日本語のわからない海外の人が、
翻訳ツールを使って
ほぼ日を毎日読んでいるとしたら? 
世界のどこかにひとりくらいは、
そんな人もいるのかなぁと思っていたら、
なんといました! ほんとうにいたんです!

彼女の名前は、マデリン。
オーストラリアに住む16歳の女の子からでした。
自動翻訳の精度に満足できず、
「公式の英訳記事をもっと出してもらえませんか?」
というメールをほぼ日に送ってきたのです。
日本語のわからない彼女が、
どうしてそんなにほぼ日を読むようになったのか、
ちょっと気になりませんか? 
メールでのやりとりを通して、
彼女が読んでいる「HOBONICHI」のこと、
もっとくわしく教えてもらうことにしました。
それでは、マデリン、よろしくね。

>マデリンのプロフィール

Madeleine(マデリン)

オーストラリア在住。
現在は17歳になり、
高校の最終学年を迎えました。
地元のスピーチ大会では、
3度の優勝経験を持つそうです。
好きな科目は「数学」。
好きなゲームは「MOTHER」。

翻訳ツールをつかいながら、
いまも毎日ほぼ日を読んでいるそうです。

※プロフィールは随時更新予定です。

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#09 誰かのために書くということ

 
ちょうど10日ほど前のこと。
オーストラリアに住むマデリンから、
久々にメールが届きました。
本人も書いてくれていますが、
しばらくメールが止まってしまったのは、
期末試験の準備をしていたからだそうです。
マデリン、まだ高校生ですもんね。
しかも、この短いあいだに、
「スクール・キャプテン」という、
生徒会長のようなものにも選出されたみたいです。
最近のこと、いま考えていること、
いろいろたくさんメールに書いてくれました。
それでは、さっそくどうぞ!

Dear Tsubasa,

Thank you so much for your email―I’ve been thinking about it almost every day, considering my reply carefully. I’m sorry it’s been a little while! I finished my final Maths exam just under two weeks ago. Although it’s a little sore to leave behind my favourite subject, I have to admit, it’s been nice to have a break from pushing myself so hard all the time (and from calculus too haha). It’s been a pretty stressful few months, but knowing that you, as well as everyone who read the first few installments, were supporting me from far away encouraged me to keep going. Especially to those who wrote to me: your messages were so heartfelt; by the end I had started crying. So, thank you.

I’ve now entered my final year of high school, ‘Year 12’ in Australia. It’s an exciting time that’s accompanied by both ‘firsts’ and ‘lasts’. I ended up being elected school captain, and taking on that role has also come with its own set of joys and trials. Hopefully I can use my term to make a difference to my school.

As such, I was very pleased that you brought up Hobonichi’s corporate philosophy, ‘Give dreams hands and feet’. I’d come across it a few times previously, and it’s always stood out to me as being so Hobonichi.

I found your own interpretation paralleled mine―an encouraging kind of ‘call to action’ for each of our own personal dreams. It does not pass judgement on the inherent worthiness of our dreams, instead trusting that our dreams are intrinsically good, and worth acting on.

Something I was interested to discover was that Japanese, just like English, has the same double meaning of ‘dream’ as both ‘illusions during sleep’ and ‘strongly desired goals’. Isn’t it strange? It surely is proof of a universal perception of ‘dreams’ across societies: that they are misguided, disconnected from reality.

Ah, it seems they really do ‘only come with wings’.

Usually, inspirational quotes tell us to ‘chase our dreams’ or ‘reach for the stars’. But I think this idea only confirms how far out of reach our dreams seem to be. We’re only human: we can’t chase for long without becoming tired; we can’t reach much further than a few centimetres above us.

I think that’s why ‘Give dreams hands and feet’ has such a unique and aspirational quality to it. Our dreams are our own―we alone have power over them. By focussing on what’s possible over what’s impossible, by caring for them in our everyday life, we can become closer to them. 

