もくじ
第1回今日から私はパリピです。 2017-05-16-Tue
第2回ひとりは悪だけど、真実かな? 2017-05-16-Tue
第3回浮きたくないなら、いざ、パリピに。 2017-05-16-Tue
第4回パリピになれていたかもしれなかった。 2017-05-16-Tue

東京に住んでいる、年中花粉症の18歳。先日高校生を終えました。最近の悩みは、もらった卒業アルバムの個人写真の写りが、なぜか私だけすごく悪く見えることです。たぶん、みんなそれぞれ、自分の写りが悪いと思っています。

パリピを目指したぼっちの話

パリピを目指したぼっちの話

担当・スガネガス

第4回 パリピになれていたかもしれなかった。

5月4日現在、フォロワーは増えていない。
いいね!も付かない。

いいね!がすべてではないと思う。
いいね!の評価など、

「とりあえず押しておくか~」

という軽いもの。
いいね!の数が人気の指数であり、
ヒエラルキーの可視化に繋がることは
紛れもなく「事実」だ。

でもいいね!の数が本当の人気である、
なんてことはない。「真実」ではない。

私は「いいね!」の事実に対し、
楽しそう、おもしろそう、羨ましい。
こんな感情を抱いている。
パリピいいな、と思っているだけだ。
きっと楽しいのだろう。
きっとおもしろいのだろう。
だから、羨ましいのだろう。

可視化されるから気にしているというのは違う。
小学生のときの、
「あの子モテるよね」「あの子かわいいよね」
というクラスの人気者にあこがれるのと、
なにひとつ変わっていない。

いいね!がいらないと言えば
嘘かもしれないけれど、
「ああこれ、おもしろいな」
といういいね!が、1つや2つくらい、
来るといいなと思う。

取材を終えた翌日、
朝井さんがこんなつぶやきをしていた。


その日が終わるまでに、
リツイートは2万を超えていた。

私は少し、苦笑いをした。

パリピ現代っ子の事実なのは確かだ。
しかし私という現代っ子は、
パリピツイッターから目を背け、
フォロワー10人足らずの鍵付きアカウントの中で、

という意味のわからないツイートをしている。
前後の脈絡は一切ない。
ポツンとタイムラインに、
このツイートが落ちている。

ご覧頂けるとおり、その10人足らずのフォロワーは
誰ひとりいいね!など押してくれていない。
このときの私はおそらく、
チーズが食べたかったのだろう。
ただそれだけの事実が落ちている。
いいね!は一切求めていない。

朝井さんのツイートに、
「この10代の子かわいそう」
「ツイッターランドは楽しいんだよ」
と思ってくれた方も多いだろう。

ツイッターランド、私は楽しんでます。
好きなことだけ見て、好きにつぶやく。
そんなツイッターランドが大好きです。

私が苦手なのは、
パリピのはびこる学校ツイッターランド。
その世界にちょっとだけあこがれて、
パリピを目指してみたけれども、
このゴールデンウイーク中にパリピは無理だった。
そもそもぼっちの私がパリピになるには、
ゴールデンウイークじゃ足りないかもしれない。

大学デビューという選択肢も、私にはあった。
でも、それを私はしなかった。

しなかったのではない。できなかったのだ。

理由は4月1日、エイプリルフールにさかのぼる。
嫌な予感は、していた。

医師
はーい、インフルエンザ陽性出たよー。
今流行ってるB型じゃなくて、症状きつい方のA型ねー。
もう入学式だよね?出席停止だなあ!

