もくじ
第1回コピーライターに憧れていた。 2017-12-05-Tue
第2回二十九歳、未経験。 2017-12-05-Tue
第3回好きな広告について。 2017-12-05-Tue
第4回コピーライターになってよかった。 2017-12-05-Tue

30歳を目前に控えたところで、コピーライターに転身しました。
泳げないのに、
「水落」です。
よろしくお願いいたします。

コピーライターになりたかった。

担当・水落祥

コピーライターになりたいと思い、
行動を起こした20代最後のぼくに、
ぼくは今でも感謝しています。

自分で自分を褒めてあげたくなることは、
これまでの人生で数えるほどしかありません。
でも、あれはまさしく、超ファインプレーでした。

なりたかったのに挑戦すらしなかった学生時代。
なりたい気持ちをごまかし続けた社会人生活。
なるんだと決意して奮闘した半年間。

今回は、
悶々とした日々を過ごしていた当時の自分と、
相変わらずもがき続けている今の自分について
書くことにしました。

読んでいただく過程で、
「コピーライター」という職業の素敵な部分が
少しでも伝わるとうれしいです。

全4回、どうぞよろしくお願いいたします。

第1回 コピーライターに憧れていた。

例えば、イチロー選手に憧れて
「プロ野球選手になりたい」と思った少年がいたとすると、
おそらく、少年野球クラブに通うことから始めるだろう。

それと全く同じ考えで、
少年とは程遠い当時29歳のぼくは、
宣伝会議の「コピーライター養成講座」に通い始めた。

いきなり広告賞をとれるような才能もなく、
広告業界に人脈があるわけでもない。
そんな自分がコピーライターになるには、
コツコツと基礎から始めるしかないと考えた。

ぼくが最初に広告を好きになったのは、
小学生の時だったと思う。

子どもの頃からテレビっ子だったので、
番組はもちろん、一緒に流れてくるCMもよく観ていた。

小学生だった当時のぼくには、
「広告」とか「コピー」という概念はなかったけれど、
そこに出てくるフレーズをおもしろがりながら、
声に出してはしゃいだりしていた。

中でも印象に残っているのが、
サントリーモルツのCM。

当然、小学生はビールを飲まないので、
かわりにコーラをゴクゴクと飲み干して、
「うまいんだな、これがっ。」とつぶやいたりしていた。
(コピーライター:一倉宏さんのコピー)

そんなふうに「広告」に触れながら少年時代を過ごし、
大学生になった頃には、
自分もつくる側になりたいと願うようになっていた。

そこから、コピーに関するあらゆる本を読み漁る日々。

特にグラフィック広告が好きで、
雑誌やポスターを通して目に飛び込んでくる
その「言葉」に、いちいち心をときめかせていた。

コピーライターの仕事は広告をつくるだけじゃないと
わかり始めたのも、ちょうどこの頃。

中学生の時にどっぷりとハマった
「MOTHER2 ギーグの逆襲」をつくったのが
コピーライターの糸井重里さんだと知ったときの
驚きと感動は、今でも覚えている。

「言葉」を軸にしながらも、書くだけではなく、
いろんなおもしろいことを企てるコピーライターに、
ぼくはますます魅了されていった。

ただ、調べれば調べるほど、
コピーライターになることが
狭き門であることにも気づき始めてしまう。

新卒でコピーライターになれるのは、
高い意識と能力を兼ね備えた学生だけであり、
自分なんかがなれるものではないと決めつけてしまった。

そんな気持ちのまま就職活動を始めたぼくは、
IT企業の営業職という、
コピーライターとは全く異なる仕事に就いて
社会人生活をスタートすることになった。

(つづきます)

第2回 二十九歳、未経験。