In time, dreams will come to resemble us. And we, in turn, will come to resemble our dreams.

 And well, I may not have started out with a particular dream, but just by living out my own ideals each day, I’ve been able to give my own hands and feet dreams in this project.

I’ve been writing for as long as I can remember. It started out with short stories when I was a kid, and grew into poetry, lyrics, and discursive pieces as I got older. In Year 7, I started keeping a diary. It wasn’t an intentional thing―slowly, I just started coming back to the same notebook night after night. I’ve never had a good memory for my past experiences, so above all, my diaries have acted as a ‘museum of my own feelings’. For many years, I had no desire to express these things to anyone else. Even when I had to give speeches, I’d talk about impersonal subjects. My own emotions and thoughts were just for me.

So when I read Kaho Miyake’s interview recently, I found myself reflecting on how much I’ve changed in my own writing. ‘Writing for others’ is still new for me, and Miyake was right in that it’s different from writing for myself. Rather than being able to express things exactly as they come to mind, it’s so important to consider why you want to express it, who you are expressing it to, and how you want them to receive it. 

Still, I’ve realised I write best for others when I take inspiration from what I’ve already written for myself. This method has been greatly inspired by the Today’s Darling and Hobonichi 3-minute Column, which seem to act like diary entries to be read by others. Rather than focussing on topics considered ‘important’ by others, to me it makes so much more sense just to speak about what’s been on my mind. And that way, especially in speeches, you can hear my passion, my energy, my emotion. When you’re writing to speak, writing is only half the battle. 

In order to express your thoughts and connect with another person, I’ve come to realise that the most important thing is to show your humanity. Lean into your doubts, be honest with your nervousness, show your weakness as if it is your strength.

That way, expressing our thoughts to others allows us to both question and validate them for ourselves. It’s kinda like giving our thoughts hands and feet: letting them exist alongside the part of ourselves that others see, rather than keeping them buried inside.

Your analysis of the Hobonichi Techo was fascinating, and I think it relates perfectly to what I’ve been thinking: 

it only becomes complete once the user has written in it. So it is both a product and a kind of media.

 ‘Giving our dreams hands and feet’ is a process. Having a medium in which to express, consider and refine our thoughts is probably one of the first steps. By writing in our techos, we can transform our hazy dreams into something human-like.

It’s been good to write to you again―I really do enjoy it. There’s something I’ve been wondering: when you were in high school, did you have any dreams? If so, did they remain as you became an adult? I’d be interested to know how you think you’ve changed as you’ve grown up. 

I can’t wait to hear from you next time. I still can’t believe my luck to have ‘met’ you.

Love from Madeleine

P.S. I really loved the article series with CASIO. I’m a dedicated CASIO customer, and my favourite calculator of all time is the FX-8200 AU (only available in Australia). Just wanted to put that out there.

ツバサさんへ

お返事ありがとうございます。
いただいたメールのことをほぼ毎日思い浮かべながら、
どうお返事しようか、じっくり考えていました。
あいだが空いてしまって、ごめんなさい。

2週間ほど前に、数学の最終試験が終わりました。
一番好きな科目を手放すのは少し寂しいですが、
正直、いつもあんなに必死に
自分を追い込むことから解放され、
いまはほっとしています(微分積分からも(笑))。

この数ヶ月はかなりストレスの多い日々でしたが、
ツバサさんや、連載を読んでくださったみなさんが、
遠くから応援してくれていると思うと、
がんばろうという気持ちになりました。
とくにメッセージをくださった方々へ。
みなさんのことばは、
ほんとうに心のこもったものばかりで、
読み終わる頃には泣き出してしまいました。
ほんとうに、ありがとうございました。

私はいま、高校の最終学年、
オーストラリアでいう「Year 12」になりました。
「最初」のことと「最後」のことが
同時にやってくる、わくわくする時期です。
結果的に、スクール・キャプテン
(学校全体の生徒会長のようなもの)にも選ばれました。
その役割を引き受けることに、
よろこびと試練の両方を感じています。
この任期中に学校をいい方向に
変える何かを残せたらと思っています。

