もくじ
第1回いちょう並木のセレナーデ 2017-11-07-Tue
第2回晴海埠頭に立つ。 2017-11-07-Tue
第3回波よせて 2017-11-07-Tue
第4回研究と就職。 2017-11-07-Tue
第5回ぼくの好きな晴海埠頭。 2017-11-07-Tue

1987年生まれ、
30歳の男です。
東京の西側で育ち、
いまは東京湾の近くに住んでいます。

晴海埠頭との日々。

晴海埠頭との日々。

担当・金沢俊吾

第2回 晴海埠頭に立つ。

はじめて晴海埠頭に行ったのは、
大学生になって、すぐのことだった。

大学で最初に仲良くなった
フランス語のクラスで隣の席になったミノルくんが、
ぼくを晴海埠頭に連れて行ってくれたのだ。

ミノルくんは、
メンズノンノのモデルもできそうな甘い顔立ちで、
少し長めの前髪をふわっと持ち上げている、
おしゃれ大学生だった。

ミノルくんは、ドライブが趣味で、
特に、人が少なくて、夜景がきれいな
晴海埠頭がおすすめだという。

「晴海埠頭!知ってるけど、行ったことない!」
と、ぼくは思わずテンションが上がってしまった。
思えば、これまで誰かの口から
「晴海埠頭」という単語を聞いたことすら、
一度もなかったのだ。

「いっしょに行ってみる?」と、
ミノルくんはスマートに誘ってくれた。
そうして、
サングラスをかけてホンダのフィットに乗り込み、
ちょっとワイルドさが増したミノルくんの助手席に座って、
ぼくは、人生初の晴海埠頭に向かう事になったのだ。

晴海埠頭は、当時も今も変わらず、
いつも人が少なかったが、
その理由のひとつは、アクセスの悪さにあると思う。
大江戸線の勝どき駅と、
有楽町線の豊洲駅のちょうど間ぐらいに位置していて、
どちらからも歩いて30分ぐらいはかかる。
車以外の交通手段でいくのは、なかなか難しい場所にあった。

ミノルくんとぼくを乗せたホンダのフィットが、
銀座を抜けて月島の近くの橋を渡って晴海エリアに入ると、
埋立地の、だだっ広い殺風景が広がった。
高層マンションだけが、
まばらに、ぽつぽつと立ち並んでいる。

周りに建物すら無くなって、
空き地ばかりになってからも、さらに車は進み、
晴海埠頭の手前、
街灯も無い、まっくらな道の行き止まりで車を降りた。
正面には、白く巨大な晴海埠頭ターミナルが、
SF映画の要塞のように白く光り、
ぼくたちの目の前に立ちはだかっていた。

車から降りて5分ぐらい歩き、
ひと気のない晴海埠頭ターミナルを抜けて
海側の広場に出た。
すると、そこには、これまでに見たこともない、
ちょっとびっくりするぐらいの
きれいな夜景が視界全体に広がっていた。

目の前には、視界をさえぎるものが何もなく、
正面にレインボーブリッジ、
左にお台場のビルや観覧車、
右には新橋、品川のオフィスビル街の明かりが
海の向こう側に広がっている。

高いビルの窓から東京の夜景を見たことはあったけれど、
地上に立って、見下ろすことなく
これほどの夜景を見たのは、
間違いなく、生まれてはじめてのことだったと思う。

家族旅行で行った伊豆の海は
夜になるとまっくらで何も見えなかったけれど、
いま、目の前にある海は、
全方向からの明かりに照らされて、
揺れる波が遠くまで、ゆらゆらと光っているのが見えた。

この景色を前に、とても興奮したのだけれど、
同時に、なんだか、切ない気持ちにもなったのを覚えている。

いま目の前にあるきれいなものは、
実は全部ここから遠くて、
その小さな明かりの集合は
いつ消えてもおかしくなさそうな脆さがあった。
小沢健二は、この景色を
遠く離れていく関係とか、忘れていくことの寂しさに
重ねたのかもしれないな、と思った。

それから僕は、
定期的に、晴海埠頭に通うようになる。

西東京にある家から、電車を1時間以上かけて乗り継いで
そこから30分ぐらい歩いて、やっと着く。
何をするわけでもなく
ちょっとオトナになったような気分を味わいながら、
少しのあいだ、ボーっと海を見たあと
来たときと同じ道のりを辿って、家まで帰った。

高校生のころのように、
晴海埠頭は想像上の場所ではなくなったけれど、
大学のサークル活動なんかで、はしゃぎながら
必死に背伸びをしている大学生のぼくにとって、
この場所に似合いそうな出来事や感情は、
やっぱり、まだまだ想像上のモノだった。

(つづきます。)

第3回 波よせて