタッフに守られてる感じです。ほんとに。
伊藤
逆に言えば、そのスタッフを集めたのは、
渡邊さんたちですよ。
渡邊
いやいや、そんなことはない。
守られてるっていうのは、僕も認めますけど、
集めたのは、自分たちっていうことじゃないよな?
雅美
勝手に来てくれたの(笑)。
秦野
そうかもしれません。
伊藤
へぇぇ、おもしろい!
渡邊
あらゆることって、
知識がないとわからないこと、
たくさんありますよね。
私たちはスタッフに、
仕事をしながら教えてもらった感じです。
(つづきます)
2023-01-16-MON