大学院、社会人と進むにつれて、
ぼくと晴海埠頭は、急速にその距離を縮めることになる。
大学院では、
都市研究を学ぶために、社会学系の研究科に進んだ。
何度も足を運んでしまう晴海埠頭について
「どうして自分が惹かれているのか」
を突き詰めて考えてみたい、という気持ちがあった。
そして、研究の集大成になる修士論文では、
「東京臨海部の夜景」について書くことに決めた。
「夜景に見る東京-月島、晴海、豊洲地区を事例として」
というタイトルを付けた、この論文を書くために、
月島、豊洲、お台場、そして晴海といったエリアを、
フィールドワークとして歩き回った。
晴海埠頭は、客観的に研究する対象にもなったのだ。
修士論文は、小さな賞をもらい、
良いものが書けたかな、という満足感もあったけれど、
でも、ぼくが追求したかった晴海埠頭の魅力は
ほんとうは、夜景の美しさだけでは語れない。
この想いは、客観的な事実の積み重ねでは説明できない。
ということに気付かされる機会でもあった。

このエリアを何ヶ月もかけて歩き回ってみて、
これはもう、このあたりに住みたいなと思うようになった。
大学院を卒業してからは、実家を出ることは決めていたので、
就職は、生活圏を変える大きなチャンスだったのだ。
ちょっと家賃の高い、このエリアに住むには
「職場が近い」という大義名分が必要だったので、
晴海から近い会社に入りたいと考えた。
広告制作に業界を絞って就職活動をしていたぼくは、
ある日、「広告制作会社 東京湾」とグーグルで検索してみた。
検索結果の1番上に出てきたのが
ぼくがいま勤めている会社だったのだ。
運命、と言うには狙い過ぎかもしれないけど、
それでも、
結局は所在地に関係なく受けた、いくつかの会社の中から
いちばん最初に、いまの会社から内定をもらえたのは、
やっぱり晴海埠頭に縁があったんじゃないかな、
とも思ってしまう。

就職してから5年経ったいまでも、
ふとしたときに「晴海埠頭の近くで生活している」
と思うだけで、
小沢健二みたいにはなれなくとも、
昔の自分が想像した大人に、片足ぐらいは入り込めたような
すこし誇らしい気持ちになることがある。
会社の最上階にある喫煙所からは、
東京湾が一望でき、晴海埠頭を眺めることができる。
深夜に誰もいない喫煙所で
ぼーっと晴海埠頭を眺めていると、
そこに立っていた、いつかの自分の姿や、
そのときの気持ちを、すぐに思い出すことができた。
そんな場所があるというだけで、
いまの生活が、なんだか素敵なものにも思えるのだ。
きっと、
縁もゆかりもない土地で仕事をしていたら、
こんな気持ちにはなれなかったと思う。
晴海埠頭に積み重なった思い出が
一見すると平坦な、ぼくの日常を確実に彩っているのだ。
(つづきます。)
