
こんにちは、ほぼ日の奥野です。
シリーズ第17弾の今回は、
広島市現代美術館のコレクション展を取材。
同館は現在、特別展
「被爆80周年記念 記憶と物」を開催中で、
こちらのコレクション展でも、
広島の過去と向き合おうとしています。
被爆・終戦から80年を迎える今年の夏、
広島にある現代美術館として、
どんな作品を、どんなふうに組み合わせて、
ぼくたち鑑賞者に
何を感じさせてくれるのでしょうか。
担当学芸員の竹口浩司さんのご案内で、
会場をめぐっていきます。
土谷武《虫の領域Ⅱ》1996
- ──
- この黒いトンネルのような物体は‥‥。
- 竹口
- 土谷武さんという彫刻家による
《虫の領域Ⅱ》という立体作品ですね。 - 抽象彫刻に分類されますが、
土谷さんが表現しようとしているのは、
かなり具体的なことです。
- ──
- タイトルのとおりに受け止めると‥‥
土の中のミミズとか微生物が、
巨大化して
地上に姿を現したようなイメージかな。
- 竹口
- 何やら生命らしきものを感じますよね。
- この作品も制作委託で、
「ヒロシマ」をテーマに依頼をしたとき、
土谷さんは
「そんな軽々しく形にはできない」と。
- ──
- ええ。
- 竹口
- この作品は「鍛造」なんです。
鉄をガンガン叩いてかたちを出してる。 - おそらくですが‥‥土谷さんは、
80年前の夏、
ここ広島で多くの命が失われたことに
思いを馳せながら、
真夏の夜にうわんうわん鳴く虫の声に
生命のうごめきを感じ、
その感覚と自らを重ね合わせるように、
一体化するかのように鉄を叩き続けた。
- ──
- つまり、夏の虫の鳴き声と
鉄を叩く音を共鳴させるかのようにして
つくった作品というわけですか。
- 竹口
- 見ようによっては「腸」のようでもあり、
担当者としては、
この中を、元気な子どもたちが
くぐり抜けないようにハラハラしてます。
- ──
- わはは、たしかに(笑)。
- でも、人間というか生命って「管」だし、
その意味でも生命っぽい。
いまにも蠕動運動しそうな感じです。
ちなみに、
内部をのぞくと盛り上がっていますよね。
土谷武《虫の領域Ⅱ》(部分)1996
- 竹口
- ええ。
- ──
- 最初、人が寝ているのかなと思いました。
- 寝てるというのはつまり横たわっている、
小早川秋聲の《國之楯》みたいな、
戦死者のご遺体に
国旗とか布が被せられているかのような。
- 竹口
- なるほど。たしかに。
そんなふうにも、見えなくはないですね。 - 工芸の鍛金という技法で言えば、
もっと綺麗に整えることもできるんです。
でも、土谷さんは
ヒロシマに思いを馳せてつくってるので、
綺麗に整えるのではなく、
虫の声と鉄を叩く音を共鳴させて
一体化しようとするところに
主眼に置いている‥‥ということですね。
- ──
- 鍛造だから叩いているというより、
虫の声と一体化するために叩いていると。 - それは、ぜんぜんちがうものでしょうね。
ご本人からしてみたら。
- 竹口
- そしてこちらの絵が、菊畑茂久馬さん。
福岡を拠点に活動していた作家で
没後5年、「九州派」の重要人物です。
菊畑茂久馬《天河 七》1997
- ──
- 九州派?
