なにせ創刊から22年ですから、
ほぼ日刊イトイ新聞の
アーカイブはほんとうに膨大です。
年末年始の休みに読み直す、といっても、
いったい何から読んでいいのやら?
そこで、ほぼ日刊イトイ新聞を
むかしから読んでいる人たちに、
おすすめの読みものを
音楽のプレイリストをつくるみたいに
ユニークな切り口から
ピックアップしていただきました。
(ありがとうございます!)
ピンと来たらぜひ読んでみてください。

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10.柳瀬博一さんのプレイリスト

「サラリーマンの放課後原っぱ」
としての「ほぼ日」。

 >柳瀬博一さんプロフィール

私が、「ほぼ日」のオフィスに
ちょこちょこお邪魔するようになったのは、
1990年代終わり、
たしか「ほぼ日」が始まって1年ほど経った頃からです。
もう20年以上前の話ですね。

当時、私はかけだしの書籍編集者でした。
担当した『流行人類学クロニクル』や『社長失格』を
「ほぼ日」でとりあげていただいたのをきっかけに
お付き合いが始まりました。

私にとっての「ほぼ日」は、小学校時代の放課後、
みんなで遊んだあの「原っぱ」です。

70年代に小学生だったので、
まだ近所に原っぱがありました。
缶蹴りをしたり、仮面ライダーごっこをしたり、
捨ててあったエッチな本を棒切れでめくったり、
なんてことをしておりました。

原っぱでは、ときどき、
見知らぬ子がふらっと来たりします。
で、缶蹴りやゴロベースで人数が足りないと、
「ちょっと混ざらない?」と声をかけて、
混ぜちゃったりする。
それがきっかけで友だちになったりする。

あの感じが、「ほぼ日」にあったんですね。

ふらっと、顔を出す。アポ無しですw
いろんな人がいる。
糸井さんや「ほぼ日」の乗組員だけじゃなく、
有名な人、無名な人。高校生。老人。社長。無職。
性別も、国籍も、職業も、年齢もばらばらな人たちが。
いつもいる。

そこで雑談が始まったり、一緒におやつを食べたり、
ゲームをしたり。
どこにも所属していない空間と時間。

あ、これ、放課後だ。
子供の頃、学校が終わっても、すぐに家に帰らずに、
寄り道ばかりしていた私は、
「サラリーマンの放課後」を見つけたわけです。
迷惑顧みず、今に至るまで、
「ほぼ日」にふらっと寄らせていただくようになりました。

そんな「放課後の雑談」が
そのままコンテンツになっちゃったのが、この3つです。


2003年1月4日の
留守番番長

初期の「ほぼ日」では、
お正月にお休みをしている糸井さんと
乗組員の方々の代わりに、
放課後に遊びに来た人たちが「留守番番長」となって、
ほぼ日のコンテンツをつくってみる、
という遊びがありました。私が担当したのがこちらです。


2003年2月25日の
男たちはどこへ行った?

初期の「ほぼ日」の放課後は、こんな感じでした。
しりあがり寿さん、祖父江慎さん、田中宏和さん、
そして糸井さんといっしょに
「男らしさ」はどこに行ったんだ! という
どうでもいい話を延々、お茶を飲みながらしていたら、
連載コンテンツになっちゃったw


2014年
小網代の森に遊びに行くよ!

「ほぼ日」に遊びに行くたびに、
私が1980年代から保全活動にかかわっている、
三浦半島「小網代の森」の話をしていたら、
「一般公開に先立って、レクチャーして!」と
糸井さんに声をかけていただき、
乗組員のみなさんに私がお話ししたのがこちら。
この企画がきっかけで、
糸井さんと「ほぼ日」さんには、
私が所属するNPO小網代野外活動調整会議に
さまざまなサポートをいただき、
「小網代の森」の保全活動がスムースに進む
一助となりました。
「ほぼ日の記事を見てきました!」というお客さん、
すごく多いんです。


53 矢沢永吉、50代の走り方。


ピーコを、チェック。
杉浦克昭自伝的対談。

放課後の「雑談」から、
結果としてお仕事をさせてもらったりしました。
矢沢永吉さんの『アー・ユー・ハッピー?』、
ピーコさんの『ピーコ伝』という二つの本がそうです。
連携したコンテンツがこちら。

初期に比べて、
ものすごく大きな存在になった「ほぼ日」ですが、
神田にうつった新オフィスにうかがっても、
あの「放課後」感は、いまでもちゃんと漂っています。
いまや、学校の教員になっちゃった私ですが、
先生も遊べる放課後の原っぱでい続けてください!

2021-01-04-MON

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