そういう時期だったので、
ほぼ日の「夢に手足を。」を教えてくださったこと、
とてもうれしく思いました。
以前にも何度か目にしたことはありましたが、
とくに「ほぼ日らしい」と、
強く思っていたことばのひとつでした。

ツバサさんの解釈を読んで、
私の解釈と似ていると思いました。
私たちひとりひとりが持つ、
個人的な夢への行動をうながすような、
「アクションへの呼びかけ」だと。
その夢が本質的に価値あるものかどうかを
ジャッジするのではなく、
むしろ私たちの夢は「本質的にいいもの」であり、
行動に移す価値があると信頼してくれている。
そんなふうにも感じました。

興味深い発見だったのは、
日本語にも、英語とまったく同じように、
「夢(dream)」ということばに、
「睡眠中に見る幻」と「強く望む目標」という、
二重の意味があることでした。
不思議だと思いませんか? 
これはきっと、国や社会を問わず、
「夢」というものに対する普遍的な認識
――つまり夢とは
「見当違いで、現実からかけ離れたもの」という認識――
があることの証拠なのでしょう。

ああ、夢には、
ほんとうに「羽」しかついていないようですね。

ふつう、心に響くことばというのは、
「夢を追いかけよう(chase your dreams)」とか、
「星に手を伸ばそう(reach for the stars)」と
いったものです。
でも、こういう考え方は、
私たちの夢がいかに手の届かないところにあるかを、
かえって強めているだけのように思います。
私たちは、ただの人間です。
疲れることなくずっと追いつづけることはできないし、
自分の数センチ上より遠くに手を伸ばすこともできません。

だからこそ、
「夢に手足を。」ということばには、
他にはない、私たちの向上心をかき立てるような、
特別な力があるのだと思います。

夢は、私たち自身のもの。
私たちだけが、
それをどうするか決める力を持っています。

不可能なことではなく「可能なこと」に目を向ける。
日々の暮らしの中で、その夢を大切に育てること。
そうすることで、私たちは夢に近づくことができます。

ーーーーーー
そうして、夢は、ぼくらに似てくる。
ぼくらは、夢に似てくる。
ーーーーーー

そうですね。
私は、最初から何か特定の夢を持って
スタートしたわけではありませんでした。
でも、このプロジェクトの中で、
自分自身の理想を毎日を生きていくことで、
私は、私自身の「手足」に、
「夢」を与えることができてきた。
そんな気がします。

私は、物心ついた頃からずっと文章を書いています。
子どもの頃は短い物語にはじまり、
成長するにつれて、詩や歌詞、
考察的な文章へと広がっていきました。
7年生(中学1年生)のとき、日記をつけはじめました。
意図してはじめたわけではなく、
ただ、毎晩のように、
同じノートブックに戻ってくるようになったのです。
私は昔の経験をあまり覚えていられない質なので、
何よりもまず、私の日記は、
「私自身の感情の博物館」として機能しました。
何年ものあいだ、こうしたことを
他の誰かに表現したいとは思いませんでした。
スピーチをしなければならない時でさえ、
個人的な感情を排したテーマについて話していました。
私自身の感情や思考は、私だけのものだったのです。

だから最近、ほぼ日で見つけた
三宅香帆さんのコンテンツを読みながら、
私自身の「書くこと」がどれほど変わったか、
あらためて考えていました。

「誰かのために書くこと」は、
私にとってまだ新しい経験です。
そして三宅さんがおっしゃっていたとおり、
それは「自分のために書くこと」とは違いました。

心に浮かんだことを
そのまま(衝動的に)表現できる、というよりも、
なぜそれを表現したいのか、誰にそれを伝えているのか、
そして、どのように相手にそれを受け取ってほしいのか。
それらを考えるのが、とても大切、ということです。

