少し戻って5月1日
都内某所、私は朝井さんと対面する。
初取材に緊張するあまり、
ボイスレコーダーを回し忘れる事態が発生した。
大丈夫、まだちょっとした挨拶しかしていないし。
さっそく、「ひとり」は「悪」かと話が上がる。
- 朝井
-
今の世の中的に、
「みんなでいること」が「善」である。
‥‥みたいな。
「ひとりでいること」は「悪」である、
という価値観が、
みんなどこかにあるんです。
昔よりは今のほうが
おひとり様というのがやりやすい世の中に
絶対になってきている。
それに、主張もしやすい。
だけれども、「ひとりがいい」というのは
間違いなく少数派なんです。
少数派であるからには、
周囲に承認されにくい、ということが、
少なからずあります。
- スガネ
- それは「事実」なんですよね。
- 朝井
-
そう、「事実」なんです。
でも「真実」じゃない。
「みんな」でいることが善なのは事実で、
「ひとり」は善の「みんな」から見たら悪である。
紛れもない事実である。
でも「みんな」は善で、「ひとり」が悪という事実は、
誰かが決めたルールではない。
つまり、絶対的な真実ではない。
多数派の「みんな」が、
多数の意見としてまかり通っているだけだ。
事実≠真実である。
- スガネ
-
承認されたい、という欲求の部分って、
人間誰しも持っているわけじゃないですか。
今はツイッターやフェイスブック、
インスタグラムでのいいね!に現れるんです。
- 朝井
- 私たちの頃はそれがmixiだったのかな。
- スガネ
-
mixiだと、足あととか、
日記に対してのコメントとかになりますよね。
- 朝井
-
足あとの数というよりは、
誰が見ているのかなというのを
気にしていた覚えがあります。
日記へのコメント数が人気に直結するわけでは
ありませんでしたから、
これは人気度をはかる尺度とは違いますね。
- スガネ
-
今もみんな、学校の人と繋がるための
アカウントを持っている。
そこで《新作フラペチーノ》とか言って、
友達とスタバのカップを寄せ合った写真を
投稿するんです。
我先にと、いいね!を付ける。
たぶん、いいね!している人の7割は、
いいね!なんて本気で思っていなくて適当に押してます。
- 朝井
- 友達が多い人の方がいいね!が付くんだ?
- スガネ
-
付きますね。
表面上の付き合いなんだろうなって人が
いいね!を押していることって、結構多い。
- 朝井
-
クラスの人気者の人には
いいね!を付けていく、みたいな。
- スガネ
-
人気者の、運動部の目立つ子は、
やっぱりクラス外にも友達が多いんです。
ヒエラルキーの頂点の彼らは、
先輩後輩もフォロワーにたくさんいますから。
スタバの写真だけで62いいね!くらい付く。
いいね!の数でヒエラルキーの可視化が発生してしまう。
- 朝井
-
私たちの頃も、ヒエラルキー的なものは
なんとなくあったんです。
でも、目立つ子、モテる子ってだけで、
可視化までは発生していなかった。
60人からって、もう2クラス分のいいね!ですよね。
SNSの場で自信のなさが生まれていく。
恐ろしいよね、もう。
スタバの写真で62いいね!くらい、というのは、
ヒエラルキーの頂点レベルの人だ。
どうしてかリアアカなのに4桁のフォロワーを抱え、
仮に体育祭お疲れさま投稿をすれば
深夜までにいいね!は127くらいになっている。
余談だが、ツイッターのリアアカがあった
高校生当時の私は、フォロワーは100人足らず。
体育祭お疲れさま投稿は丸1日で9いいね!だった。
リアアカのフォロワー平均は、
あくまで個人的な体感だが150~300程度に思う。
行事のお疲れさま投稿は50いいね!くらいだろう。
そもそもすぐいいね!する方が変だし、
世界は広いという意見もある。
でも、学生の日常は学校に縛られている。
学生の生きる世界は、狭いのだ。
息苦しいったら、ありゃあしない。
つい先日まで高校生だった私は、
狭い世界に縛られすぎていた。
ツイッターは
今日もうちの犬がかわいい
とか、
月曜日が憂鬱すぎる
なんてつぶやく場所だと思っていたのに。
匿名で構わない、誰かの小さなつぶやきが、
思わぬ反響を呼ぶことだってあるのに。
それが醍醐味のようなところでもあるのに。
学校から帰って、
現実逃避にもなり得るSNSでも、
わざわざ学校に戻ろうとする。
世界が広いのは知っている。
知っていることだけれども、
学校の呪縛からは逃れられない。
毎日通うのが学校だから、趣味アカウントのように
簡単に気が合う、合わないで友人を選択できない。
顔を合わせる機会があるからこそ、
リアアカは呪いになっていく。
リアルはパリピがはびこり、
リアアカもパリピがはびこるのだ。
これだから、世界はぼっちに厳しい。
みんなであるパリピが「善」で、ぼっちは「悪」。
- 朝井
-
でも誰が決めたんだろうね。
確かにみんなは「善」でぼっちは「悪」が
事実ではあるけれど、
真実としては誰が認めているんだろう。