カメラに乗って旅をしてきた。操上和美さんと糸井重里の、いい時間。

第03回 同期は「篠山紀信」。

糸井
操上さんの同期っていうと‥‥。
操上
篠山紀信、沢渡朔(さわたり・はじめ)。

ま、ふたりとも
ぼくよりはちょっと年下だけど。
糸井
ええ。
操上
当時、篠山紀信は日大だったんだけど、
重森さんの話を聞きたくて、
掛け持ちで写真学校に通ってきてたよ。
糸井
熱心な人だったんですね。
操上
彼には、すごく影響を受けましたね。
遊び方なんかも含めて。
糸井
篠山さんって、おしゃべりも達者だし。
操上
落研だからね。

俺、わりとはやくに都会に慣れたけど、
それだってきっと、
いつも篠山さんと一緒にいたからだと思う。
糸井
もともとは、北海道で
裸馬にまたがっていた人ですものね。

操上さん、いつだったか
「俺は馬の背中に立てるんだ」って
断言してたことがある。
操上
立てるよ。牧場と農業をやってたから。

空知川(そらちがわ)という
大きな川のほとりに、牧場があって。
そこで、馬を飼ってたんです。
写真
糸井
見ようによっては、大牧場のお坊ちゃん?
操上
いやいや、ぜんぜん、そんなことないよ。

戦前戦後のあの時期、北海道の田舎に
「坊ちゃん」なんていなかったと思うよ。
糸井
そうか。

ハリウッド映画に出てくるような
「大牧場のドラ息子が、ずいぶんなワルで」
みたいなだったのかなあと(笑)。
操上
ま、ワルではあったかもしれないけど。
糸井
そうですか(笑)。
操上
牧場は大きかったし、貧しくはなかったけど
ぜいたくな思いも、したことはないな。

男6人、女が1人の7人きょうだいで
俺、上から2番目だったからさ、
さっきも言ったけど
下の弟たちを学校に入れてやる役目で。
糸井
ええ。
操上
中学1年のとき、お袋が死んだんです。

で、親父が厳しくて、
家を汚くしてると「片付けろー!」って。
掃き掃除、拭き掃除、整理整頓、
ぜんぶやってから学校へ行く感じだった。
糸井
家だって、けっこう広かったでしょう?
操上
うん。だから、ノルマがいっぱいあって。
馬もたくさん飼ってたしね。

でも、それが「ふつう」だったから
いまでも身体を動かす癖が抜けてなくて、
苦にならないんですよ。
糸井
みんなが「はたらき手」として
勘定に入ってた時代ですね、子どもでも。
操上
ま、勘定に入れないとやってられないです。
仕事、手伝い、家族を助ける、
みんなのために、それはふつうにやること。
糸井
そのときのご経験って
いま思えば「よかった」ことですか?
操上
そうだね、よかったと思いますよ。

でも‥‥仕事中にふと顔を上げると、
弟が本を読みながら学校へ通ってるんだ。
糸井
ええ。
操上
その姿を遠くから眺めながら
「いいなあ、いい生活してやがるなあ。
 俺なんか
 ドロドロになってはたらいてんのに」
とは、いつも思ってましたよ。
糸井
そうか、そうですよね。
操上
あのころは、
学校に通う側と、通わせる側があった。

俺は次男だし、親父も丈夫じゃないし、
俺と兄貴が
はたらかなければしょうがない、
そういう考えで
自分がどこかへ行きたいなんて希望は
口には出さなかったよ。
糸井
ええ。
操上
でも、悶々としたものは潜在してて。
糸井
「いつか、ここから出てやる」と。
操上
その理由を、待ってたんでしょうね。

下のやつらのケリがついて
「もう大丈夫だな」って思えたとき、
親父に
「俺、写真家になる」って言った。
糸井
そのとき、お父さんは?
操上
親父は、俺が後を継ぐと思ってたと思う。
俺も馬が好きだったし、土地を分けてね。

