もくじ
第1回母の練習を見に行く。 2017-12-05-Tue
第2回はじめての音楽雑談。 2017-12-05-Tue
第3回「生きる」について考えた。 2017-12-05-Tue
第4回趣味を持つということ。 2017-12-05-Tue
第5回歌うって、たのしい。 2017-12-05-Tue

ふだんは、銀行で営業をしてます。人に道を聞かれることが多くて、シャッターを頼まれることも多いです。「はい、チーズ!」というのが、ちょっとはずかしいです。

お母さんが歌う理由。

お母さんが歌う理由。

担当・中村 駿作

第5回 歌うって、たのしい。

母とはじめて、音楽について話をした数日後。
ぼくは、もう一度、土曜音泉倶楽部の練習に行きました。

木曜日の祝日に、急遽開催されることになったにも関わらず
たくさんの人が集まっていて。前回とおなじように、輪にな
って、いきなり練習は始まりました。

ひとつだけ違うことがあったとすれば、ここにいる人たちが
どんな気持ちで歌っているのかを知ったぼくの心情で。
前回とはまた違った、胸に伝わるものがありました。
それは、はじめて聴いたときにぼくが感じた、熱量への驚き
ようなものではなく。どっちかというと、想いがこもった音
楽を受け取っているような感覚で。
 

この日は、童謡のような歌を練習していました。
たぶん、かわいく歌ってしまえば、それはそれでごまかしが
きくのかもしれないけど、そのような妥協は一切なく。
ちょっとした音の違和感も、なんで生まれるのか考え、歌を
作り上げていく。
『てるてる坊主』の歌を、あそこまで真剣に、そして楽しく
歌っている大人をぼくは見たことがありませんでした。

練習の中盤、ひとつの難題がやってきました。
それは、とある演奏会に出るための曲目を決めている時のこ
と。その演奏会は、持ち時間が8分と決められていて。決ま
った時間のあいだに、どの曲を披露するかが悩みのタネにな
っていました。

歌いたい曲を2曲いれると、時間がオーバーしてしまう。
ピッタリはまる曲を歌うと、なにか物足りない。
聞いてびっくりしたんですが、時間を過ぎたら、1分ごとに
お金を払わないとダメなみたいで。

考えかたによっては、お金を払って歌いたい曲をやるのも良
いのかもしれないけど。でも、与えられた時間の中で、いか
に自分たちの音楽を表現するかということで話は進んでいま
した。

「あの曲の2番をカットすると何秒時間が短縮されるかな」
「ここは転調があるから、ダメだと思うよ」

いろんな意見が行き交う中で、
母が大胆な曲の切り方を提案していました。
それは、素人のぼくが聞いていても、曲の構成を大きく変え
てしまうようなやり方で。だけど、それをすれば時間内にお
さまる方法でもありました。

一瞬、その案に流れて行ってしまいそうになったとき。


「いや、それはやめておこう」

ひとりの人が言いました。

「そこまで曲を変えてしまうと、それは編曲になってしまう
 ぼくたちに、それをする権利はない
 作曲者がつくった曲の意図を汲みとって表現することが
 歌い手としての礼儀なんじゃないかな」

ひとつの小さい合唱団の8分かもしれない。
だけど、それはステージの大きさや、観客の数の話ではなく
音楽をやる人間として、歌と向かい合う礼儀であると、
ぼくは解釈しました。

こういう瞬間があるからこそ、合唱って面白いんじゃないか
とぼくは咄嗟に思いました。いろんな人が混ざり合って音楽
を作るから、たくさん意見が出て、考えを共有しあって前へ
進んでいける。その瞬間を目にしたのです。

3時間の練習もあっという間で、そろそろ終わりに近づいて
いたとき、『明日があるさ』の練習がはじまりました。
ぼくはこの歌が大好きで。仕事に行くときにも聴いていて。
帰り道とかに、口ずさむこともよくある曲で。

周りの人が歌っている音にまぎれて、
ほんとに小さい声で一緒にちょっと歌っていました。
足でリズムをとって、手を小さくたたいて。

「よかったら一緒に歌ってみない?」

となりの人に誘われて、
ぼくはとてもうれしい気持ちになりました。

練習を2回見学して、母と音楽について話をして、
その言葉をちょっと待っていた自分がいたと思うんです。
だから、ごく自然にぼくは輪に入れてもらって、
気づけば一緒に『明日があるさ』を歌っていました。

それにしてもみなさん、歌がうまい。
声も大きくて、楽しそうに手拍子をしている。
ぼくは、すごく恥ずかしくて、
あまり前を向けず、それでも声をだして手を叩きました。

あぁ、楽しい。
みんなで歌うって、思っていたよりずっと楽しい。
ぼくの声に、いろんな人の声がハモってくれてる気がする。
だから、ここに居てもいいと言ってもらってる気もする。
カラオケボックスで味わう楽しさとは、また違った、
みんなで音楽を作っていることに興奮してくる。

4分ばかりの曲は一瞬で終わってしまって、
ここでぼくは、3時間の練習があっという間に過ぎると言っ
た母の気持ちがよく分かりました。

「母は、なぜ歌うのだろうか」
という漠然とした気持ちからはじまった今回の調査は、
ぼく自身意外な結末を迎えたと思います。

それは、合唱の楽しさをちょっとだけ感じられたこと。
そして、ぼくも一緒に歌いたくなったこと。
音楽というのは、人間の生活にすごく関係した
「たのしみ」だと気づけたこと。

なにより、母はいい仲間をもって、
うらやましいなぁと初めて思えたこと。
 
もしぼくが、もっと大人になって、いろんな人生で大変なこ
とがあっても、母にとっての音楽や合唱団の仲間のような、
じぶんの支えになる趣味や仲間を見つけられたらいいなと思
いました。

「あんたさぁ、歌ってみる気はないん?」

帰り道に、また母にボソッと聞かれました。

「う~ん、ないなぁ」

即座に答えが出たのは、母の前ではしゃいでる姿を見せるの
が恥ずかしいし。家での鼻歌のように、いろんな指摘をもら
うのは、やっぱりちょっと嫌だったからです(笑)。

でも‥‥、次のコンサートは、ちょっと観に行ってみようと
スマホのカレンダーに予定を入れておきました。
 

もし、ここまで読んでくださった方で、ぼくのように、
合唱や、歌うことに興味を持てる人が生まれたら、
それはすっごく嬉しいことだなぁと思っています。
 

音楽って、いいもんですね。
 

(終わりです。読んでくださって、ありがとうございました。)