これまでに何度も、
晴海埠頭の魅力を人に話してみようとしたり、
晴海埠頭についての文章を書こうとしたけれど、
一度もうまくいかなかった。
夜景の美しさとか、
都心の隠れスポットであることだとか、
オリンピックを前に変わりゆく東京の姿が見えるとか、
そのどれも嘘じゃないんだけれど、
ぼくが晴海埠頭に持つ、想いの温度感とは
あまり釣り合っていない気がしていた。
そして、今回、
やっと、少しうまくいったんじゃないかなと思う。
晴海埠頭との出会いから、
今日に至るまでの出来事や、そのときの気持ちを
こうして全部洗い出してみて、はじめて気づいたのだけれど、
ぼくは、晴海埠頭そのものが好きなのではなく、
晴海埠頭にいる自分が好きで、
晴海埠頭に積み重なった自分の思い出とか
ぼくと晴海埠頭の関係性のようなものが好きなのだ。
クラムボンのライブを晴海埠頭でみたのは
もう7年も前のことだけれど、
あとときの歓声、
思わず振り返って海をみた瞬間のゾワっとした感覚は、
昨日のことのように脳内再生することができる。
そんな思い出を積み重ねてきた、いまの自分が好きで、
そうした出来事が増えれば増えるほど、
この気持ちはより強いものになっていったのだと思う。

仕事でむしゃくしゃしたとき、
帰りに立ち寄って、海を見ながら缶ビールを飲んだ。
いっしょに晴海埠頭にいった女性が、
そのとき撮った写真を
長いあいだfacebookのアイコンにしてくれた。
まさかの復活を果たした小沢健二。
12日間の東京オペラシティでのコンサート、
アンコール曲は日替わりで、ぼくが観に行った日は
「いちょう並木のセレナーデ」を演奏した。
そのとき、小沢健二は2番をお客さんに歌わせた。
ぼくは、オペラシティに集った人たちと、
本人の前で晴海埠頭のシーンを歌ったのだ。
「金沢くん、ぜったい好きだよ」と友達に勧められて読んだ
「BLUE GIANT」というマンガで、
主人公のジャズトランペッターの練習場所が晴海埠頭だった。
(その友達に晴海埠頭の話をしたことは一度もなかった。)
竹芝にあるホテルの客室から
朝焼けに染まる晴海埠頭をみた。
そんな出来事のひとつひとつを振り返って
懐かしくなったり、恥ずかしくなるとき。
これからも、きっといろいろなことが起きるだろうな、
なんて、未来を想像してみるとき。
そういうときに巻き起こる、いろんな感情をまとめて、
いちばんシンプルな言葉で表すと、
「好き」という、ひとことになるのだと思う。

つい先日、晴海埠頭に行ってみると、
東京オリンピックの選手村建設に向けて、
一部が立ち入れなくなっていた。
2017年3月、
晴海埠頭が廃止、解体されることが正式に発表された。
このあたりは、2020年以降、
東京オリンピックの選手村跡地とあわせて
新しい住宅エリアができるらしい。
とても残念で寂しい気持ちにもなったけれど、
東京がこうやって姿を変えていくことは理解しているし、
大切な場所が消えてしまうことが、いい思い出になることも、
なんとなく分かっているつもりだ。
そして、
晴海埠頭がどんな姿になったとしても、
これまでの時間で築いてきた「好き」の気持ちが
ぜったいに色褪せないことだって、
もう、ぼくは知っているのだ。
(おわりです。最後まで読んで頂き、ありがとうございました!)