- 竹口
- はい、1950年代に
反東京、反公募展の姿勢で活動していた
前衛美術家の運動がありまして。 - この作品《天河 七》は、
菊畑さんが表立った活動を一旦休止し、
その後再開してからの作品です。
- ──
- 赤の絵の具が、ベッタリと。
- 竹口
- この赤は、炎や血、生命を思わせますね。
絵の具が滴っているさまは、
やはり、どこか鬼気迫るものを感じます。
こちらも、制作委託作品。
- ──
- リヒターの作品を思い出しました。
《ビルケナウ》とか、何となくですけど。 - 過去の記憶や身体的な痛みが、
抽象の中に染み出してくるかのようです。
- 竹口
- はい。そして、こちら。
- ──
- ええと、石内都さん‥‥っぽいけど。
- 竹口
- そうです。まったく別人の作品です。
- 森山安英さんといって、
石内都さんの写真を模写しているんです。
左|森山安英《窓 50(石内都写真集『ひろしま』による引用)》2017
右|森山安英《石内都写真集『ひろしま』による模写Ⅲ》2021
- ──
- 模写。
- 竹口
- はい。森山さんは北九州にお住まいで、
かつては「集団蜘蛛」という、
過激なハプニングを行うグループの
中心的なメンバーでした。 - たとえば排泄物を仕込んだマッチ箱を
街で配り歩いたりするような。
- ──
- ひええ(笑)。
- 竹口
- いわゆる「反芸術」の人なんですけれど、
一時制作から遠ざかっていたんですが、
長い沈黙のあと、絵画に回帰するんです。 - 銀色のペンキを
キャンバスにぶちまけた作品だったり。
絵画を否定するような絵画ですね。
- ──
- なるほど、一筋縄ではいかないというか。
- 竹口
- でも、そのうちに
だんだん筆で絵を描きたくなってきたと。 - そこではじめたのが、「窓」のシリーズ。
マステでグリッドをつくり、そこへ描く。
「窓」というものを
ひとつの「フレームワーク」と見立てて、
絵を描きはじめたんです。
そのシリーズの中のひとつの作品として、
石内都さんの写真集に載っていた1枚を
模写したんです。
- ──
- なるほど。
- 竹口
- 石内さんの写真に心打たれたということ、
そして自分の生まれ故郷の北九州、
つまり小倉という地が、
当初、原爆を落とされる予定だったこと。
- ──
- そうか、小倉が「曇り空」だったために、
長崎へ変更されたんですよね。
- 竹口
- 森山さんは、ずっと、そのことに対して
何か後ろめたさを感じていたそうです。 - 広島や長崎にいつか関わることができれば、
そんな胸の底にあった思いが、
石内さんの写真を模写することで、
表に噴出するようになるんです。
- ──
- 数字とかも描き込まれてますね。
- 竹口
- ええ、模写するにあたっての寸法を
記録したものです。 - 彼にとって意味があるのは、
写真をそのまま模写するんじゃなくて、
写真集を模写していること。
- ──
- つまり、オリジナルの作品ではなく、
印刷という手法で
いちど複製されたものを、
さらに模写として複製し直している。
- 竹口
- そう。その「距離感」が、
彼にとっては重要だったようですね。
先日、見に来てくださって、
冥土の土産になったと言ってました。
- ──
- なるほど。
- 竹口
- そして展示の最後にご紹介するのは
片岡脩さんのポスター。 - ご本人は、13歳のときに被爆され、
肉親も亡くされた方。
のちに東京藝大でデザインを学び、
広告の仕事をされていた方なんですが、
被爆40周年のころから
平和のためのポスターを100点つくる、
と決めて、制作を開始しました。
実際は「72点」をつくったところで
亡くなられてしまったのですが、
うち39点が当館に寄贈されています。
片岡脩《平和アピール・片岡脩ポスター作品集》1985-1987
- ──
- メッセージ性の高いものもあります。
- 竹口
- そうですね。もっといえば、
造形的に洗練されたものばかりではない。 - 「原爆忌、ひと日ひと日の生きざまよ」
なんて、美術やデザインというより、
片岡さんの個人的で切実な思いですね。
「ただ見ためが美しいもの」であれば
AIでもつくれる時代に、
作家は、何を、どんなふうにつくるか。
それまでの自分の人生や
その人生で得た経験や知恵を託して
「どんなふうにつくったか」が、
いよいよ重要になるんじゃないのかな、
と思っていたので、
じつは収蔵以来初めての展示でしたが、
今回の展覧会の最後に持ってきました。
片岡脩《平和アピール・片岡脩ポスター作品集》1985-1987
- ──
- こういう作品で締めくくるというのは、
この美術館ならではなのかなあ、と。
- 竹口
- あ、そうでしょうか。
- ──
- つまり「現代美術」だっていうことも
あると思いますが、
広島の美術館が
被爆80年の年の夏につくったコレクション展、
それがある意味、
エモーショナルに寄りすぎていない、
直接的な表現はしていない。
でも、そのぶん「余白」を活かして、
鑑賞者が
さまざまに考えられるような展覧会を
つくっているじゃないですか。 - それって、
広島にある現代美術館だからこそ、
できることじゃないかなと思いました。
- 竹口
- ありがとうございます。
- 今回の展示をごらんになった方々が
少しでも元気になったり、
何かを考えてもらえたらいいなあと、
ずっと思っていましたし。
- ──
- はい。
- 竹口
- これからも、この広島という土地で
現代美術を通してできることを、
探っていきたいと思っていますので。
(終わります)
2025-08-22-FRI
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今回取材させていただいた
コレクション展は、8月24日(日)まで。
キービジュアルに採用されている
金田実生さんの版画《明るい夜》をはじめ、
記事中では触れられなかった作品も多数。
個人的には、甲斐雅之さんによる
《土に埋める77番 8月6日
ヒロシマから地球平和の祈り》の自由さと
存在の強さに惹かれました。
詳しくは公式サイトでチェックを。




















