材料
にんじん、バター、塩、こしょう、砂糖
1品目は、にんじんのグラッセ。
まず、にんじんを輪切りにします。
火の通りを考えて、5ミリ幅ぐらい。
つけあわせのにんじんといえば、
少し細長くて大きく面取りをしてある
「シャトー切り」が有名ですが、
うちでは輪切りが定番。
にんじんを切るわたしの横で、母が見ています。
- 母
- うわあ、かわいくできてるね。
- 娘
-
え、そう!? いつものと違う?
(褒めて育てようとしている‥‥?)
- 母
-
うん、切り方にはそれぞれの個性が出ると思う。
パパが切る時もわたしと全然違って、
なんていうか繊細なんだよね。
- 娘
-
へえー。再現しようとしても違ってくるんだ、不思議。
親子でも似ないってことは遺伝というわけでもないか‥‥。
- 母
-
前に考えてみたことがあるんだけど、
字を書く時の個性とかに近いのかなって思う。
- 娘
- ああっ、なるほど。そんなこと考えたこともなかった。
- 母
- そもそもにんじんのグラッセって、かわいいよね。
- 娘
- かわいい? 形が?
- 母
-
うん。シャトー切りもそうだけど、
面取りしてあるこの形が。
だから手間だけど必ず面取りはするんだー。
- 娘
- たしかに、大根の煮物もいつも面取りしてるよね‥‥。
- 母
- かぼちゃもちょっと皮をむいて中の黄色を見せるとかね。
- 娘
- こだわりだねえ。
- 母
-
洋服もそうじゃない? シンプルな服でも
ちょっと手仕事みたいなひと手間かかってるところがあると
素敵に見える。
お湯に塩と砂糖を少し入れて、切ったにんじんを茹でます。
にんじんそのものの甘みを生かしたいので、
お砂糖はほんの気持ちだけ。
にんじんは、その時々で、
すぐに柔らかくなったり、いつまでも硬かったり、
ばらつきのある野菜です。
思った以上に時間がかかることもあるので、
ほかのメニューより先に、前もって茹でておくのがいいよ、
と母からアドバイスをもらいました。
竹串を刺したりして様子を見て、
柔らかくなったら、お湯を捨てて、味付け。
まず、バターを全体にからめます。
わたしは、ただ鍋をゆすったり、
ヘラで大まかに混ぜればよいと思っていたのですが
母のチェックが入りました。
- 母
-
ここ、大事だよ!
1枚1枚にバターが行き渡るようにしてね。
母は、何枚かが積み重なっていたり
くっついていたりするにんじんを、
お箸で丁寧にはがして分けて、
それぞれの表面がしっかり
バターでコーティングされるようにしていきます。
- 娘
- ひええ。そんな細かいことするんだ‥‥知らなかった。
バターがまんべんなく行き渡ったら、
塩・こしょうで味を調えます。
少し味が薄いかな、甘みが足りないかな、
と思っても、冷めると少し味は変わるので
それをなんとなく想像しながら味を決めて、完成。

にんじんのグラッセ
かなり大人になるまで、
わたしはほとんどの野菜を食べることができませんでした。
まったく食べたいと思わないし、
食べると気持ち悪くなってしまうほどなので
他に食べるものがないとしても、
頑として食べませんでした。母は、そんなわたしのために
手間をかけて細かく刻んで
入っているのが気にならないようにしたり、
少しでも野菜を食べられるように
いろいろな工夫をしてくれました。野菜嫌いの子どもは肩身が狭いものですが、
その親である母も、
「家で甘やかしているから、わがままで、
偏食が直らないんだろう」とか、
母の努力を知らない他人から言われて
つらい思いをすることも多かったと思います。
(その原因のわたしが言うのもおかしいですが‥‥)食べないとわかっていても、しつこく野菜のおかずを出され、
食べるように厳しく言われることも時にはありましたが、
偏食を直すことを無理強いされず
それよりも、
食卓を楽しい場とすることを大切に考えてくれた両親に
感謝しています。そんなわたしにも、20歳を過ぎたころになって
急に野菜を食べたいという気持ちが自然に出てきて
なんとそれからは食べられるようになりました。
いまでは好きな野菜もたくさんあり、
自分で野菜を買って料理もしますが、
両親の前でサラダをむしゃむしゃ食べていると
いまだに「野菜食べてる‥‥!」
と感動されるほど、本当に以前は食べられませんでした。そんなわたしが、子どものころから
唯一食べられた野菜らしい野菜の料理が
にんじんのグラッセ。
グラッセならば、にんじんまるまる1本分だって
余裕で食べられます。栄養を摂れる、
お弁当のいろどりになる、
わたしにだって食べられる野菜があるんだというよりどころ、
‥‥いろいろな意味で、にんじんのグラッセは
思い出深く、特別なメニューです。
(つづきます。)