例えば、イチロー選手に憧れて
「プロ野球選手になりたい」と思った少年がいたとすると、
おそらく、少年野球クラブに通うことから始めるだろう。
それと全く同じ考えで、
少年とは程遠い当時29歳のぼくは、
宣伝会議の「コピーライター養成講座」に通い始めた。
いきなり広告賞をとれるような才能もなく、
広告業界に人脈があるわけでもない。
そんな自分がコピーライターになるには、
コツコツと基礎から始めるしかないと考えた。
ぼくが最初に広告を好きになったのは、
小学生の時だったと思う。
子どもの頃からテレビっ子だったので、
番組はもちろん、一緒に流れてくるCMもよく観ていた。
小学生だった当時のぼくには、
「広告」とか「コピー」という概念はなかったけれど、
そこに出てくるフレーズをおもしろがりながら、
声に出してはしゃいだりしていた。
中でも印象に残っているのが、
サントリーモルツのCM。
当然、小学生はビールを飲まないので、
かわりにコーラをゴクゴクと飲み干して、
「うまいんだな、これがっ。」とつぶやいたりしていた。
(コピーライター:一倉宏さんのコピー)
そんなふうに「広告」に触れながら少年時代を過ごし、
大学生になった頃には、
自分もつくる側になりたいと願うようになっていた。
そこから、コピーに関するあらゆる本を読み漁る日々。
特にグラフィック広告が好きで、
雑誌やポスターを通して目に飛び込んでくる
その「言葉」に、いちいち心をときめかせていた。
コピーライターの仕事は広告をつくるだけじゃないと
わかり始めたのも、ちょうどこの頃。
中学生の時にどっぷりとハマった
「MOTHER2 ギーグの逆襲」をつくったのが
コピーライターの糸井重里さんだと知ったときの
驚きと感動は、今でも覚えている。
「言葉」を軸にしながらも、書くだけではなく、
いろんなおもしろいことを企てるコピーライターに、
ぼくはますます魅了されていった。
ただ、調べれば調べるほど、
コピーライターになることが
狭き門であることにも気づき始めてしまう。
新卒でコピーライターになれるのは、
高い意識と能力を兼ね備えた学生だけであり、
自分なんかがなれるものではないと決めつけてしまった。
そんな気持ちのまま就職活動を始めたぼくは、
IT企業の営業職という、
コピーライターとは全く異なる仕事に就いて
社会人生活をスタートすることになった。
(つづきます)