新横浜駅から新幹線に乗る。
席について、ほどなくして走り出す。
この度、私は、初恋相手を探しに直島に行くことにした。
初恋相手とは、2年前に出会った猫である。
触れ合ったのはたかだか数時間程度。
しかし、以来、私にとって猫とは、
あの猫、と、その他大勢の猫、に分別されるようになってしまった。
忘れもしない、2014年12月29日。
社会人になって1年目。
私は岡山駅でひとり、呆然と立ち尽くしていた。
親譲りではないが、無鉄砲で、
子供の頃から損ばかりしている。
一人旅は好きだが、いつも無計画だ。
旅行の主目的であった、
大原美術館を始めとするアート関連の施設が、
全て年末年始の休業に入っていたことを知ったのは、
意気揚々と乗り込んだ行きの新幹線の中でのことであった。
社会人1年目、
慣れない仕事に疲れていた。
せっかくひとり、アートに触れて癒される時間を過ごそうと思ったのに!
泣きたくなりながらも、
せっかく来たのだから、と、
宇野港からフェリーに乗り、
予定に入れていた直島へと向かった。
そこで、あの猫と出会った。
名物の讃岐うどんを食べ、
島の中を散策し、
主だった観光施設は休業だったものの、
まあまあ楽しんだ。
さて、帰ろう、としたとき、
一匹の猫と目が合った。

ずいぶんと毛並みのいい、気高そうな猫である。
遠くから写真を撮ったあと、そろりそろりと近づく。
猫は逃げるそぶりを見せなかった。
それどころか、とうとう私が隣に座っても逃げない。
調子に乗った私は、おそるおそる手を伸ばし、頭を撫でた。
嫌がらない、どころか、ちょっと気持ちよさそうだ。
そろそろ嫌がるかな……と手を離そうとした。
そうしたら、あろうことか、猫は私の手に頭をすりつけてくるではないか。

……完全に好かれていると思った。
途端にその猫が特別に愛しく感じられた。
だって、今までそんなふうに猫に優しくされたことがなかったのだ。
ずっと私のそばにいてくれて、
時折「こっちを見ろ」と言わんばかりに前足を私の腕にかける。
そろそろフェリーが出発する時間である。
立ち上がり、フェリー乗り場に向かう最中、
ふと後ろをみると、なんとあの猫が後ろについてきているではないか。

降参である。
お腹が空いていたし、
このフェリーを逃せばまた1時間待たなければならず、
ホテルに着くのも遅くなってしまう。
でも、もう、どうでもいい。
フェリー乗り場にお尻を向けてUターン、
近寄ると、猫はお腹を見せて転がった。

可能な限り、この幸せな時間を堪能しよう。
あの猫を知って以来、
わたしの猫を見る目はすっかり変わってしまった。
東京に戻ってきても、
街中で猫に寄っては逃げられるたび、
「あの子は私にあんなに優しくしてくれたのに」と憤り、
猫カフェで寝ている猫をさすっていても、
「けっきょくお金を払わないと触れもできない……」と虚しくなり、
ひとが飼い猫の写真をSNSにアップしているのを見ても、
「でもあんなにキュートな猫はあの子しかいなかった!」と手に顔をすりつけられた場面を思い出すのであった。
今までこれほどまでに、片時も忘れなかった猫があろうか。
思い出は色あせるどころか、
ほかの猫とうまくいかない経験を重ねるたびに、
ますます輝きをおびているように感じた。
もう一度あの猫に会いたい。
会ってどうするかはわからない。
この行き場のない想いをどうにかしたい。
ただ、それだけだ。
名前も知らない猫に会いに行く。
というより、見つかるかどうかもわからない。
気がつくともう京都駅に着いていて、
空席だった隣にもひとが座っていた。
到着まで、あと少しだ。