それでも、私が、
「誰かのために」一番うまく書けるのは、
結局「自分のために」すでに書いたものから、
インスピレーションを得たときなのだと気づきました。
このやり方は、
「糸井さんのコラム」や「ほぼ日3分コラム」から、
とても大きな影響を受けています。
あのコラムは、まるで、
「誰かに読まれるための日記」
のようにも感じられるのです。

他人が「重要だ」と考えるテーマに
焦点を当てるよりも、私にとっては、
ただ「自分が今(まさに)考えていること」を
そのまま話すほうが、ずっとしっくりきます。

そして、そのやり方なら、
特にスピーチでは、聞いている人に、
私の情熱や、熱意や、感情が、ことばを通して、
「聞こえる」はずです。
声に出して「話す」ための文章を書くとき、
そこでようやく半分が終わったにすぎないのです。

自分の考えを表現し、誰かとつながるために、
一番大切なのは「人間らしさ」を見せることだと、
私は気づくようになりました。
自分の疑いを隠さず(むしろ受け入れ)、
緊張していることに正直になり、弱さを、
まるでそれが自分の強みであるかのように見せるのです。

そうやって、自分の考えを他人に表現することは、
私たち自身がその考えに疑問を持ち、
同時にそれを肯定することにもつながります。
それはちょっと、
私たちの「思考」に手足をつける、みたいなこと。
考えを自分の中に埋もれたままにせず、
他の人から見えている自分自身の一部と、
並んで存在させてあげることです。

ほぼ日手帳についての
ツバサさんの分析はとても興味深く、
私が考えてきたことと完璧に関連していると思います。

ーーーーーー
使う人が書き込むことで、はじめて完成するもの。
だから、商品でありながら、一種のメディアでもある。
ーーーーーー

「夢に手足を。」与えることは、プロセスです。
自分の考えを表現し、考察し、磨き上げるための
「メディア」を持つことは、
おそらくその最初のステップのひとつなのでしょう。
手帳に書き込むことで、私たちはぼんやりとした夢を、
人間のような姿に変えていくことができるのです。

こうしてふたたびお手紙を書けて、よかったです。
ほんとうにたのしいです。
ずっと気になっていたことがあるんです。
ツバサさんは高校生の時、何か夢がありましたか? 
もしあったのなら、
大人になってもその夢はつづいていますか? 
成長するにつれて、ご自身がどう変わったか、
お聞きできたらうれしいです。

次のお返事が待ちきれません。
あなたに「出会えた」幸運が、今でも信じられません。

Love from マデリン

追伸  
CASIOの連載記事、すごくよかったです。
私は熱心なCASIOユーザーで、
私史上、一番お気に入りの電卓は
FX-8200 AU(オーストラリア限定モデル)」なんです。
どうしてもそれだけを言いたくて。

▲A view of my town. It’s Spring now, my favourite season. On evenings like these, I enjoy writing in my techo outside a cafe in town.(私の住む町の景色です。いまは春、私がいちばん好きな季節。こういう日の夕方は、カフェの外で手帳を書くのがお気に入りです)
▲A view of my town. It’s Spring now, my favourite season. On evenings like these, I enjoy writing in my techo outside a cafe in town.(私の住む町の景色です。いまは春、私がいちばん好きな季節。こういう日の夕方は、カフェの外で手帳を書くのがお気に入りです)

 
メールに添付されていた写真は、
彼女が暮らす町の景色でした。
自然にかこまれたこの町で、
いつも勉強をがんばっているんですね。
それにしても、マデリン、
まさかカシオ好きだったとは! 
世界はどこでつながるかわかりませんね。
さて、メールの最後には、
マデリンから西本への質問がありました。
ふたりのやりとりは、
このあとどんな展開になるんでしょうか。
たのしみに見守っていてください。
それでは、次回の更新もおたのしみに。

(次回につづきます)

2025-11-21-FRI

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