先生、どうかエイプリルフールだと言ってください。

私が今もなお、咳の残っている原因。
季節はずれのインフルエンザであった。
4月中旬になっても、
確かにB型インフルエンザは流行を見せており、
各地で学級閉鎖になっているというニュースが流れた。

よりによって、流行っていないA型だった。
学校が始まってから、
一週間程度の自宅謹慎を余儀なくされた。

学校に行った日には、
とっくに授業開始日を過ぎていた。
学内ではグループが形成されており、
話しかける隙もないような状態だった。

とっくに終了している履修登録期間のせいで、
取りたい授業も定員いっぱいで取れない状況。
情報を提供してくれる顔見知りすら、
誰ひとりとしていないまま授業に放り込まれた。

世界はぼっちに、厳しすぎた。

パリピが楽しそうにしている姿が嫌だった。
もしインフルエンザでなかったら、
私もあの中でパリピになっていたのかと思うと、
インフルエンザになった自分が憎いくらいに、
羨ましかった。

私は、大学デビューできていれば、
パリピだったのかもしれないと思う自分が、
悔しくてたまらないのだと知った。

大学デビューができていなかったら、
それはそれで諦めが付いていたんだろう。
食わず嫌いなフリをして、
羨ましく見つめていたのは、
私自身がパリピになれる可能性を
持っていたからだった。

確かにすぐ写真を撮って
仲良しアピールするSNSパリピは嫌いだし、
はやくご飯食べようよとは思う。
なんなら先に食べるぞと勝手に食べる。
でも現実に学校でひとりで、
SNSでもその延長状態で。
そんな現代っ子の学生に置かれた私は、
目の前の仲良しパリピを妬んでいた。

強がってんだよ、私は。

ひとりで牛丼屋にもファミレスにも入るし、
ひとり遊園地も全然行ける。
ひとりライブならもう慣れた。
それはそれで、十分楽しい。

でもその度に、思うのだ。
一緒にご飯を食べる友人がいて、
一緒に笑ってくれる友人がいる。
それがSNSという場所で、
見せつけられるように出てしまう。

羨ましいなあって。
ずるいなあって。

今いる友人を否定するわけではない。
それでも今の「大学」という環境で、
SNSのように目に見える友人ができない限り、
私は「ぼっち」を脱し、「パリピ」になることは
不可能なのではないかと思う。

でも私は、ひとりが嫌いではない。
間違いなく、ひとりは好きである。
他人の目を気にしなくていいひとり飯は、
自分のペースでご飯が食べられる。
焼き肉だって、

「とりあえずはカルビとハラミ、
野菜食べたい人もいるだろうなあ」

と思わずに、

「今日はホルモンを食べて食べて食べ尽くす」

と決めても、誰も迷惑しない。
ぼっちは最高だ。

パリピになればいいのか、
ぼっちのままがいいのか。

とうとうわからなくなってしまった。

ぼっちは、楽しい。

でも、パリピも、羨ましい。

パリピだって、
そっちはそっちで楽しそうだもの。

そういえば、私は結構欲張りだ。
あのときインフルエンザでなければ、と
思うくらいには、欲張りだ。

この際、両立してしまえばなんてことはない。

学校ではパリピ、
外へ出たら優雅なぼっち。
平日は友人とランチをして、
休日はひとりでラーメンをすすることを目指そう。

私は器用ではないから、
どちらかだけを選ぶなんて、できないんだと思う。
できないからこそ、
インフルエンザになった自分にむしゃくしゃして、
パリピを、ぼっちの自分を憎みつつも、
結局はひとりを謳歌していた。
どちらかを選ばなきゃいけないと思っていた。

どっちもいいと思うのなら、どっちもやってしまえ。
最初から勘違いしていたのだ。
ぼっちとパリピは両極端。
でも、両立できないなんて、誰が決めたんだっけ?

両立なんてできないかもしれないけど、
やってみようと思う。
できなかったらそれはそれで、
パリピも無理だったということだ。
パリピになれたら、その先に、
ぼっちとの両立が待っている。

今回快く取材を受けてくださり、
パリピ大作戦を提案してくれた朝井さん。
取材時に撮影を担当してくれた、
私の数少ない友人のひとりであるSさん。
本当にありがとうございました!

(おわり)