でも、親父は「いいんじゃないの」って、
言ってくれたんだよね。
糸井
ああ、そうですか。

でも、さっきも言いましたけど
写真の勉強をはじめてからのスピードが、
ちょっとすごいですよね。
写真
操上
写真家になってからは、速かったね。

篠山紀信が
どうやって事務所をつくったらいいかって、
ようすをうかがいに来てた。
ほら、俺のほうが先にフリーになったから。
糸井
あ、操上さんが先だったんだ。
操上
そう、雑誌を辞めて、杉木さんのところで
広告を作るようになって‥‥
2年アシスタントして、3年目からフリー。

27、8のときには、助手がいた。
糸井
24歳で写真学校に入ったんですよね?
ちょっとすごいですよ、それ(笑)。
操上
俺、学校を卒業するときにさ、
推薦でライトパブリシティの入社試験を
受けてるんだよね。

篠山紀信と俺と、ふたりで。
糸井
篠山さんと?
操上
そう、でも篠山は
当時、すでに鶴本さんと組んで‥‥。
糸井
アートディレクターの、鶴本正三さん。
操上
ポスターとか、バンバン、
まだ学校にいる間に撮ってたんですよ。

電車の中刷り広告なんかもやってたな。
だから、とにかく慣れてて、うまい。
糸井
ええ、ええ。
操上
で、試験に行ったら、早崎さんが面接官。
糸井
はい、早崎治さん。
東京五輪のポスターを撮った人ですよね。
操上
早崎さんが写真部のボスだったんだけど、
俺らふたりの顔を見るなり、
「悪いね、今回ひとりしか取らないから」
って言った。

その瞬間に、「あ、篠山だな」と思った。
糸井
経験もすでにあったわけだし。
操上
おしゃれで洒脱で、一方俺は田舎出でね。
案の定、合格したのは篠山だった。
糸井
そんな篠山さんが
そうとう苦労してたんだっていうお話を
この間、ご本人に聞きましたよ。
操上
ああ、そうなんだ。
糸井
いつもの篠山さんっぽくない感じで、
すごく真面目に、
「俺が生意気で、
 みんなから除け者にされてるときに、
 和田(誠)さんだけが
 きちんと、俺を見てくれてた」って。

あんな篠山さん、はじめてでした。
操上
いやあ、ありがたかったんだろうね。

だって当時って
写真なんか選ばせてはもらえなくて、
「ぜんぶ持ってこい」
って言われて、持ってくでしょ。

そうすると、チラと見て、
使えないのは、ピュッと投げるんだ。
すると、写真が窓からピューンって
どっかへ飛んでっちゃったらしいよ。
糸井
ひどい(笑)。
操上
それでさ、何するんだって怒ると、
「いるんだったら、取ってくれば」って
言われるんだって。

そのくらいいじめられたらしいよ、
当時は、みんなね。
糸井
その時代の、
そういう「ぐしゃぐしゃした感じ」って
すごいですよね。

和田さんなんか、大学を卒業したら
ライトパブリシティに
もう席があって、
アシスタントもいたらしいですけど。
操上
すごいね。
糸井
ドラフトで指名される
甲子園のスター球児みたいですよね。
操上
だから、俺がもしライトに入っていたら、
こういうやさしい性格だし‥‥。
糸井
ええ(笑)。
操上
いじめられて、ダメになってたかもな。
糸井
ケンカしちゃったかも?
操上
窓から写真を投げられたらさ、
いくらやさしくたって、殴りそうだよ。
糸井
なにせ北海道の原っぱで
荒馬の上に立ってた男ですもんね(笑)。
写真
操上
まあ、ねえ(笑)。
糸井
時代時代で「カッコいい」のモデルって
変わっていきますけど、
当時は、それが
「アメリカ」だったんじゃないかなあと。
操上
ああ。たしかにね、当時はね。
糸井
だって、土屋耕一さんですら
机の上に、足を投げ出して話してたって。

あれだけ紳士的な人が。
操上
うん。
糸井
だから、窓から写真を投げちゃうってのも
それが「カッコよかった」んでしょうね。
操上
そうかもしれない。

<続きます>